人の真価について語りたいと思う。
人の真価は、
その人がどこに集中して生きているか
その集中にもとづいてどんな言動をとっているかで
決まるといって良いかも知れない。
その人は自分を大きくみせるマウントに集中しているのか?
人を陥れることに集中しているのか?
良い仕事をすることに集中しているのか?
目の前の人の前進に集中しているのか?
より良い社会に集中しているのか?
スピリチュアルな分野でよく言われる「目覚め」とか「悟り」とか「覚醒」というのは、
この「何に集中しているのか?」の矢印を自分に向けることである。
「自分は今、何に集中しているのか?」
すると、自分がいまどこに集中しているかの現在地がみえてくる。
現在地がみえたら、いきたい方へ集中し直すことができる。
人は他人のことはよく見えるが自分のことはよく見えていない。
自分の中で渦巻いている言葉や想いはどんなもので、その根底にはどんな想いがあるのか、
表層には、いろんな言葉で覆われているかも知れない。ベクトルを他人に向けてあーだこーだいってる自分がいるかも知れない。それを責める必要はなく中立の視点で、もっと深く突っ込んでみていく。
今の自分より少し上の視点で、上から自分を見下ろすようにみると、自分を客観的にみることができる。
そうすると自分の言い分も理解できるけれど、同時に他人の言い分も理解できる、という観察ができるようになってくる。
そうなると冷静な視点になってくるので、自分はどこに集中したいのかを選び直すことがしやするくなる。
自分目線で視点が低いと、いつまでも目の前の障害にぶつかってばかりかも知れないが、
視点をあげていろんな立場を理解することで、よりよいゴールに軌道修正をすることができるかも知れない。
その中には自分にとって苦い教訓もあるだろう。
この考えは安直だったな、とか、集中する先を間違えていたなとか、色々見えてくるかも知れない。
誰だって自分が正しいと思っていたい。だから自分にとって苦い教訓をみようとする者は少ない。けれど、それゆえそこには大きな変化点が隠れている。
この観点はある意味、自分自身に厳しいとも言えるかも知れない。
でも、これは自己卑下でも反省でもなくて、自分を本当に愛しているからやることなんだ。究極のエゴイストは、究極の平和主義者であるように。
悟りを求めて、日々精進する者は、最も欲深い人間だ。
haru.
