ある集まりに参加してきたのですが、

ちょっとした「違和感」をおぼえた

瞬間がありました。

 

 

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そのことを改めて考えていたら、

ふとある疑問が浮かんだのです。

 

 

「こういう時、『違和感』と『異和感』

 どっちの漢字が適切なんだろう?」

 

 

調べてみると驚いたことに「異和感」は

辞書には載っていない造語らしいのです。

(興味がある方はぜひ調べてみてくださいね)

 

 

これまで断捨離をお伝えする中で、

私は「違和感」を持つことの大切さを

感覚的に述べてきました。

 

 

この言葉の成り立ちを知って、

一つの確信に変わりました。

 

 

「違和感はあって当然。

 異和感はちょっと要注意」

 

 

この感覚の違いこそが、
断捨離中に感じるあの

「モヤモヤしたストレス」の正体を

解き明かすカギになるかもしれません。

 

 家族のモノへの
「違和感」は健全な証拠

断捨離を進めていると、どうしても

家族や同居人の持ちモノに対して

ネガティブな感情が湧いてくることがあります。

 

 

「なんでこんな所に置くの?」

「もう使っていないのに、なぜ捨てないの?」



この感覚はごく自然な「違和感」です。



違和感とは、いわば「ズレ」。

自分の理想とするスッキリした空間と、

目の前の現実が一致していないだけ。

 

 

これは同じ屋根の下に住む

「地続きの相手」の場合は

当然生まれる、健全な

摩擦なのだと思います。

 

注意すべきは
「異和感」が生む心の分断

けれど、そのモヤモヤがエスカレートして

「異和感」に変わってしまったら、少し注意が必要って思ったんです。

 

 

「異」という字は、異質あるいは異物を表します。

異質と異物は排除したくなるものです。

 

 

モノを通して相手を見た時に、

「この人の感性は理解できない」

「自分とは全く相容れない人間だ」と、

 

自分から相手を切り離すような境界線を引いてしまう。

これが「異和感」の正体です。

 

  • 違和感: 調整可能な「ズレ」

  • 異和感: 決定的な「分断」


モノをきっかけに家族との間に

「心の壁」を作ってしまっては、

家をいくら片付けても心は安らぎません。


断捨離の目的は
「排除」ではないから


「異和感」を抱いたまま行う断捨離は

「排除」からの分断になりかねません。



大切なのは、

他人のモノに対する違和感は認めつつも、

それを相手を否定する「異和感」にまで進行させないことです。

 

 

●「違和感」がある時:

「私はこうしたいけど、あなたはどう?」
という対話の余地があります。

 

 

●「異和感」がある時:

「あなたは私と違うから、もう勝手にして」

 という突き放しと分断が生まれます。

 

境界線の引き方を見直そう

断捨離で自分自身の「境界線」

ここまでは私の領分というのを

決めることは大切です。

 


(本来、世界は無境界なんですけれどもね……)

 

 

でもその線を「相手を拒絶するための壁」に

してしまわないように。

 

 

「違和感」はあってもいい。

でも、なるべく、「異和感」で

分断してしまわないように。

 

 

..........

 

 

今日はボウリングに行く日なのですが、

思った通りに投げられないこと多くて。

 

 

私自身の投球フォームに対し

「違和感」を感じます(笑)。

 

 

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ただその違和感に気づくからこそ、

次はどう投げようかと考えられる。

 

 

違和感は自分を進ませてくれる

サインだと感じているんですね。

 

 

あなたも、モノやコトを通して、

自分と誰か(あるいは何か)との

違和感を確認してみませんか?



追伸:

冒頭でお話しした「違和感」を持った会合。

次もまたあるようです。

いっそ、スケジュール帳には

「違和感会議」と書こうかな。

 

 

この違和感で、私がどう変化するか。

今からちょっぴりたのしみです。