今日は、子供のお絵描き&工作する場のボランティアに行って来たけど、
研修の時に、大人が言っては行けない事などを聞いた。
●とにかく自由にやらせる。
●子供の行動には全て意味がある。
描きまくるのも、全く描かないのも、遊んでるのも、ひたすら色混ぜてるのも、
体をどろどろにしてるのも、全部理由があってやってる行動。
●子供は言葉の語彙力がない分、絵で話す。
●「これなに?(いぶかしげに言う)」
「なんでこの色塗ってるの(太陽が水色とか)」
「まだ余白残ってるやん」
「早く描いて」
などは、子供が絵が嫌いになるきっかけになるので絶対言わない。
どんな意味の解らない絵でも、ちんちくりんでも、すべて受け止める。
そして、子供が完成とみなしたものは、大切に大切に扱う。
作品=自分だから。作品を粗末に扱われるとものすごいショック受ける。
●子供を、大人に接するのと同じように1人の人間として、同じ目線で扱う
子供は全部察してる。自分に注意を向けてくれてるか、大人が無理してるかも解る。
●ボランティアは、子供の可能性をのびのび伸ばすための責任があるプロフェッショナル
など、色々あって、どれもがそーだよなぁ~~~と感じ入る事ばかり。
特に作品を大切に扱う事。作品=自分である事。
私、自分の描いたものにあまり執着なかったけど、
大切にしてただろか。。自分そのものを大切にしてなかったかもしれない。
大人の発言について話してたときに、昔の記憶が出て来た。
心の中にずっと残ってる先生の言葉↓
******
小学1年
「絵を描く時は、『灰色のクレヨン』で『輪郭を描いてから』、絵の具を塗る事」
と先生に習って、その通りにみんなしていた。私もそうしていた。
小学4年
「差別をやめよう」の標語ポスターを描かされた時、
友達が「差別」の文字をコンクリートみたいに表現して(灰色の立体文字)
小人が文字を壊してる図を描いた。背景は黄色一色。
私は「差別は醜いものだから、醜い色にして、
差別を無くす=文字を壊す、という意味だろな」と思ってたのに、
先生が「なんでそんな汚い色塗るの」と言ってた。
中学3年
美術は得意だったので、私はいつも褒められてたけど
ある時、友達の絵に「そんなの絵じゃない」と先生が言って、
心の中で「えーーー・・」とドン引きした。
******
ボランティアの先生
「直接言われてないあなたがそんなに覚えてるって事は、
言われた本人はどんなにショック受けてると思う?
『絵は無理なんです』って言ってる大人は、
そういう経験してる人もたくさんいる」
と言って、私被害にあってないのに、二次ショックだった。
帰り道、「絵を描く時は、なんで灰色のクレヨンで輪郭を描かなあかんのか、
ピンクでも青でもええやん。絵を描く順番なんてどうでもいいやん。」
とグルグルしだした。
今は昔の描き方してないとはいえ、
灰色クレヨン輪郭→絵の具にしなきゃ行けなかった事に、
なんの疑問も感じなかった。
急に、呪縛が解けた感じ。
今まで子供に接する環境じゃなく、
今日はもう、緊張ピリピリで子供に意識120%向けて疲れました。
ずっと一緒に6歳と5歳の兄弟と工作してた。
材料は、空き箱とか、つまようじ、空パックなど、
大人からしたらゴミ系ばかりだけど、子供は熱心に選んでつくって、
作ってる物体以外の見えない空間も想像の世界になってて
すごーーく感心したー。
そういえば、子供の時、ゴミ系素材でも自分ワールドで立派なものになってたな。
ボランティアの先生の本を買ったんだけど、
そこに載ってる子供達の絵がほんと面白い。
え、こんな色の塗り方、私には絶対出来ないって思った。
大人の絵より好きかも~~~
小中学校の美術で、4とか5とかで数字判断する意味ってあるのかね?
その基準はどこ? 教育ってなんなのかねー。
大人が都合良く扱いやすくするのが教育なのかね。