自我の資質(カラー)を見極める、というのが難しい場合もあります。なぜなら 自我 = 一色(単色)ではない から。
たとえば、被害者意識はパッと見ブルーのようにみえるけれど「 ブルーの着ぐるみを着た頑固なレッド 」というふうにも表現できます。
それは、被害者意識(かわいそうな自分)という立場によって、相手に罪悪感を抱かせたり責めたりするのは、間接的な攻撃性(レッド)であったりする。
被害者意識(かわいそうな自分)という役柄によって、状況を自分の思い通りにコントロールしようとしているのは(かわいそうな自分、という役側)をかぶることでしか、レッドに勝てなかった=自分を守れなかった、それしか手段が見当たらなかったのかもしれない。
攻撃というのは、自分を守るためにも出力されるため、守らなきゃいけないものが大きいほどに、過剰防衛=攻撃がおきる。ゆえに、不安や恐れが大きいほどに、それが終わったあとも、過剰防衛的な反応をしてしまうこともある。
一見、穏やかで控えめ静かなブルーのようにみえても、本質的な根っこの部分に、大きなレッド(怒り、恨み、激しい感情)を抱えている場合は、そこをクリアにしていくしかない。
抑圧されたネチネチとした恨みは、パッと見では表面化されずわかりずらい場合があるからブルー(静的)な印象もあたえるけれど、その根底にあるものは激しい感情(レッド)それが鬱積している状態をブルーのベールで隠しているだけだから。
レッド的であっても、まわりにさらに強力なレッドがいれば、レッドを出力しきれない。たとえば、暴力的な大人・親の前では、圧倒的な力の差によって、子供のレッドな部分(怒り、攻撃性、激しい憤り、反抗心)は押さえ込まれる。
けれど、押さえ込まれ抑圧されたからといって、それが消えるわけではないから、それが反抗期(身体的に親と対等になってきた時)にあらわになったりするのかもしれない。「もともとあった、抑圧されていたものが、表にでてきた」ということ。
つくづく、レッドの世界は、弱肉強食の世界(勝者と敗者にわかれる世界)なのだなあとおもう。
強いものが弱いものを制するという「 強いレッドと、それに負けたレッド 」というのが存在している世界において、被害者意識(かわいそうな自分、という役柄)というのは、パワーゲームで敗者となったレッドが、自分を守りながら自分の居場所をつくるための手段のひとつで、自分よりも大きなレッドへの抵抗手段のようなもののようにみえる。
被害者意識がレッド(恨み、訴え、仕返し、自分の気持ちをわかってほしい)がベースとなっているなら、被害者意識であるという「切り札」によって相手に対抗・勝とうとするのを終わりにする、っていうことで終わるのだろう。
レッドとして「相手に勝とう」とするのを終わりにすること。
つまり、レッドという世界・レッドのやりかた から出ること。
この世界にはレッドの部分もあるけれど「 自我=一色(単色)ではない 」ように、この世界も一色(単色)ではない。この世界は、カラフル=多様性をもっている。レッドの対岸である、グリーンの側面もある。
かんじるココロケア あまのこころ
