図書館で「霊障」の本をみつけて立ち読み。
読んでいて、
その著者の「先生」のもとへ訪れる患者さん?は
この先生のやっていることにすがっているのかもなあ
共依存関係を形成しているのかもなあ、、、、
なんて、いらぬ妄想をしながら
セルフチェックをしてみたら、動物霊がついていた。
2年前ぐらいからツイていたみたいで、
そんなに長々と気づかなくてごめんね と供養した。
供養といっても、なにも特別なことをしたわけでもなく
気づいた、意識があたった、それだけ。
なにか特別な能力や知識やグッズは必要ない。
そういうものがあることで「信じられる(心強くあれる)」なら
それでもいいけれど、それがなくても「信じられる」なら
そういうものは必要なくなる。
お守り、おまじない、グッズツール、誰か等々
そういうものを通して、「これで、大丈夫」と心強く(在る)ことを通して、癒しているのは、誰かでも物でもないのだから。
霊障でも、インナーチャイルドでも、
感情でも、カルマでも、パターンでも、
ブロックでも、なんでも。
霊障 も 単なるいろいろある概念・表現・例えのひとつだから
否定もしないし肯定もしない、単に「使いよう」。
「ないものは、最初からないのだから、外れもしない」ので
「ある」と仮定して、解消/外しているだけ。
そういう概念をつかった遊び。
そういう例え(概念)をつかって、
解釈ー腑に落としてー解消している。
だから、真に受けすぎない
= 不自由にならない・囚われすぎないこと だとおもう。
真に受けすぎなければ「恐れおののく」こともないし、
そういうことで恐れ不安をあおったりすることもないし、
そういう商売や人と関わることもないw
その不安恐れをあおっている本人自身も
だまされている(=その概念を真に受けすぎている)場合があって、そうすると、そこにいるみんながみんな洗脳されている状態だから、誰も気づかない=集団妄想、歯止めが効かない。
「スピリチュアル」についても、程々であることと、
同じような思想や傾向をもった人間だけでつるんで閉鎖的になるのではなくて、いろいろな視点をもっている人と均等に交流したほうが偏り過ぎず、バランス(ちょうどいい)とおもう。
霊障の外し方 とするなら
もし、なにか気になったなら
ただ単純に、その気になったという感覚を通して
「 気づく 」だけでいい。
気づく以上にとくになにも必要がないから、そのまま手放す。
そうすれば、勝手に解消される。
“わたし”を含めた誰も、なにも、しなくていい。
(、、、というか、もともとなにもしていない。)
気づく、意識があたる、意識がむく
「 意識 」というのはパワフルで
誤解を招きそうな表現をするならば
意識 = 神 だなとおもう。
* 神 というのも「ひとつの例え・表現方法」です
神 = 仕組み、摂理、構造、現象
意識は“ 自分 ”がやっていることではなく
“ 自分 ”が意識しているわけではない。
「 痛み 」として発露したり
「 症状 」として現れてみたり
「 問題、悩み 」として出現してみたり
そうやって「 存在感 」を強調する
気づいてもらいたくて
「 意識 」を向けられるために。
注目されなくて注目されたくて
気づいてもらいたくて、悪さ(目立とう)とする
全然気づいてもらえないから
「 わたしはここにいるよーーーー!」
と、拡声器で叫んでいるようなもので、
子供が親の目をひきたくて、イタズラするのと同じ原理。
= 構ってちゃん。
病気や多くの犯罪の背景にあるものも
「構ってちゃん的メカニズム」によるものが多い。
だから「適切な注目」をしてあげる。
気づいてあげる、かんじてあげる、認めてあげる、
味わう、共感、許し、愛する、、、
いろいろな表現があるけれど
それを自分で自分にやればセルフヒーリング
それを誰かにやってもらうと他者ヒーリング
意識的にやるのが「ヒーリング」と呼ばれているものだけど、
日々の交流によって、自然と無意識に、そういうことは起きている。
かんじるココロケア あまのこころ
