性自認による差別が禁止されているカナダでは今年、女性専用サロンでトランス女性の男性器の脱毛を拒否したことを理由に、その施設に対して、裁判所が賠償金3万5000ドルを支払うよう命じています。しかも、担当した従業員は、男性との肉体的接触を控える敬虔なイスラム教徒の女性でした。

この「ジェンダー・セルフID制度」は、2012年にアルゼンチンが始めたのを皮切りに、デンマークやポルトガル、ブラジル、コロンビア、アイルランド、カナダ、フィンランド、スペインなどで導入されている。
その一方、性自認を優先することで、女性を自認する男性が女子トイレや女子更衣室などの女性専用スペースに入り、女性の身の安全を脅かしている実態が、日本を含む世界各国で問題視され始めている。
身体的性別よりも「性自認」を優先
ジェンダー・セルフID制度が導入されている国は、なぜ増えているのか。それは「性自認が出生時の身体的性別よりも優先される」という思想に基づいている。
性自認とは「自分自身の性別をどのように認識しているか」を指す自己意識の概念であり、「心の性」とも呼ばれるものだ。
そして、「出生時の身体的性別と性自認が一致していない人」をトランスジェンダーという。
たとえば、トランスジェンダー女性とは「身体は男性だが、女性を自認している人」のことを指す。
トランスジェンダーの中で、身体違和(性自認と異なる肉体であることに対する違和感)が強く、性別適合手術をした人や手術を希望する人のことをGID(Gender Identity Disorder:性同一性障害)と、これまで日本では呼んできた※。
2006年には、インドネシアのジョグジャカルタ市で行われた国際会議で採択された「ジョグジャカルタ原則」(正式名称:性的指向と性同一性に関わる国際人権法の適用に関する原則)では、LGBTを含むすべての人権を保障し、一切の差別や弾圧を厳しく禁ずるため、すべての国家が遵守すべき国際法規の基準が提案された。
この原則によって、性自認が身体的性別よりも優先されるという考え方の基礎になったとされている。(下図は、ILGA(国連関連団体でもある世界最大のLGBT活動家団体)の資料などをもとに斉藤氏が作成)
※現在、GIDという用語は「病気や障害ではなく医療を必要とする状態」と考えるようになったため、世界的に使われなくなった。その代わりに、トランスジェンダーを精神医学的に取り扱う場合は「性別違和」(Gender Dysphoria)、世界保健機関(WHO)による国際的な疾病分類(International Statistical Classification of Diseases and Related Health Problems:ICD)では、「性別不合」(Gender Incongruence)の名称が使用されている(日本でも「性別不合」という名称に置き換わりつつある)。なお、続く後編記事では、状況に応じて「性同一性障害」の呼称も用いる。
客観的判断が不可能
しかし、性自認を優先させるという思想を受け入れることに問題はないのだろうか。武蔵大学社会学部(ジェンダー論)教授の千田有紀氏が解説する。
「性自認を尊重するとは、わかりやすく言えば『その人自身が女性だと思えば女性』ということになります。個人の意識としては、性自認は自由であり、誰も否定はできませんが、客観的判断が不可能な概念です。
1990年代にアメリカの哲学者ジュディス・バトラーが性別二元論を否定し、性自認は構築されているのだという理論を提唱しました。その理論の受容の結果として、身体の性別がないがしろにされるようになった。アカデミックの理論が現実社会を劇的に変えた稀有な例といえます。
そして、その性自認を絶対視しすぎるあまり、ここ数年SNSで特に話題となっているのが、トランスジェンダー女性(出生時の身体的性別は男性でありながら、性自認が女性)をめぐる権利の問題です」
「トランス女性」によるトラブルの実態
トランスジェンダー女性による女子トイレ、女性更衣室や女湯などのいわゆる「女性専用スペース」の使用をめぐり、日本でも時折事件化しているケースはある。すでに身体的性別よりも性自認を優先させている海外では、日本以上にさまざまなトラブルが起きている国もある。
著書に『LGBT問題を考える』があり、海外のLGBT事情に精通する医師の斉藤佳苗氏が解説する。
「女性専用スペースに関しては、トイレや更衣室以外でもあらゆる場所で想定外の問題が起き始めています。
たとえば、性自認による差別が禁止されているカナダでは今年、女性専用サロンでトランス女性の男性器の脱毛を拒否したことを理由に、その施設に対して、裁判所が賠償金3万5000ドルを支払うよう命じています。しかも、担当した従業員は、男性との肉体的接触を控える敬虔なイスラム教徒の女性でした。
カナダと同様に性差別禁止法があるアメリカのワシントン州では2023年6月、女性専用韓国風スパという日本の女湯と同じシステムを採用している施設が、利用者を生物学的女性と性別適合手術を受けたトランスジェンダー女性に限定したことを、差別だと認定されています」
「競技中は女性であるように感じる」
女性専用スペースに加えて、議論を呼んでいるのが女子スポーツだ。
直近の事例では11月25日、米西部カリフォルニア州のサンノゼ州立大女子バレーボールチームに在籍中のトランスジェンダー選手をめぐる問題がある。
FOXニュースなどによると、そのトランスジェンダーの選手は1年生のとき、南部サウスカロライナ州の大学でプレーしていたが、出生時の性別に基づいて競技することを義務付ける州法が制定されたため、カリフォルニアに移ったという。
現在3年生で身長は185cm。一般的な女子選手よりも「スパイクが速い」との指摘が多く、選手の安全を考えて対戦チームが棄権するケースも相次いでいた。
所属チームが11月30日に行われた試合で敗退したことにより、この騒動は一段落したものの、同様の事例は世界各国で起きている。
2023年にジェンダー・セルフID制度を導入したスペインでは、「競技中は女性であるように感じる」と主張する、身体的に男性で普段の生活も男性として過ごし妻子もいる人物が、自転車レースの女子部門で1位を獲得するという事態も起きている。
このような女子スポーツをめぐる混乱について、千田氏はこう語る。
「トップアスリートともなれば、男性と女性との間にはぬぐいがたい身体的差異があるので、性自認を優先すれば不公平感が生じるのは当然のことです。身体の接触があるスポーツの場合なら、身の安全にも関わってきます。
『トランス差別者』とのレッテルを貼られることを恐れすぎるあまり、十分に議論がなされないまま、女性の権利をないがしろにしているのが現状。これまで通り、身体的性別を基準にしてルールを設計すべきです」
現状の日本において、身体的性別よりも性自認を優先することで生じている問題は、海外に比べて少ないが、これから起きる可能性は否定できない。
後編記事『手術と診断書なしで「性別変更できる」国が増加中…日本人なら知っておきたい「トランスジェンダー問題」の現在地』では、日本でのジェンダー・セルフID制度の実現可能性や、事実上手術なしで性別変更が可能になった最高裁判決などについて詳述する。
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