悟りとレッド。 | かんじるココロケア あまのこころ

 

 

 

 

有名な覚者トニー・パーソンズ、20代前半のときに一瞥体験をした後、そこから一瞥後の右往左往、事業を起こしたり高級スポーツカーを乗り回すような物質主義にもむしろどっぷり浸かるような「探求時期」をすごして、、、、というエピーソードを読んで「若い時期に一瞥体験した後の、あるあるパターン」みたいなものがあるのかもなあ。

 

肉体の持っている熱量(肉体としてこの世界を楽しみたい!っていう熱量)っていうのがあって、20代はまだまだ青春時代(肉体ならではの娯楽満喫期)だから、一瞥のタイミングが90歳(老年期)場合とでは起きることが違ってくる、、、のは、とても自然なことだとおもう。

 

トニー・パーソンズって、なんでこんなに人気なのだろう?とおもうのだけれど、トニーパーソンズ以外の人気覚者にしても多くが 肉体精神機構というキャラクターカラーとして「レッドが強い」という共通点 がある気がしている。

 

レッドはフツーにしていても目立つ。前にでてきてスピーカーになったりする気質もある。 逆にブルーな気質の覚者ならば、覚醒体験についても、自主的に話そうとはしないだろう( 人前に出てこない。書籍を書いたり、セミナーやサットサンをしたりもしないはず。)

 

レッドをやりきると反対側グリーンにいくという覚醒パターン=レッドの悟り方。レッド覚者筆頭であるキリストの覚醒ストーリーって想像以上に根強い先入観として根付いているのかもしれないが「 レッドじゃない人にはレッドとは違うストーリー 」があって、むしろレッドとは違うストーリーであるのは「 ラッキー♪ 」とおもっていいんじゃないかな?っておもう。痛い、辛い、苦しい、パッション!なのが好き/そういうのじゃないと納得・実感できないなら、レッド的ストーリーをどうぞ、、、、なのだけど。

 

レッドの傾向がつよいと自我の右往左往が「半端ない」んだとおもう。エネルギー量が半端ないから、なかなかな自我が燃え尽きない。俺がなってやる!俺ならできる!百獣の王!ライオンキング。俺=自我が、王座から降りようとしない(というか、もともと自我が王座に座っていることもそうなることもないのだけれど)自我が屈服するまで、自我が燃え尽きるまでに、それだけのアクシデントやいろいろが必要であるということ。

 

>> レッドの意味

 

わたしの周りのレッドをみていると、ドラマチックな展開やエピソード、やんちゃエピソード多数。フツーそんなことないでしょ?っていうことが、レッドのフツー だったりする。フツーないような、起きないような、生死をさまよう事故体験、何度骨折したか覚えていないとか、事件事故のどまんなかにいた、とかとか。ここまでいくと、肉体=命=生を実感するような瞬間が、レッドの喜び(生きている実感)なのかもしない、ともおもう。 

肉体の性質は、レッド(本能、生きる、サバイバル)当たり前に心臓や呼吸が動きつづけているのは、本能は「なにがなんでも生きる」こと以上の目的はない、目的といより「それそのもの」 肉体=命=生

 

レッドの強さ(赤青黄緑紫オレンジ全体の中で、レッドが占める割合)というのにも個人差がある。レッドの傾向が強いからこそドラマチック(情熱的)な悟りのプロセスがあり、むしろレッドの割合が薄い人は、もともと自我というものへの執着が薄かったり、自他の境界性が薄かったりするから「あ、悟りってこれのことでしたか。物心ついたときからずっとこんなかんじでした。」という場合もある。

 

レッドゆえにレッドな悟りエピソードやプロセスが多く出回っているゆえ、それがフツー?とも勘違いしそうにもなるけれど「 地味平凡=穏やかなプロセス 」もあるある。前に出てきて話したいレッドばかりのエピソードだけが、どーしても「目立っているだけ」で。

 

レッドと対照的な 目立たず地味で特徴がなく主役ではない脇役グリーンが「レッドに、あこがれる」という行為はどこか「 穏やかな安全地帯からレッドを見物している 」ようにもみえる。それはある観点からすれば「この人生アタリ!」とおもってもいいんじゃないかな?とおもえる。

 

反対色グリーンはレッドに憧れる。「隣の芝生が青い」的な憧れ なのだけど、実際レッドになりかわって24時間やってみたら疲れて、すぐにグリーンに戻りたくなるだろうよ、とおもう。実際にやってみたらわかるし、体験してみないと納得できないならば、いろいろ試してみてはみるものの、きっと自然と「元いた場所」に還ってくる。あーやっぱり我が家はサイコーって。

 

グリーンがレッドへあこがれるのは「平和ボケ」みたいなもの。みんなグリーンがもっているものが欲しくて欲しくて右往左往しているのに、グリーンは自分がそれを持っていることに気づかない。(そして、みんなも気づいていない。)いまの現代社会の傾向がレッド的なことを「 幸せ!サクセス! 」という価値観が根強いゆえ。

 

平和、平穏というのは「一見とても地味なこと」けれど、ほんとうにそれは奇跡なフツーなのだ。それがあるからこそ、生が保たれている。空気があるのはあたりまえ、水があるのはあたりまえ、大地があるのはあたりまえ、そうやってわたしたちは「フツーに包まれて生きている。」当たり前すぎて、無意識に呼吸を繰り返しているように。

 

「平和ボケ」の若者が雇われ兵士になりに中東にいく、みたいなことまでしなくても平凡な奇跡に気づけるならば、それは賢いというか思慮深い、「いまに感謝」と表現できるとおもう。

 

もともとグリーン/もともとそうであったことに気づく(え、このままでいいの!?)という覚醒パターン。グリーンの悟り方。もともと自我が薄いグリーンは「個性出さなきゃ!自我もっともっと付けなくちゃ!」って個性があってなんぼのレッドな現代社会に順応しようとして右往左往しがち。このままを認めてしまえば、今日から悟り人な人。

 

けれど、肉体精神機構(生まれ持った気質)に準ずるところは大きい。そのように興味をもち、手を伸ばし、関わり、行動する。それらを「自分が」やっているようにおもうけれど、肉体精神機構が反応しているだけで、そこに自分=意思はない。

 

だから、レッドならレッドのような行動をして、ブルーならブルーらしい行動をする。あたりまえに、迷うことなく、本能(生まれ持った気質)がそれらをやっていく。

 

「わたし」と呼ばれているものは、運転手ではなくて、肉体精神機構の運転している車に、ただ乗っかって、そこからみえる車窓の風景をみているだけ。だから、もうしょうがないね、、、っていうのが「委ねる」「手放す」とか表現されているもの。

 

その 委ねる・手放す の反対である「 執着 」というのは、運転手であろうとする、というより、自分が運転手であると「 勘違いしている状態 」なのだとおもう。勘違いすることが自我にできる精一杯。どーやったって運転手にはなれないからね。

 

 

 

 

レッドの意味

ブルーの意味

オレンジの意味

グリーンの意味

イエローの意味

パープルの意味

 

 

 

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