私がグラウディングという言葉を初めて知ったのは
1994年、インド・プネーにあるOSHOリゾートに滞在していた時です。
グラウディングとは
『地に足を着ける』『今 ここに在る』という状態の事です。
現在、スピリチュアルブームにより世界各国のスピリチュアルリーダーと言われている人々が、サイキック能力を高める為のスクールやコースが多く行われています。
そしてグラウディングという言葉は、ひとつのテクニックとして紹介されています。
ある有名な方のスクールでは
物事に現実的に対応し、具現化する能力を高める方法。
と紹介していたりします。
スピリチュアルとサイキックな違いがよくわかります。
地に足つけて生きることの先には『悟り』という境地があります。
悟りの境地にたどりつくためには、意識的に生きるしか方法がありません。
一瞬一瞬、意識して生きること。
魂と身体が一体になっていること。
意識的に生きていくことをスピリチュアルな生き方と言います。
サイキックとは能力のひとつであり、目で見えない部分の感覚が鋭い能力のことです。
天使が見える、神様の声が聞こえる。
そういう能力のことです。
サイキックだからみなスピリチュアルかというと、それは違います。
意識的に生きるからこそ、現実を受け止めることができる。
起こることに対して、正しい選択が出来る。
意識的に生きているからこそ、エゴも生まれないわけです。
不安も恐れもないでしょう。
だからこそ、自分が望むものはそのまま宇宙へ注文され
自分のところに届くわけです。具現化するのは当たり前ですね。
さらにサイキック能力ばかりが開花すると
自分の身体と魂が一体になっていなければ、
ふらふらふらふらと地に足が着かない状態になります。
瞑想が大切!といわれていますが
この瞑想も本来は『悟る』為のひとつの方法が
高次の存在からメッセージを受け取るテクニックと言われています。
本来の瞑想は『自分自身と向き合う』為のものであるのに
誘導瞑想ばかりすれば、更にグラウディングは遠のくのです。
スピリチュアルとサイキックを履き違えている人は多いことは
とても嘆かわしいことです。
でも、その違いを伝えていき、正しいスピリチュアリティを
伝えていくのが、私の使命なのでしょう。
私はエンジェル・セラピー(TN)というとても優しく
ワクワクすることを間口にしていますが
『自分自身』と向き合う為のワークを
引き続き行っていきます。

1994年、インド・プネーにあるOSHOリゾートに滞在していた時です。
グラウディングとは
『地に足を着ける』『今 ここに在る』という状態の事です。
現在、スピリチュアルブームにより世界各国のスピリチュアルリーダーと言われている人々が、サイキック能力を高める為のスクールやコースが多く行われています。
そしてグラウディングという言葉は、ひとつのテクニックとして紹介されています。
ある有名な方のスクールでは
物事に現実的に対応し、具現化する能力を高める方法。
と紹介していたりします。
スピリチュアルとサイキックな違いがよくわかります。
地に足つけて生きることの先には『悟り』という境地があります。
悟りの境地にたどりつくためには、意識的に生きるしか方法がありません。
一瞬一瞬、意識して生きること。
魂と身体が一体になっていること。
意識的に生きていくことをスピリチュアルな生き方と言います。
サイキックとは能力のひとつであり、目で見えない部分の感覚が鋭い能力のことです。
天使が見える、神様の声が聞こえる。
そういう能力のことです。
サイキックだからみなスピリチュアルかというと、それは違います。
意識的に生きるからこそ、現実を受け止めることができる。
起こることに対して、正しい選択が出来る。
意識的に生きているからこそ、エゴも生まれないわけです。
不安も恐れもないでしょう。
だからこそ、自分が望むものはそのまま宇宙へ注文され
自分のところに届くわけです。具現化するのは当たり前ですね。
さらにサイキック能力ばかりが開花すると
自分の身体と魂が一体になっていなければ、
ふらふらふらふらと地に足が着かない状態になります。
瞑想が大切!といわれていますが
この瞑想も本来は『悟る』為のひとつの方法が
高次の存在からメッセージを受け取るテクニックと言われています。
本来の瞑想は『自分自身と向き合う』為のものであるのに
誘導瞑想ばかりすれば、更にグラウディングは遠のくのです。
スピリチュアルとサイキックを履き違えている人は多いことは
とても嘆かわしいことです。
でも、その違いを伝えていき、正しいスピリチュアリティを
伝えていくのが、私の使命なのでしょう。
私はエンジェル・セラピー(TN)というとても優しく
ワクワクすることを間口にしていますが
『自分自身』と向き合う為のワークを
引き続き行っていきます。
