ここ最近、「自分らしさ」にやっきになっていた私ですが
私の場合、「自分らしさ」ということ自体にフォーカスすると
「何がそうなんだろう?」と更に疑問を生み出していました。
「自分らしさ」=「人と違う個性的な部分」
という概念が自分の中にあり、
人との違いを見つけるために
「人と比較する」という思考を無意識にしていました。
比較というと単に「同じところ」「違うところ」を見つけるだけでなく
「良い」「悪い」と優劣をつけてまいがちです。
自分と人を比較して、無意識に優劣を付けていました。
それって、
「桜の花とひまわりとどっちがキレイだと思うのか?」
と考えることと同じです。
どちらもキレイですよね!?
もし、どうしても選ぶとすれば
どちらが「自分にとって、好きなのか?」なだけで、
どちらが良い、悪いでもないんですよね。
そこで、”自分がやりたいこと・好きなこと”にフォーカスしたとき
「比較する」ことから、解放されました。
「自分がやりたいこと、好きなこと、表現したいこと」を
積み重ねた結果、私らしさというものが
個性としてにじみ出てくるのだな、と今更ながらふと気付きました。
今までの行動は、「私らしさ」なのに
こう見られたいという思いから
「私らしさ」をつくっていました。
自分らしさは、その人からにじみ出るものであって
「つくるもの」では、ないですよね。(私見ですが。)
人と比べるものではないなぁ、と改めて氣づいたのでした。
私の場合、「自分らしさ」ということ自体にフォーカスすると
「何がそうなんだろう?」と更に疑問を生み出していました。
「自分らしさ」=「人と違う個性的な部分」
という概念が自分の中にあり、
人との違いを見つけるために
「人と比較する」という思考を無意識にしていました。
比較というと単に「同じところ」「違うところ」を見つけるだけでなく
「良い」「悪い」と優劣をつけてまいがちです。
自分と人を比較して、無意識に優劣を付けていました。
それって、
「桜の花とひまわりとどっちがキレイだと思うのか?」
と考えることと同じです。
どちらもキレイですよね!?
もし、どうしても選ぶとすれば
どちらが「自分にとって、好きなのか?」なだけで、
どちらが良い、悪いでもないんですよね。
そこで、”自分がやりたいこと・好きなこと”にフォーカスしたとき
「比較する」ことから、解放されました。
「自分がやりたいこと、好きなこと、表現したいこと」を
積み重ねた結果、私らしさというものが
個性としてにじみ出てくるのだな、と今更ながらふと気付きました。
今までの行動は、「私らしさ」なのに
こう見られたいという思いから
「私らしさ」をつくっていました。
自分らしさは、その人からにじみ出るものであって
「つくるもの」では、ないですよね。(私見ですが。)
人と比べるものではないなぁ、と改めて氣づいたのでした。