読売新聞さんの朝刊に掲載頂きました♪ | アフリカと日本をつなぐ国際助産師 の奮闘記

アフリカと日本をつなぐ国際助産師 の奮闘記

世界72ヵ国を巡った国際助産師どどちゃん♪
現在は4歳になる娘の母としても奮闘中です(*^-^*)

いのち輝かせ屋 国際助産師どど☆こと小川圭子です。



2011年8月31日の新聞に


どど☆の事を取材して下さった際の記事が掲載されました~。



タイトルは



「乳児の命 輝かせたい」



どうもありがとうございます!!!(*^_^*)




アフリカと日本をつなぐ国際助産師                                               の奮闘記




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青年海外協力隊の経験生かし助産院開業


笑顔で赤ちゃんを抱きかかえる小川さん(大阪市で) 国際協力機構(JICA)の青年海外協力隊員として、アジア、アフリカの3か国で約6年間、助産師や看護師として活動した大阪市の小川圭子さん(41)が、自宅で助産院を開業し、母子の出張訪問や妊婦教室で講演を行うなど奮闘している。


院名の「いのち輝かせ屋」は、海外で抱いた「一人ひとりがありのまま、生き生きと輝いてほしい」との願いを込めて付けた。(浦野親典)


 「かわいいですね~」「ドドちゃんですよ~」。


8月下旬、大阪市内の同院に若い母親らが赤ちゃんを連れて遊びに来た。

にっこりと笑いながら小川さんは赤ちゃんを優しく抱く。

小川さんの愛称の「ドド」は名前の「圭」の二つの土が由来。

母親の一人は「ドドちゃんには何でも話せるし、頼りにしています」と話す。


 大阪市の委託で妊婦教室を開催したり、毎月30~20件の母子訪問を続けたりし、悩む母親のサポートに努める。


 特に核家族の母親から、子育ての悩みを聞くことが多いが、主眼に置いているのは赤ちゃんの様子ではなく、むしろ母親の気持ちだという。「『離乳食を食べてくれない』と悩むお母さんがいるけど、赤ちゃんは食べたいときに食べる。お母さんがまじめ過ぎてきゅうくつになってしまっているのでは」と心配する。


          ◇


 和歌山県海南市出身。高校卒業後、和歌山市内の産婦人科で働き、助産師や看護師の資格を取得。以前から海外に憧れを持ち、アジア・アフリカなどを旅し、28歳の時に2か月間、インドの児童養護施設で子どもたちの身の回りの世話などのボランティア活動に従事。貧困を目の当たりにして「自分も何かの役に立ちたい」と思い立ち、青年海外協力隊に応募した。


 初めて派遣された西アフリカのセネガルでは、首都から車で10時間かかる村などで、妊婦健診や子どもの体重測定を担当した。地元診療所のサポートに入った時は、アルコール消毒液がないなど衛生環境に驚かされることも多かった。「赤ちゃんを扱う環境は日本が世界最高水準」と実感したが、そんな貧しく劣悪な環境の中でも、現地の母や子は生き生きと暮らしているように見えたという。


 「日本の常識に当てはめて考えるのではなく、この村のみんなに合わせて物事を考えよう」と、肩の力を抜いて活動するうち、現地の人が地域ぐるみで子どもを育てている姿が見えてきた。仲良くなった村の妊婦に「圭子に赤ちゃんを取り上げてほしい」と頼まれ、生まれてきた子を「ケイコ」と名付けてくれたこともあった。


          ◇


 カンボジアやモロッコでも勤務。2007年に帰国し、海外での経験を生かしたいと、翌年9月に、助産院を開業した。


 「いろんな国のお産事情を見てきた。日本は医療、保育技術は最高だが、乳幼児虐待など子どもをとりまく環境が悪いのは確か。周りの赤ちゃんと見比べて悩むのではなく、ありのままの姿で生きるのが幸せだとお母さんたちに伝えたい」と小川さん。


 今年1月からは毎月1回、「いのち輝かせ塾」も開設。知人らを自宅に招き、「国際編」と称して、途上国での飢餓や食糧難の理由などについて説明する。今後は「妊娠・出産・育児編」も開いて自身の経験を伝えていくつもりだ。


 「これからも若いお母さんの相談に乗って、みんなの命が輝く世の中にしていきたい」と意気込んでいる。


(2011年8月31日 読売新聞)