きのうの記事に、

「それって本当に鬱病だったんですか?」
ご質問いただきました。


はい、たぶん。

お医者さまには、「うつ病です」と言われました。


救急車を五回?くらい呼び、
ブラックリストにのり、
深夜の当直のお医者さまにも、イヤな顔をされていました。




そんな自分が、すっかり元気になれましたのは、

きのうも書きましたが、

うつ伏せに寝て、
椅子に座った人に
後ろから足を引っ張り上げてもらうやり方でした。



マンガに出てきますような
手裏剣の形をした電気が、
体内から出ていって、
ビリビリしたと思いましたら、
抜けました。




かなり大量の電気が抜けたのだと思います。



よく、「体内静電気が体に悪い」と言われますが、
それだったのかもしれないです。


~~



さて、私のピンチシリーズ第3弾。


本当に、ヤバかった時の話を書きますね。



それは、2001年12月のことでした。



岡山大学大学院に40歳で通っていた私は、 
疲れがたまっていたのか、
2001年12月に病気になってしまったのでした。


幸い、試験は終わっていました。



血小板減少性紫斑病、
C型肝炎でした。



血小板が、わずか10000しかなくなっていました。普通の人は、14万だそうですので、10分の1以下でした。  
 


井原市民病院では、
◯脾臓を取りましょう
骨髄移植をしましょう

と 言われました。


福山市民病院にセカンドオピニオンをもらいに行こうかと思いましたが、

筋反射テストをしてみますと、noと出ました。

私は、オーリングテストという筋反射テストが当時、得意でしたので、


「なんで治る?」
とオーリングで聞きました。


「せいたい」


整体、と出ましたので、

電話帳を持ってきて、
あ行から順番に調べました。



そこで、2つの整体院を見つけ、そこに通ったのです。


1つは、岡山市
もう1つは、福山市。



坂本恒夫先生という福山の整体院を始められた老先生が、ちょうど同じ頃に倒れられていて、
私の電話は つながりませんでした。


岡山市のほうにだけ通い、
銭湯などで悪いものを出しながら過ごしました。



3月。


たまたま、また かけてみましたら、今度はつながりました。


広島市から、毎週1日だけ、お孫さんの先生が帰ってこられて施術されていたのでした。


そして、3月から、私はそのまま 弟子入りしたのでした。


そこから9ヶ月もの長い間。

弟子入りして、
大学院の学業とダブルワークしました。


岡山市のほうも、のちに
合宿に行かせていただいたりして、学びました。



病気のほうは、


それ以来、お医者さんに行ってなくて、


「そろそろ、治ったんちゃうかな」
その夏に行って検査してもらいましたら、

血小板は12万に増えていました。

C型肝炎も、治癒していました。


「まれに、ひとりでに治る人がいます」
福山市民病院前の先生がおっしゃいました。



私は、それでした。






整体と気功が良かったのだろう、と自分では思っております。



薬も、治療もナシで
自然に良くなっていてラッキーでした。




今でも、検査していただきますと、
「C型肝炎をやったあとがありますね
と言われます。



やったあと、というのは
どうやら、取れないようですね。





岡山大学大学院。
1年目の終わりから、そんなことになって、

ほうほうのていで、ようやく出席していました。



指導教官の先生のおかげさまで、
なんとか終了させていただきました。



留年もせず、
修論は英語で100枚も書いて、
成績も、なんとか、それらしいのをいただき、感謝しております。



岡山大学は、思いやりのあるいい大学でした。感謝です。



成績を初公開しますね↓





まあまあでしょう♪



私は、自分を治してくれた福山と岡山の整体院に
両方とも弟子入りしまして、
福山のほうは、強い刺激をするので、治らない時もあったのですが、その欠点を克服する手法を見つけたのです。 
  

岡山の整体院では、昭和初期に活躍されていた
藤原修雪先生のワザを使っていたのですが、
そのワザを完コピしてなくて、
習った林先生というかたが

「自分が開発して作った」
と おっしゃって、整体の一派を立ち上げられたものですから、

形だけを単純にマネしているところが多くて、 
本質を、私は見つけたいなと思って
ほとんど泣きながら研究し、
絶対、見つけてやる
と 誓いを立てて歯を食いしばって実験していたら
鬱病になった、と書きましたのは
前の通りです。


そこは、道を決めたら全力で
一直線にまい進して 極めるまでやる
という自分の性質が 役に立ったのだと思います。 
 
 

今は、誓いが ほとんど達成できましたので、
気功整体は、逆に、求めていらっしゃるかただけに
お伝えして、
 

自分は、この人生で、
最後にやりたいこと【表現】をする方向に、徐々に転換しつつあるのだろうと思います。

  
  
まあ、英語も、やり出しましたら
英検1級を取るまでやめず、
1987年に、1級を取り、
そればかりか
1990年1月には
通訳案内士まで習得できましたし、 
 
 


バレーボールでも、上智大学体育会女子バレー部で
8部にいたチームが、3部の入れ替え戦に行けるまで
ずっと4年間レギュラーで
最後は、エースアタッカーで頑張りましたし、 
  

さらに言えば、
顧問のバレーボールチームが
最初は3年生が3人しかいないチームでしたが、
7年後には、部員31名の大所帯になり、 
岡山県県大会の2位シードと
鳥取県気高杯で準優勝できるまでになりました。 
 

 
(そうなるまで、やる) という性質が
自分の中に、あったのだろうと思います。 
 
 
 
そんな自分が、泣きながら誓いを立てて
【人を治せるようになりたい】

その誓いが、ようやく 実現できてきた今日この頃、
 

逆に、
ようやく
「自分のため」に
生き始めてきたのだなぁと思います。
 
 
 
役割をすべて脱いで
残ったのは、
「表現してみたい」
という
子どものようなココロだったのでした。 
 
 
 
今でも、
頼まれれば 英語の ちょっとした通訳も
翻訳もできますし、 

バレーボールも まぁまぁできますし、 
 
英語も教えられますが、 
 
 
もちろん、気功整体も、
お客様が満足される結果も出せます

が、
 
しだいに、それが

「自分を表現する」
方向に、徐々に 移行しつつ、あるのかなと思います。
 
 

  
 


大阪気功 太田マスミ masumiota313@@gmail.com
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