3.11に生まれてー「いま、ここ」わたしを生きる | こころひとつのおきどころ  

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coharuです。


今日は誕生日でした。

思ったこと考えたこと
書いておきたいと思います。



5年前の震災

多くの方が命を落とし
多くの方が悲しみに暮れ
恐怖に怯え

5年経った今も
健康面や住居などいまだ
不安を残す一方で

産業は活気を取り戻し
復興は着実に進んでいると
希望も持てるようになりました。


日本中からの応援や
世界中からの支援を

見聞きするたび
国という括りでなく

人間同士の結びつきのような
とてもあたたかい愛を感じる

そういう世界に自分は生きて
いるんだという感動も覚えました。


原発をはじめ震災関連について
問題を探せばそれこそいくらでも
見つかると思います。


だけど私は
私の見ている世界を
私自身が心地よく幸せで
いられる場所にしたいので

愛ある方を
向きたいと思っています。


自分が生まれた日は
本人にとってはもちろん
親や家族にとっても特別な日

誰にとってもそうだと思います。


イヤなことがあっても
何か良いことがあれば
人生ってそんなに悪くないかも
って思えた時とか

愛を知って
人生の素晴らしさを
心から感じた時とか


そういう
今までの視点が
ちょっと変わったときや

世界がちょっと
違って見えたとき


命あって
「いま、ここ」に生きていることの

ありがたさ
すばらしさ
たのしさ

そしてそれが奇跡でもあるんだと
感じることができる。


生まれてきたこと
存在していること

それだけで奇跡なんだと思える。


その特別な日が大惨事と重なり

もともと誕生日はひっそり
過ごしていた私ですが

さらにひっそり過ごすように
なりました。

自主的な自粛をしていました。

私ひとりが勝手に自粛しても
世の中何も影響ないのは十分
わかっていますが


私の心のなかで

大変なことがあったこの日に
お祝いなんてしてはいけない

いまだ苦しんでいる方がいる
のだから、その方たちや
亡くなった方々を思い偲ば
なければいけない


そういう罪悪感や
お祝い=悪、追悼=善とする
価値判断を

勝手に持っていました。


そして毎年複雑な思いで
この日を迎えていました。



だけど

お祝いと追悼は別のもので
(あたり前だけど・・・)

善悪の問題ではなく

お祝いも追悼も
愛あってのものだと思っています。


お祝いするから震災を軽視
しているとか

追悼するからお祝いは自粛
するべきとか


どちらかを選ぶようなもの
ではないとも思います。



過去-現在-未来 を
一本線でつなげて考えると

悲しい過去を「いま」も感じ
その悲しみを未来も感じる


過去を引きずり
未来を不安視するような

「現在」になってしまう。


だけど

過去~現在、現在~未来 の
「~」の部分には無数の点があって

それぞれの点が「いま、ここ」であり
それらがつながった結果が

ある点から見たら

過去となり未来となるんだと思う。


「いま、ここ」が
つながった結果が過去で

「いま、ここ」を
こんな風につなげていくと・・・
という仮定が未来

なんじゃないかと。


そうやって選択していくもの
なんじゃないかと思うのです。


時間という概念の中で過ごす
肉体を持った命には寿命がある。


その限られた時間を

他人中心で生きるのか
自分中心で生きるのか


私は絶対的に自分中心で
生きたいと思う。

自己中という意味ではなく
(ある意味そうだけど・・)

外側で何が起きようと
内側のわたしの声に耳をすます

その声に素直に従う


自分にウソをつかず
感情に素直になる


大変なことがあったこの日
だからこそ

命について改めて考える
ようになったし


数十年前のこの日に
命をいただいた私にできることは


わたしを精一杯生きること



「いま、ここ」

わたしを精一杯生きること



この日に生まれた命だけでなく
命をさずかっている人すべて

「いま、ここ」
愛を持って精一杯生きる



うまく言えないけど

行動レベルではなく
もっと深くて大きな概念で。

そして愛を選択していく。




改めて自分の生を思う日と
なりました。



今日が誕生日だった方
おめでとうございました(*゚ー゚*)




今日も
読んでくださり
ありがとうございます。