私は、
より良い表現を追求したいだけで
正しいか間違っているかは関係ない。
高すぎる条件や基準で苦しくなる、
そしてそれを強要されると
私の中の完璧主義意識が
ガラガラと崩壊していきました。
続きです
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以前会社に属して働いていた時に
こんなことがありました。
商品POPのパネルをカットして
その上から面積の広い金のシールを貼る
というもの。
この作業、私の得意分野で、
20歳の頃就職してからおおよそ
「販売促進」「企画」の部署に
会社が変わってもいたので、
カッターと定規を使って切る
手作業のパネルカットは
少なく見積もっても
1万枚は切ってきたし、
カッティングシートも
クリスマスやバレンタインなど
季節ごとにウィンドーに貼ったり
していたので、
私には「普通にできる」
という感覚だったんですね。
「大丈夫ですよ〜〜」と
取り掛かろうとしたら、
作業の手順について、
細かく指示が入ったんですね。
私の感覚では、
その方法はわからなくもないけど、
「パネルに貼る時にシワがいくかもな。」
経験上思ったんです。
それを伝えたところ、
「自分でやるからいい」
という事になって結果として
パネルには文字の部分にシワが入って![]()
店頭で見ても目につくだろうと
いう感じの仕上がりに。
多分それをそのまま提出していた
と思います。
ここで思ったのは、
「私の方法でやっていれば正しかったのに」
じゃないですよ。
「私が正しい」をやっている以上
本当の目的を忘れてしまう。
と、残念な気持ちになったんです。
合っているか、間違っているかの
2択ではその先を育んでいくことが
できません。
立場上、相手が上です。
立場が下だからこそ、私は最善を尽くしたい。
本当の目的を忘れなければ、
「誰がやっても差し支えない」ということ。
「誰が」にこだわるより、
理想の表現になるように
アイディアを出し合うことが
創造的であるということ。
勝ち負けの世界には
穏やかな状態がありません。
出口がある事に気がつかない限り
ずっとラットレースのようになります。
人を信頼していないので、
自分以外頼ることができません。
苦しい。
そして完璧主義の場合
自分がハリボテであることを
薄々気づいている、
もしくは気がついていても
気づかぬふりをして隠します。
そこを触れずに
接してくれる人とだけ
仲良くなります。
自分の価値が揺るがされることって怖い。
でも怖くて怖くて、安心感がないから
自分の価値とかどうでもいいって思えない。
肥大化した理想の自分像は
やはり虚像でしかないんです。
無駄なプライドは捨てられる。
でも誇りは持てる。
ここに気がつけて捨てられたから
めっちゃラクになれました!
自分で自分が思っていること
怖いと思っている、不安が取れない
それがなんでなのか?
どこからきているのか?
丁寧に見てあげることができると
自分ができないことがあっても
=劣っているにはなりません。
なので、最善の方法を考えられます。
仕事で言えば、私にできないなと
思うことは人を紹介したり、
こんなサービスが使えるかも、と
自分より適している人や物を
提案できます。=負けではない。
素直に
謝ったり、断ったりできます。
幻を生きるより、飾らない
等身大の生き方が感覚的にわかると
自分とつながれるので、
人ともつながることができます。
わざわざ承認してもらう必要がないので
無限の選択肢を見ることができるし
自分達にフィットする方法を
模索することができます。
続く・・・
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