58. 行うこと(Doing)


日々、こういうことが起こります。

本当は何かをすべきだったのにしなかった。そして「もし神がそれを望むなら、どうせ神がやるだろう」と言い訳をします。

あるいは、何かをして結果を待ち、期待するのに、その結果が決してやってこない。

するとあなたは怒ります。まるで自分がだまされたかのように、神に裏切られたかのように、神が自分に敵対しているかのように、不公平で偏っていて不正だと感じる。

そして心の中に大きな不満が生まれます。

そのとき、信頼は失われているのです。

宗教的な人とは、人間として可能なことをすべて行い続ける人です。しかし、そのことによって緊張を生み出しません。

なぜなら、私たちはこの宇宙の中ではとても小さな存在であり、物事は非常に複雑だからです。

何かの結果は、私の行動だけで決まるものではありません。無数のエネルギーが交差し合っているのです。

その総体が結果を決めるのであって、私一人が決められるものではありません。

しかし、何もしなければ、物事は決して変わらないかもしれない。

だから私は行動しなければならない。

それと同時に、期待しないことも学ばなければならないのです。

そうなれば、行為そのものが祈りのようになります。結果がこうであってほしいという欲望を持たない祈りです。

そうすれば、挫折は生まれません。

信頼はあなたを挫折から守り、そして「ラクダをつなぐこと」は、あなたを生き生きとした状態に保つでしょう。

このスーフィーの言葉は、第三のタイプの人間――本当の人間――を生み出そうとしています。

それは、行うことを知っており、同時に行わないことも知っている人。

必要なときには行動し「はい」と言え、必要なときには受け身になり「いいえ」と言える人。

昼には完全に目覚めており、夜には完全に眠ることができる人。

息を吸うことも吐くことも知っている人。

人生のバランスを知っている人です。

「アッラーを信頼せよ、しかしまずラクダをつないでおけ」

この言葉には、ある小さな物語があります。

ある師が弟子とともに旅をしていました。

その弟子はラクダの世話を任されていました。

夜になり、疲れ切って隊商宿(キャラバンサライ)に到着しました。

ラクダをつなぐのは弟子の役目でしたが、彼はそれをせず、ラクダを外に放置しました。

その代わりに、彼はただ祈りました。

「神よ、ラクダの世話をしてください」と言って眠ってしまったのです。

朝になると、ラクダはいなくなっていました。

盗まれたのか、どこかへ行ってしまったのかは分かりません。

師が尋ねました。

「ラクダはどうした?どこにいる?」

弟子は言いました。

「分かりません。神に聞いてください。私はアッラーに任せたのです。とても疲れていたので。

それに私は責任はありません。ちゃんと神に頼みましたから、しかもはっきりと!一度だけでなく三回も。

あなたはいつも『アッラーを信頼せよ』と教えているでしょう?だから私は信頼したのです。だから怒らないでください。」

師は言いました。

「アッラーを信頼せよ、しかしまずラクダをつないでおけ。

なぜなら、アッラーにはあなたの手以外の手はないのだから。」

もし神がラクダをつなぎたいと思っても、誰かの手を使うしかないのです。

そしてそれはあなたのラクダなのです。

最も簡単で確実な方法は、あなた自身の手を使うことです。

アッラーを信頼しなさい――しかし自分の手だけを信頼してはいけません。

そうでないと、あなたは緊張してしまうからです。

ラクダをつなぎ、その上でアッラーを信頼しなさい。

「では、ラクダをつなぐなら、なぜ神を信頼する必要があるのか?」と思うかもしれません。

それは、たとえつないだラクダでも盗まれることがあるからです。

あなたはできることをすべて行いなさい。

しかし、それでも結果が保証されるわけではありません。

だから、できることをしたら、その後に起こることは受け入れるのです。

これが「ラクダをつなぐ」という意味です。

自分の責任を放棄せず、やるべきことを行いなさい。

そして何も起こらなかったり、うまくいかなかったとしても、アッラーを信頼しなさい。

そのとき、神は最善を知っているのです。

もしかすると、ラクダなしで旅することが私たちにとって正しいのかもしれません。

アッラーを信頼して怠けるのは、とても簡単です。

アッラーを信頼せず、ただ行動するのも簡単です。

しかし第三のタイプの人間――

アッラーを信頼しながらも行動する人――になるのは難しい。

そのときあなたは単なる道具になります。

本当の行為者は神であり、あなたはその手の中の道具にすぎないのです。