54. 一点集中(Single-pointedness)


心というものはとても巧妙で、自分とは正反対の姿にさえ隠れることができる。

享楽から禁欲へ、物質主義から精神主義へ、この世的なものからあの世的なものへと変わることもある。

しかし心はあくまで心である。

この世に賛成していようが反対していようが、どちらにしても心の中にとどまっていることに変わりはない。

賛成も反対も、どちらも心の一部なのだ。

心が消えるとき、それは「選択のない気づき(無選択の意識)」の中で消える。

選ぶことをやめたとき、賛成でも反対でもなくなったとき――それが「真ん中にとどまる」ということだ。

ある選択は左へ、ひとつの極端へ導く。

別の選択は右へ、もうひとつの極端へ導く。

もし選ばなければ、あなたはちょうど真ん中にいる。

それがリラックスであり、休息である。

人は無選択になり、執着がなくなり、その無執着・無選択の意識の中で、これまで自分の内に眠っていた知性が目覚める。

そして人は、自らの光となる。

サラハの物語

タントラの創始者である

**サラハ**は、

マハーパラ王の宮廷に仕える非常に学識あるバラモンの息子だった。

王は自分の娘をサラハに与えようとしたが、サラハはすべてを捨て、出家(サンニャーシン)になりたいと望んだ。

王は彼を説得しようとした。

サラハは美しく、知的で、若く魅力的だったからである。

しかし彼の決意は固く、ついに許しが与えられ、彼は

**シュリー・キルティ**の弟子となった。

学びを捨てる

最初に師が言ったのはこうだった:

「お前のヴェーダも、学んできたことも、そんなものはすべて忘れてしまえ。」

それは難しいことだったが、サラハはすべてを賭ける覚悟があった。

年月が過ぎるにつれ、彼は自分の知識を少しずつ消し去っていった。

そして偉大な瞑想者となった。

市場の女

ある日、瞑想中にビジョンを見た。

市場にいる一人の女性が、自分の真の師になるというものだった。

彼は市場へ行き、その女性を見つけた。

若く、生き生きとして輝いている女性が、矢の軸を削っていた。

彼女は右も左も見ず、

ただ矢を作ることに完全に没頭していた。

サラハは彼女の存在の中に、

これまで出会ったことのない何か特別なものを感じた。

とても新鮮で、源から直接来たような何かを。矢ができあがると、

彼女は片目を閉じ、もう片方の目で見えない標的に狙いを定めた。

真ん中の意味

その瞬間、何かが起こった。

まるで深い交わりのような体験だった。

サラハは初めて理解した。

彼女の行為の霊的な意味が彼に明らかになった。

右にも左にも目を向けず、

ただ「真ん中」を見ること。

仏陀の教えの理解

彼は初めて理解した、

**ブッダ**が言う「中道」の意味を。

人は左から右へ、右から左へと揺れ動く――

まるで振り子のように。

しかし「真ん中にいる」とは、

振り子がただ静止している状態である。

右にも左にも動かない。

そのとき、時計は止まり、世界は止まる。

時間は消え、「無時間」の状態になる。

理解から体験へ

サラハはこれまで何度もそれを聞き、読み、考え、議論してきた。

「真ん中にいることが正しい」と。

しかし初めて、

それを「行為の中で」見たのだった。

女性は右も左も見ていない。

ただ真ん中に集中している。

結び

真ん中とは、超越が起こる地点である。

それについて考え、瞑想し、日常の中で観察しなさい。