身近な人が、病気を治すために
医療処置を受けることになりました。


自分のことではありません。
もう何十年もの付き合いになる、
大切な人です。


成功率は高い。安全性も高い。
その後の生活にも、よい影響があると
分かっています。


だから、過度に心配する
必要はないのです。

 


それでも、心配は残ります。

 

「大丈夫」――
頭では、その通りと理解しています。
データも、お医者さんの言葉も、
安心していいと伝えてくれている。

 

なのに、どこか、
胸の奥が締まるような感覚があるのです。


  その答えは、とてもシンプルでした。
  ――いまの幸せを、失いたくないから。


私は、この感情にふれたとき、
断捨離を通して自分が取り戻したものに、
あらためて気づきました。


それは、世界の美しさや、
人のいのちの重みに対する、
まっすぐな感受性です。


◇モノの多さが、心を鈍らせていた◇

かつての私の住まいには、
「いつか使うかもしれないモノ」
「もったいなくて捨てられないモノ」が
たくさんありました。



当時は気づいていませんでしたが、
適切な量を超えたモノに囲まれて

暮らしていると、
心は少しずつ疲れていきます。


視界に入るたび、無意識に判断を迫られ、
気づかないうちに感覚が鈍っていく。
そういうものなのだと、いまは思います。


部屋がモノと雑事で

いっぱいだった頃の私は、
 

 

大切な人たちが体調を崩しても、
「大変、早くよくなるといいね」と、
もちろん心配はしていました。


けれど、どこか、
「きっと大丈夫だから」と、
楽観的にシンプルに

とらえていたようにも思います。


もしかしたら、
自分の心の深いところを

揺さぶられないように、
見えない壁を自分で

作っていたのかもしれません。


◇余白ができると感覚が変わる ◇


断捨離を重ねていくうちに、
部屋からモノが減っていきました。


すると不思議なことに、
空間だけでなく、

心にも余白が生まれたのです。


その余白ができて初めて、
私は日々のささやかなものを、
以前よりずっと鮮明に

感じるようになりました。

 

たとえば、朝の光。
カーテンを開けたとき、
何も積まれていない部屋に、
光がすっと差し込みます。
 

そのやわらかな明るさに、
思わず立ち止まることがあります。


たとえば、一杯のお茶。
本当に気に入っている器で

飲むお茶は、
ただ喉を潤すだけではなく、
手のひらに伝わる温もりまで
味わえる気がします。

 

たとえば、風の音や、季節の匂い。
庭に出たときに通り抜ける風が、
季節ごとの香りまで連れてくることに、
はっとするようになりました。

 

これらは、もともとそこに

あったものです。
 

 

変わったのは世界ではなく、
それを受け取る、私の感覚でした。

 

モノが減ったことで、ようやく私は、
日常の中にある美しさを、もっと
ずっと、「生きた感覚」として
受け取れるようになったのです。


◇感受性は、美しさだけでなく
 痛みも連れてくる◇



感受性を取り戻すということは、
心地よいものだけに気づけるように

なることではありませんでした。


それは同時に、
自分にとって本当に大切なものの重みも、
まっすぐ受け止めるということでした。


今回、その人が医療処置を

受けると知ったとき、
私の中にあふれてきたのは、
 

 

「失いたくない」という、
プリミティブな感情でした。


他の誰のいのちも大切です。
それは間違いありません。


でも、この人のこととなると、
理屈ではなく、心と身体が
先に反応してしまうのです。


安全だと分かっていても、心配。
大丈夫だと説明されても、胸がざわつく。


その人が生きて、いまここに

いてくれることが、
どれほどかけがえのないことかを、
自分の全身で感じられるように

なったからです。


◇いのちの前でモノは急に軽くなる◇

もし、いま、「まだ使える」
「いつか必要になる」と手放せず、
しまい込んでいるモノたちが、
私の手元にあったとしたら……。


はっきり区別がつきます。


大切な人のいのちの前では、
それらはまったく意味をなさない。


 

極端な言い方かもしれません。

けれど、もしすべてのモノと引き換えに、

その人が安寧を保つことができるなら、

私は喜んでモノを差し出すでしょう。

 

 

もちろん、
モノの価値が低いわけでも、
モノが悪いわけでもありません。 

 

 

暮らしを支えてくれる、

心を温めてくれる存在

でもあります。

 

 

ただ、本当に大切なものが
目の前に立ち上がったとき、
モノへの執着は、

急にその重みを失うのです。


◇断捨離の先にあったのは、

 冷たさではなく愛おしさ◇

部屋を片づけ、

モノを減らした先に待っていたのは、
無機質で冷たい世界ではありません。



あるのは、これまでよりもずっと、
あたたかく、人間くさい世界です。


光がきれいだと感じること。
お茶がおいしいと感じること。
風に季節を感じること。
そして、大切な人の無事を
胸いっぱいに願うこと。


それらはすべて、
取り戻した感受性の延長線上に

あるのだと思います。


モノを手放したからこそ、私は、
絶対に手放したくないものにも

気づきました。


それは「たくさんの所有物」ではなく、
かけがえのない人の存在であり、
その人がいてくれるという、
ただそれだけの事実です。



 断捨離が私に教えてくれたのは、
 身軽さだけではありませんでした。
 いのちを、いのちとして感じる力。

 

 

それは、時に少ししんどい
ヘヴィなことでもあります。

 

 

だけど、

気づかない時代よりも
何倍もましです。


* * *


もし今、片づけや断捨離をしていて、
「こんなことに意味があるのだろうか」と
感じている人がいたら、私はこう思います。


モノを減らした先には、
単に部屋がすっきりする以上の
変化があるかもしれません。


自分が本当に大切にしたいものを、
まっすぐ大切にできるようになる。


そんな静かだけれど深い変化が、
あなたを、待っているのかもしれません。

 

 


今日の一枚

 生命は食べることと

強くつながる

気がしています


 

断捨離®は、提唱者やましたひでこ
個人の登録商標です。