ワンコはいつもの見慣れた風景に対しても
「なんだろう?」という先入観のない
まっさらな眼差しをむけるのだけど、
それって「わからないまま」だからだとおもう。
逆に、人間はいろいろな「わかった」を所有したことで
表裏一体の自由と不自由を手に入れたわけだけど、
その荷を軽くするのが「わかっている」ことからの解放
非二元視点への回帰。
わたし・自分 と呼んでいるもの
わたし・自分 と認識されているもの
思考を含めた知覚、五感など、
起きていることすべて所有しようとする衝動
=自我
「わかった」ときに喜んでいるのは自我
「わかった」という感覚と一体化しているなにか
「できた」ときに自信をかんじているのは自我
「できた」という感覚と一体化しているなにか
有能な肉体であれば、
できたこと、わかったこと、達成したことを
自分の手柄(自分がやったこと)にしたいから
なかなか手放そうとはおもえないかもしれない
それによって生じる不自由=執着、苦しみがある。
逆に、へなちょこな肉体は、
生きづらい部分もあるかもしれないけれど
しがみつきたいもの/所有したいものが薄いから
手放しやすい資質をもっているともいえる。
= 悟りやすい、本質に気づきやすい。
苦しいから、それをどーにかしようとする旅に導かれる。
そういうふうになっている。生がそうする。
観察とは、先入観をもたずただ起きることに気づくこと。
アサガオ観察、植物観察とおなじ。
そのためには集中(いまここにある)が大事で、
集中のなさには思考が関係しているかんじ。
思考と一体化することで、
意識が「いまここ」からズレて
“自分”を体験し始めて、
客観/全体視から主観的視点になり、
視野や気づきが狭まるから。
思考も、所有/一体化されなければ、
そこに先入観はなく、
目の前の木の葉が揺れているのが気づかれるように、
ただ気づかれては通り過ぎていく=忘れ去られ、
ただ「いまここ」に気づきだけがある。
かんじるココロケア あまのこころ