こんにちは、日本母親支援協会の柴田です。今日は、先日起こった川崎殺傷事件について柴田個人の思いをお話させて頂きます。
本題に入る前に、川崎殺傷事件で被害に合われた方々のご冥福をお祈りします。また、御遺族の方々には心よりお悔やみを申し上げます。
事件のあらすじは、5月28日午前8時前、51歳の男が通学バスを待っていた小学生を狙って次々と両手に持っていた包丁で襲いました。その結果、小学六年生の女子児童と39歳の男性が命を絶たれ、17人が傷を負わされました。
3日経った現在でも十分な情報が出てきませんので、あくまでも私見の範囲内になります。
犯人の生い立ちが薄ら薄ら見えてきています。小学校の時(何年生の時かもまだわかっていません)、両親が離婚。その後父方の叔父の家庭に引き取られました。
その後、離婚した両親のどちらも小学生だった犯人には一度も会いに来なかったということです。どんな事情があったのかわかりませんが、自分の子供を捨てたということです。
やはり、両親が小学生の時に離婚ということと離婚してから自分の子供を親戚に預け、あとは知らんぷりということですので、よほど愛情に飢えていたのではないでしょうか?もしかしたら、両親から虐待を受けていたのかもしれません(これはあくまでも推測です)。
叔父の家には叔父夫婦の二人の子供がいました。犯人より年上ですので兄姉という関係になります。
兄弟が一緒に仲良く暮らすことが出来れば良かったのですが、一部の情報によると兄姉はカリタス小学校に通い(ここはまだ裏付けが取れていません)、犯人は公立小中学校に通っていたようです。
そして、預けられた叔父夫婦の家でも実の子供たちと犯人が差別的な扱いを受けていたのではないかと思われます。
このカリタス小中学校というのは、年間100万円ほどの学費がかかるようです。自分の子供ではない犯人を通わせるほどの経済的余裕がなかったのかもしれません。
しかし、同じ屋根の下で暮らす子供たちの中で自分だけ別のところに通わされているということは、犯人にとっては負い目を感じていたのではないでしょうか?
岩崎容疑者と小中学校で同級生だった男性によると、昔から一見、おとなしいが、何か気に入らないことがあると、暴れる、まわりのもの、ごみ箱とかいす、机をけって先生を困らせていた。気に入らないことというのもささいなことで、「靴をそろえて」と言われて大暴れしたり、豹変(ひょうへん)したりしていた。
引用:川崎”通り魔事件”岩崎容疑者の同級生が語る素顔「おとなしいが、切れると豹変する奴」 〈週刊朝日〉
そして、高校に進学したかどうかという情報もありません。社会に出て一時は働いていたようですが、最近は叔父の家に帰ってきて引きこもりだったようです。
最近では、80代の叔父夫婦と顔を合わせることや会話を交わすこともほとんどなかった一方で、叔父夫婦が食事を冷蔵庫の中に置いておいたり、仕事をしていない容疑者に小遣いを渡したりすることもあったということです。
さて、以上の少ない情報しか得られていませんが、子供の時に親の愛情を十分に受けられなかったことはわかります。そして、預けられた先でも他人行儀な生活を余儀なくされたのではないでしょうか?
叔父夫婦としては精一杯育てていたのでしょう。でも心が通じ合うということはなかったのではないでしょうか?
人間の土台を養う乳幼児期に愛情をもらえなかった。そして、小学校で親に捨てられた悲しみ。育ててもらった叔父夫婦や兄姉への遠慮。それらの気持ちのぶつけ先が小中学校時代の同級生ではなかったのでしょうか?
子供には親の愛情が不可欠です。そして、言葉だけでなくスキンシップも不可欠です。スキンシップは、文字通り、肌と肌を触れ合わせることでより深く愛情を深めていきます。
親の肌の温かみが子供に伝わることで、子供に大きな安心感を与える効果もあります。また、その逆にスキンシップをすることで子供の気持ちの中にある不安や悲しみを親が知ることもできます。
このスキンシップというのは乳幼児期だけに限られたものではありません。小学生になったときでも時折ハグしてあげることで、子どもは安心と勇気をもらうことが出来ます。
思春期になったらハグは、なかなか出来ないですが、頭をなでたり、肩に手を当てたりすることは出来ます。
子供の態度を見て「なんだか変だな」と感じたときには、子供の肩に手を当て静かに目を見て「どうしたの?なんだか今日はおかしいね」と言ってあげるだけで、子どもは「あぁ、やっぱりママ(パパ)は僕(私)の事がよくわかっている」と安心できるのです。
この犯人は、子供時代にそのスキンシップというものは一度も味わったことがないだろうと思います。叔父夫婦が同じことをしてもやはり気持ちが違います。
自分の気持を誰も受け止めてくれないという不安が蓄積されていったのだろうとも感じます。子どもには失敗しても、いつでも帰ることが出来る「安全基地」が必要です。
いたずらしていたら怒られるということも安全基地の役目です。怒られるということは、悪いことと良いことを教えてくれるという愛情でもあります。
失敗しても怒られても、自分を抱きしめてくれる安全基地があるからこそ、未知の世界に挑戦する勇気を持つことが出来るのです。
今日のブログでお話したいことは、無差別殺人事件のような悲劇が毎年のように繰り返し起きてしまっているということは、この犯人のように自分の不幸な境遇に耐え忍びながら生きている人間がまだまだいるということ。
そして、自分の子供にも、もしかしたら不安や不満を抱えているかもしれないということを振り返ってみてほしいということです。最近、スキンシップはしていますか?
子どもが愛情豊かに育つことで、他人に対しての共感能力が育ちます。共感能力が育つとクラスの中でいじめられている友達を救ってあげる勇気も出るはずです。
みんなが愛情豊かに育てられると、愛情不足の友達に愛情のおすそ分けが出来るということです。少しでも多くの子供達が幸せを分かち合うことが出来れば、いじめによる自死や今回のような悲劇が少しはなくなるかもしれません。
今日のブログは決して犯人を養護しているわけではありません。亡くなられた方や、御遺族の悲しみは計り知れないものがあります。
犯人が生きていれば憎しみを向けることが出来るでしょう。世論も徹底的に犯人を叩く事になっていたでしょう。しかし、それではまた新たな悲劇が生まれる可能性があるといえるのではないでしょうか?
御遺族の方の悲しみが癒えることはないですが、世論の怒りはいつか時間と共に冷めてしまいます。そして、また次の事件によって世論が沸騰する。こんな繰り返しで良いのでしょうか?
そうならないためにも、弱っている人に声をかけ、手を携えて、少しでも元気になってもらえるように、なにか出来る人間になる必要があるのではないでしょうか?
そして、そんな親であれば子どもも他人に手を貸してあげたいと言う気持ちを持てる大人に育っていくのではないでしょうか?
虐待事件も跡を絶ちません。虐待されているかもしれない子どもを見かけた時に「大丈夫?」と声をかけてあげたいです。行政がすることを待っていては手遅れになってしまいます。
誰もが、ほんの少しの勇気を出して幸せのおすそ分けが出来る社会になってほしいです。そして、二度とこんな悲しい事件が起きないことを願ってやみません。
