それも、それも、それも、そして“自分”も 概念。
たとえば
自分という概念に「思考」が組み合わさると
思考+自分
その思考は自分のものと解釈され
「 わたしは、考えている 」という体験にみえる。
感情+自分 で
その感情は自分のものと解釈され
「 わたしは、こうかんじている 」という体験にみえる。
悲しみ+自分
怒り+自分
痛み+自分
食べる+自分
走る+自分
ぜんぶ、すべてが、この方程式のバリエーションです。
それによって
「 わたしは、それをしている 」という体験になる。
非二元的には、この体験を幻想と呼びます。
すべて 概念上のもの だから。
概念に頼らなくては存在できない
消えてしまう蜃気楼のようなものだから。
思考や感情、知覚は
それらを“自分のもの”として所有・一体化することで
自分を成立させている。
“自分”というのは、
そういう概念の寄せ集めでできている
ホログラムのようなもの。
そうやって“自分”という概念をリアルにかんじている。
“自分”がそこから居なくなると、、、
悲しみ、と名前がついている感覚
怒り、と名前がついている感覚
痛み、と名前がついている感覚
食べる、と名前がついている感覚
走る、と名前がついている感覚
が、ただ、ある。
空に雲が浮かんでいるように
風に木の葉が揺れているように
雨が降るように
夕日が暮れていくように
ただ、それがある。
それを所有・一体化する“自分/わたし”はいません。
ただ、そのような感覚が生じていて
それらは 色々 バラバラ にみえますが
すべては ひとつ の中でおきていて
すべては ひとつ であることに気づきます。
かんじるココロケア あまのこころ