今年もいよいよ残すところ1日となりましたね。

本日
和尚アートユニティさんのメルマガに掲載頂いた
今年最後の私のエッセイです

私の想いはずっと同じ。

オーラソーマが特別なものとしてではなく
日常に当たり前に取り入れられてゆく事。

歯を磨く様にポマンダーでエネルギーを
美しく整え、お風呂に入る様に
クイントエッセンスでリラックスする。

自分の身体を愛する様に、ボトルを使ってゆく。

今回は、
末期がんに冒され、一年の余命宣告を
受けた私の叔母が、オーラソーマのボトルと共に
最後の命を燃やした日々。

天使の名前すら知らなかった彼女が、最期に
いのちの伝言を託した大天使サンダルフォン。

長文ですが。。
宜しければ是非ご覧下さい。


「時代と環境に合わせたオーラソーマの生かし方」  

“病いの時にオーラソーマはどのように使えるのか?”

賑やかだったクリスマスイルミネーションから一変して

一夜明けるとすでに街は、日本の伝統的なお正月の装いを
見せはじめましたね。

様々な宗教が共生出来る、これが日本の素晴らしく
柔軟なところですね。

さて、今年もこの時期にまた記事を書かせて頂くことに
感謝しております。

今回は、タイトルで誤解があってはいけないと
思ったのですが。

これは、当然、オーラソーマを薬の様に使う
という意味ではありません。

これからご紹介することは、実際に私が、
末期の肺がんを宣告された叔母との実話を元に
彼女と共にどのようにオーラソーマを活用したか
というご紹介です。

もちろん、ガンの方に限らず
病気を患っている方が側にいらっしゃったり
ご自分の体調が良くない方々にも
オーラソーマのボトルやその他のものを
「こんなふうに使う人もいるんだ・・」
とか、
「こういうふうになら使ってあげられるかも」
など、なにかヒントにして頂けたらと思います。

私の家系にはそれまで身近にガンを経験した者が
いませんでした。

しかも、末期の宣告は晴天の霹靂。

ですから、なにをどのように捉えて、
どこまで医者のいう通りにしたらいいのか?

他に方法がないのかなど、私も含めて、
彼女の周りの人間は混乱していました。

一方、本人はショックが大きすぎたのか
どの瞬間もとても静かでした。

慌てる様子もなく、一番落ち着いてみえました。

手術は出来る状態ではありませんでしたが
一般的な西洋医学に基づく治療も開始され
放射線、抗がん剤治療がスタートしました。

それと同時に、私は病院に許可をもらい
通える限り、3日に空けず彼女の身体にボトルを
塗り続けました。

それまで、オーラソーマを良く知らなかった叔母は
自分でも使い方を覚え、私が数日行かれなくても
ボトルの中のオイルは減っていきました。

どういう時にどのボトルを使うかなどは
ガイドラインはあっても、人の身体も状況も
もっといえば経験して来た過去の出来事も
全ては千差万別です。

また、これまでこういう状況の人に
自分が実際にボトルを塗った経験もなかったので
このボトルの選択が正しいとか間違っているということは
考えませんでした。

考えてもそこに答えはないからです。

ただ感じた事を信頼して使ってゆく。
それだけでした。

その時に応じて様々なボトルを使いましたが
主として使っていたのは、
B89エナジーレスキューを両足に。



そして、背中と胸には
B3ハートレスキューをたっぷりと使いました。


最初に私は、彼女の身体が消耗しない様に
エネルギー維持の必要性を感じて、
赤い色を使ってあげたいと感じましたが

その場合、オーラソーマにはチャクラセットという
身体のそれぞれの部位に最も適したものがあり
足にはB5のサンライズボトルが推奨されています。


最初にそのボトルも使用してみたのですが。

「なんだか違う」という感覚があり
B89のエナジーレスキューのボトルが

とてもいいように感じて
それからはずっとそのボトルを使用していました。

本人の体調もあると思い、毎回使う前には
「ボトルを塗ろうか?」
と確認をしてから行いましたが
彼女は決まって頷き、ベットから椅子へ移り
自らズボンを膝上までめくり準備をしました。

そんなとき私は決まって
叔母と向き合う様に足下に正座して座り
私の膝に彼女の足を片方づつ載せてもらって
ひたすらボトルを塗りました。


ボトルは必ず、お湯をはったボールに入れて
人肌になったものを使用しました。

叔母は
「これを塗ると身体がしゃんとする」
と言っていました。

そして肺を患っていた事と
本人のバースデーボトルでもあったので
B3のハートレスキューのオイルを
彼女の胸や背中に広くたっぷり塗りました。

いつもこのオイルは彼女としっくり来ていました。
彼女は
「呼吸が、すーっとする」
という表現をしていました。

ボトルは薬ではなく
治療をする為のものではありません。

でもそれが私にその時出来る精一杯の事でした。

彼女の身体がひとときでも楽になることは
救いでしたし、触れる手のひらからは
彼女の「いのち」を感じる事が出来ました。

私が生まれた頃からほとんどの時間を
共に暮らして来たその見慣れた背中は、
確実に小さくなってゆきましたが
いつもきれいに輝いていました。

ある時、天使の名前など聞いた事もなかった彼女に、
サンダルフォンという大天使のスプレーをもってゆき


「これはね状況に最善をもたらすよ。
       祈りを届ける天使なんだよ」

と、言って2人で頭の回りにスプレーしては
ケラケラと笑い、ふと周りを気にして、
人差し指を口に当てながら、「し~っ」と
笑いをこらえる。

それでもなんだかまた可笑しくて
ベッドを囲む様に下がる仕切りカーテンの中で
ふたりで笑い続けました。

それは、まるで子供が親に隠れていたずらをして
喜んでいる様な感じでした。

彼女はずっと朗らかで、穏やかで、
静けさの中にいました。

どのような治療もただ静かに受け入れていました。

病院に訪れる度に
「どう?大丈夫?」
と聞いても、きまって
「大丈夫」
としか答えませんでした。

そしてその返事はどんどん子供の様に
なってゆきました。

弾んでいる様にさえ感じたのです。

そんな貴重な時間が過ぎてゆき
日々増えてゆく強い薬に彼女の体力は
追いついてゆかなくなってゆきました。

私は丸一年、毎日毎日彼女の守護天使である
ネマミヤの名前も呼び続けました。

守護天使とは、その人の誕生日の前後の5日間に
非常に近いところに感じられるといいます。

叔母が、その身体から光へと移行してゆく準備をしていた頃
叔母の守護天使がちょうど5日間の滞在を
終えようとしていました。

そして私の祈り通りにネマミヤは
叔母の誕生日の翌日に、優しく彼女を腕に抱いて
共に光へと還ってゆきました。

その後、彼女の遺品を整理していた時に
あのサンダルフォンのスプレーが出て来ました。

なにがそんなに可笑しくてケラケラ笑ったのだろう・・
と思い返しながら、スプレーを手にすると。

ほとんど空っぽになっていました。

天使の名前すらしらなかったのに。

これまで、使った事もなかったのに。

私がいない時にも彼女は使っていたのでしょう。

その時、彼女の「いのち」を再び感じました。

何も言わなかったけれど
もう少し生きたかったに違いないと
彼女の当時の心の叫びを聞いた様に思いました。

でもこの時間の中で
オーラソーマはボトルやアークエンジェロイを通して
確実に私たちにお互いのハートの繋がりを
感じさせてくれました。

新たな治療方法を求めてあらゆる病院を探し廻り
中々彼女の元に行かれなかった時
大人しかった彼女が一度だけ私に言いました。

「もう充分だから、それよりも会いに来て。
またボトルを塗って」と。

植物や鉱物の命が息づいたボトルから
私たちは再び自らの命の尊さも感じる事が出来ます。

そこに何が正しいとか間違っているという事はなく
ただ愛に基づいて、信頼してみると
必要な色が見えてきます。

愛する人にも自分にも
まず正しく使おうとする前に
愛を持って使ってみて下さいね。

身体はとても賢くて
ちゃんと声を聴かせてくれます。

この一年もまた
こうして私のエッセイを読んで下さって
そしてコメントを下さって本当に
ありがとうございました。

新しい年も、みなさまにとりまして
愛と彩りに満ちた一年となりますように。


       Satya(かしむらかおり記)


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