「想いをカタチにする」 その1
昭和58年4月1日土曜日。
社会人1日目の勤務終了。
地下鉄日本橋駅で降り、虹のまちの洋服屋さんに寄った後、ケーキを買って帰ることを伝える為、公衆電話で家に電話すると「おじいちゃんが亡くなった」と、母が言った。
ドラマで見る悲しみや寂しいという気持ちはなく「ケーキはお預け」となり、想い描いていた愉しみが壊れていく感覚が生まれた。
隣組の人たちが行き交う自宅の庭にパイプ椅子が並べられ、テントが張られていた。
仏壇がある部屋では、祖父が布団に包まれ永遠の眠りについていた。私は「あぁ、こんなふうにするんやなぁ」と、想った。
台所では、近所に住む親戚のおばさん達が集まり、お米の研ぎ方を火種に小さな争いを起こし、夜食のおにぎりを作ろうとしていた。
そのような時、姉が「梅干し、漬けてん」と言いながら瓶の蓋を開けた瞬間、中身が飛び出し、びっくりしたことが心に深く残っている。
おばさんたちに気にいられている姉。見様見真似で梅干しを漬けられること。どちらも私には難しく、姉のことが羨ましくも妬ましくもあった。
お通夜が始まる頃、母の指示に従って兄2人と姉と4人で兄の部屋に閉じ籠っていた。
その指示はどのような想いが母にあったのか、今もわからない。
翌日、火葬場から自宅へ戻るバスに乗り、周りに合わせて泣けない自分が不思議だった。
儀式が終わり、垂れ幕が外され、動かしたタンスはもとの位置に戻され、開けた窓から滞っていた空気が流れるように感じた。
冷たくなった祖父が寝ていたその場所で、親戚のおじさんたちはお香典の計算をした後、祖父が残した小さな池の相続を火種に小さな争いを起こしていた。
つづく