美輪明宏様



あなたと初めてお目にかかったのは、1966年11月頃のことでした。


当時のインドネシアは、100万人以上もの尊い命が失われた激動の時代の渦中にあり、私自身もまた、日本で激しい誹謗中傷にさらされ、まさに四面楚歌の日々を送っておりました。


週刊誌は連日のように私を攻撃し、ひと月に60冊近くも私を題材にした記事が並びました。悪意ある噂や誤った報道を信じた人々の中には、右翼の男達が日本刀を振りかざし、「デヴィよ、日本から出ていけ!」と叫びながら家の周囲をトラックで巡回し、お手伝いさんは「お宅に売る肉はない」と言われる始末でした。


鳴り止まない嫌がらせの電話。窓を開けることさえためらう毎日。あの頃の孤独と恐怖は、今も忘れることができません。


そんな暗闇の中で、私に手を差し伸べ、守ってくださったお二人の恩人がおりました。


お一人は、浪花千栄子さん。


箱根の別荘へ招いてくださり、雄大な富士山を前に「馬鹿野郎!」と大声で叫びなさい、と私を励まして くださいました。


そして、もうお一人の方が 美輪明宏さんでした。


銀座ソニービル地下の「マキシムパリ」にお招きくださり、深い優しさで私を慰め、勇気づけてくださいました。


その温かなお心に、私はどれほど救われたことでしょう。


私にとって美輪さんは、尊敬する先輩であり、憧れの存在でした。


10代の頃、銀座の「銀巴里」の舞台に立つ  丸山明宏さんを初めて拝見したとき、「なんて美しい貴公子のようなお方なのだろう」と息を呑んだことを、昨日のことのように覚えています。


また、時を経て新宿厚生年金ビルの隣に「巴里」というお店を開き、大きく胸元の開いた漆黒のドレスを優雅にまとわれた美輪さんのお姿は、息をのむほど美しく、妖艶で、まるで一枚の絵画のようでした。



その昔 三島由紀夫氏が愛した、もちろん丸山さんもご存知の「 ブランスウィック 」という 美少年が揃いの白い制服に金ボタン、金モールのBarが 銀座にありました。



私の初恋の人は その中の一人、黒川瑛二さんでした。 美輪さんとは懐かしい昔話に花が咲きました。


私が日本へ帰ってきて  早や20年余りになります。

その間  黒蜥蜴 」「 双頭の鷲   舞台にお邪魔したり、テレビでご一緒させていただきました。



黒柳徹子さんの「 徹子の部屋 」 もそのひとつです。


美輪さんは、唯一無二の美意識と哲学をお持ちでした。


お言葉の一つひとつには深い真理が宿り、私は多くを学ばせていただきました。


その教えは、私の人生を豊かにし、苦しい時には進むべき道を照らしてくれる灯火でもありました。


そして今、私には一つだけ、どうしても消えることのない悔いがあります。


「お元気なうちにお会いしなければ。」

「お見舞いに伺わなければ。」


そう何度も思いながら、忙しさを言い訳に、その願いを果たせませんでした。


もう一度お目にかかり、「ありがとうございました」と、心からの感謝を直接お伝えしたかった。


それが叶わなかったことは、私の生涯の心残りです。


美輪さん。


あの時、あなたが 私にくださった優しさと勇気は、今も私の心の中で生き続けています。


本当にありがとうございました。


そして、間に合わなかったことを、どうかお許しください。


心よりご冥福をお祈り申し上げます。


デヴィ・スカルノ