前回の続きです
カラフルKが少しづつ前進し始めた頃
それまで間借りしていたオフィスを突然
出てゆかなければならなくなり。。
自分の荷物を、つめられるだけバックに積めこみ。。
(今思うと荷物もまだ本当に少なかった・・)
最後に忘れそうになった電話機を慌てて手近な紙袋に
入れて、オフィスをあとにしたとき
紙袋からはみ出した電話機が目に入り、
なんだかとても情けない様な気持ちになって
泣き出しそうになりました。
その時に、当時支えてくれていた彼女が隣で
「先生〜
大きな携帯電話ですね〜![]()
紙袋に入れて待ち歩くんですか?
笑」
と軽やかにジョークを言ったんです。
次の瞬間、その場で紙袋を抱いたまま
2人で座り込んで笑い転げました。
いつもこうして、私は深刻になりそうになると
この人の明るさに救われている
と実感した印象的な出来事でした。
その後、教えて頂いた場所へ案内されて
横浜の西口にある、とある会社へと伺いました。
初対面の社長は、冷たい訳でもなければ、
かといって、笑顔な訳でもなく淡々と
簡単なご挨拶と名刺交換を済ませて、
「話は聞いています。この辺を使ってください」
と。
「どうぞ」と言われたからといって
初めてお会いしたかたの会社で、
「ありがとうございます、では使わせて頂きます」
でもないでしょう??
おかしいでしょう?
と私本人が最もそう思っていましたし、
社長のご様子も
言葉にはしないまでも
お仕事でお付き合いのある方にとりあえず
“しばらくだから”ということで頼まれて。。
仕方なく。。
というムードを感じました。
思いがけず居候させて頂く事となったその会社は
古くから堅実に誠実にお仕事をして来られた印象の
会社でした。
社内は、社長を象徴するかの様にいつも静かで
落ち着いていました。
私は、与えてもらったスペースに感謝をして
お借りした1つのデスクにまず、紙袋から出した
電話を置きました。
あの頃の私は、まだこういった状況になす術もなく
自分の進む船を、目を離さない様に見守るしか
出来ませんでした。
まだ自分で、オフィスを借りるには資金不足でしたし
当時は「法人」でないと貸さないというビルも多く
法人にするには、資本金が必要な時代でした。
会社ってどうやって立ち上げるの?
書類は?などなど。。
山積みの問題を前に
私にはどうすることも出来ないと思っていました。
でもきっとこの時、私の潜在は、
絶対に、なんとかなる!
と自分への信頼は失っていなかったと思います。
社長は、口数が少ない物静かなかたで、
必要最低限以外の事で、言葉を交わす事は
なかったですが、私に営業日を聞いてくださり
その頃、どうしても外せなくなっていた
カラフルKの土曜日の営業日には、休日出勤して
鍵をあけて下さいました。
私が居る間は、別室で過ごされていたご様子でしたが、
私が帰る支度をはじめると、再び静かに会社を整えて
鍵を閉めて帰って行かれていました。
今振り返っても、本当に、縁もゆかりもない私に
よく、こんなにして下さったと感謝がつきません。。
何一つ私に対して、なにか言う事もなく
ただ静かに見守って下さっていました。
それでも。
私には、とても居づらかったのです・・
お仕事上、前のオフィスのオーナとどのような
お話だったのかは私にはわかりませんが
少なくとも私自身は、ご厄介になる理由もなにも
ないのに、そこに居る。
それが私にはしんどかったのです。
悩みに悩んで、私は4ヶ月後に、そのスペースを
あとにしました。
これもまた不思議ですが。
資金の必要に迫られていったその頃、幸いな事に
運営するスクールに生徒さん達が習いにくるように
なったり、専門校で色彩の講師も次々頼まれて
昼夜を問わず仕事をしました。
更にそれまでの貯金を加えて「有限会社」を立ち上げ
近くのオフィスを借りる事にしました。
私はこの居候した、4ヶ月でいかに自分が甘ったれて
いたのかを、反省しました。
2年間も電気代だけでおいて頂き、
自分には、サバイバル意識が低かった事を痛感し
人の好意にあぐらをかいていた事を恥じました。
そんな事にも気がつかない私に、天は一撃を加えたの
でしょう。
この4ヶ月という時間も、わたしには必要な
苦しみでした。
かといって、予行演習の訓練を終えたカラフルKが、
本当の大海へと漕ぎ出すには、資金不足なのは
まぬがれず。。
今の仕事が継続的にあれば、月々はなんとか
払えるはず。。
という
ハラハラドキドキ。。の大冒険でした。。
それでも
どなたかのスペースで、居候をする想いをしたら
どんなことをしてもここで頑張ろうと思いました。
それが
最初のカラフルKが単独で借りたオフィスでした。
その後徐々に、百貨店でのパーソナルカラーのお仕事や
専門校から紹介された仕事をこなす様になってゆきました。
そして、その頃横浜みなとみらいでは
日本で最も高層のランドマークタワーに華々しくオープンした
ホテルが在りました。
私はどうしても、そのホテルでパーソナルカラー診断の
お仕事をご一緒させて頂きたくて早速、お伺いしました。
その際に、お会い下さった方は、初対面の誰とも分からない
私の名刺をテーブルに置いて、丁寧に私の話に耳を傾けて
下さいました。
そして
「本日はお越し頂いてありがとうございました。
前向きに検討したいと思います。」
と笑顔で言って下さいました。
でも、これまでも、そういって下さっても
社交辞令でしかない事も沢山経験していた私は、
「あのようにおっしゃっただけで、どうせ
検討なんてしてもらえない。。」
と思いながら、ホテルを出ました。
そして、きっと一生忘れる事はない瞬間が
今も昨日の事の様に蘇るのですが。。
ホテルを出て、ふと振り返ったときに
見上げたホテルはとてつもなく大きくて。。
立派で。。
このホテルを見上げて
その時、自分に
「どうせ検討なんてしてもらえないってなに?
私自身にまだ、そんな偉そうな事を言う程の経験がないのだから、
当たり前だよ。
逆に“一緒にやりましょうか?”と言ってもらえる様な自分に
ならないといけない!
絶対に頑張って、このホテルでいつかカラー診断をやらせて
頂ける自分になる!一生懸命頑張ります!」
と、本当に声に出して言っていたのです。。笑
その後、私は、その事を目標に
横浜市内の様々なホテルでのブライダルフェアで
カラー診断をやらせて頂き、折りをみては憧れの
現横浜ロイヤルパークホテルさんへ伺ったりお便りを
出し続けました。
その一方で、当時から今も伝説を作りづける
ブライダル雑誌のコーディネーターというお仕事を
頂きました。
東京の老舗ホテルの7つ会場をコーディネートする
という大役を頂いて、それは嬉しくてたまらなかったのを
覚えています。
ところが、そこで私は、いま思い返しても、この仕事をして
29年の経験の中でも、あれほど辛い経験はなかったいう
痛烈な洗礼を受ける事になりました。
長くなるので。。
続きはまたこんど、書きますね・・![]()
最後まで
読んで下さったかたありがとうございます。
Love
Satya








