11日にお知らせいたしました

新しいセッション「内観・フィードバック・セッション」の誕生ストーリーです。


昔から、好奇心旺盛でした。

そんな中、どれも興味があってどれが一番やりたいのか分からないとなり

まずは、経験だと全てやってみました


興味だけの行動動機です。

行動した後、自分を見つめるということをしないと

自分の中で確固としたものもないまま行動することとなります。


すると諦めは早いですし

「出来ない」を学習してしましました(涙)

「出来ない」を学習してしますと

やる前から「また失敗するかも」チャレンジ精神がどんどん減少したのです。


「失敗は、成功の元」と昔からよく言いますが、

自分の内面をしっかりと見つめて「己」をよく知っていないと

「失敗から学ぶ」ことが難しくなり

「また失敗するんじゃないのか?」と「失敗することを学ぶ」になってしまいます。


私は幼い頃から、空想することが大好きでした。

社会人になると「内省・内観」という言葉を聞くようになりましたが、

今から思うと空想と内観の境界線がとてもあいまいでした・・・。

「内観」とは、読んで字の如し自分の内側を「観察する」ことです

三省堂提供「大辞林 第二版」によると

(1)〔仏〕 精神を集中して自分の心を観ずることによって、自己の内部にある真理や自己の真実の姿を知ろうとする瞑想による修行法。観心(かんじん)。
(2)自己の内面を見つめ、そこにあるものを探求すること。内省。
(3)〔心〕〔introspection〕自分自身の心の動き・状態を自分で観察すること。自己観察。内省。


「空想」というと・・・

三省堂提供「大辞林 第二版」によると

(1)現実にはありそうにもないことをあれこれ頭の中で想像すること。
「―にふける」「未来の生活を―する」
[哲学字彙(三版)]
(2)〔仏〕「空見(くうけん)」に同じ。


こう比べてみると一目瞭然ですが、自己の内面を見つめるって

「言うは易く、行うは難し」です。


自己分析のテストをやってみたり、

自分史を書いてみたり・・・


自分が普段見ていない内面を掘り下げれるような

適切な質問が投げかけられたり、

静かで穏やかな環境がないと、なかなか難しいと身をもってしりました。


また、目の前の現実が自分の受け入れ難いものですと

弱かった私は、逃げの体制に入り、

内観から空想に瞬時に早変わりしていたのです。


日々、目の前の雑多なことに追われて いると

「内観」の時間を取るだけでも大変でした。


「忙しいし、まぁいいや」となっていました。


これを続けると、強制的に内観の時間を取ることとなります。

病気をしたり、事故に遭ったり・・・

忙しいを止める出来事が起こります。


これは、「心の声に耳を傾けて」というSOSの信号です。

内観できる時間を取るように自分に教えているのです。

(そう、一見すると悪いことのようですが、自分で引き寄せているのです。)


「なんでこんなときに!」ということがもし、起きたときには

忙しくして心を亡(無)くしてないか?

自分の心の声を無視していないか?

優しく、自分自身に尋ねてみてくださね。


長くなってきたので、明日に続きます。