
coharuです。
私は子供時代の母との思い出(記憶)が
スコーンと抜けている時期がある。
脳には自分を守るために、辛い記憶を
消してしまうことがあるようで
消すというより心の深い深いところへ
しまうようで何かのタイミングでそれが
浮上することもあるらしい。
その期間に何があったのか
無理に思い出そうとは思ってなくて
思い出す必要があることなら
必要なタイミングでそうなるだろうと
思ってる。
だた、昨日とある人との会話で
子供時代の話になって
「お母さんにちゃんとしなさい、って
言われ続けて辛かったんだろうね」
と言われた瞬間
涙がぶわーっと出て嗚咽
自分でも何が起こったのか一瞬
わからなくてしばらく呆然・・・
頭ではそう言われたことを
思い出せないのだけど
魂はYESと言っている
そんな気がした。
私の母はがさつでだらしない人
だから悪気なく言った一言が
私にはナイフのように刺さる
ことがあった。
「ちゃんとしなさい」
何をもって「ちゃんと」なのかは
わからないけど
だらしない、ちゃんとしてない人に
「ちゃんとしなさい」と
言われることの矛盾に
今なら気づくけど
子供のころは
親の言うことが絶対だったし
共依存は始まっていたから
矛盾にはまったく気づかず
ただただ、
母にとっての理想の娘に
なるよう必死だった気もする。
劣等感の塊の母は
「私なんて・・・」という言葉を
よく言っていたのは覚えている。
自分の劣等感と対峙することなく
母は理想の娘を作りあげることで
自分の劣等感のバランスを
とっていたように思う。
だから私には
「ちゃんとしなさい」
「だらしないことはするな」
「勉強しなさい」
「しっかりしなさい」
そういうことを言い続けて
きたのだろうと思う。
抜けてる記憶を除いて
覚えている限りでは
「ちゃんとしなさい」
という言葉を
弟たちに言ったことはない。
どんなにだらしない姿を
弟が見せようと本人には言わず
それを私に言ってきた。
そして私はどっぷり共依存
だったから
まるで母のコピーのように
弟たちに
「ちゃんとしろ」と言っていた。
会社では
他人に対してよく
「あの人はちゃんとしてない」
「あの人はほんとだらしない」
そういうことを口癖のように
言っていた。
そして、無職となって周りに
批判する人がいなくなった今
360度の鏡に映るのは
だらしない自分
ちゃんとしてない自分
何もやる気が起きなくて
何をしたいのかもわからず
全てめんどくさいと思ってしまう
そんな自分の姿を情けないと思い
でもどうしていいのかわからなくて
悶々としてて
時々入る転職の面接すらも
めんどくさくてキャンセルしたり
いやいや行ってみたり
そんなことを最近続けていた。
そして休むことの罪悪感も
抱えていた。
心のどこかで、今まで必死に
がんばって仕事してきたという
自負がないので
今休んでいることに申訳なさや
焦りを感じていた。
毎日残業で終電で帰宅する
みたいな忙しさをがんばること
だと思っていて
自分の裁量で仕事をこなせることを
能力と思っていなかったから
今まで
テキトーに仕事してきた自分には
休む価値はない、とも思ってた。
休む=ちゃんとしてない、だらしない
だったから。
でもこれらすべては
母が理想の娘を作るために
言い続けてきた
「ちゃんとするべき」という呪い
が、私の大大大前提としてあったから。
今まで心のしくみを勉強したり
自分の心に向き合ったり
いろいろやってきてたけど
すごく表面的というか
わかったつもりでやってたんだなー
って思った。
家のリビングにソファを
買いたいのだけど、買ってしまうと
心地良くてだらけてしまう、という
不安があったから
なぜかずーっと躊躇してたんだけど
その躊躇してた理由も
ちゃんとしてない自分になる恐れ
から来てたんだともわかった。
衣食住足りてる今の無職期間も
どこかゆっくり休めず
家の中にも落ち着く場所がなく
なんともいえない閉塞感を
感じ続けていた原因は
頭では思い出せないけど
心は覚えている
「ちゃんとするべき」
という母の呪いだった。
昨日はいっぱい泣いて疲れて
お風呂にはお塩いっぱいいれて
浄化して寝たのに
夜中、お腹が痛くて目が覚めて
すっごい下痢・・・o(;△;)o
何度かトイレとベッドを
行ったりきたりしてるうちに
ようやく落ち着いた。
デトックスだね、きっと。
「ちゃんとしなくていいのよ
ちゃんとしてない人に限って
人にはちゃんとしろって言うものだから
結局みんなちゃんとしてないの」
そう言われてね、
呪縛から解放された気持ちになったよ!
ちゃんとしなくていい
だらしない自分を
楽しんでみようと思います!
最後まで
読んでくださり
ありがとうございます。