命がけの反応
1週間ぶりのブログ更新です。
知人の方の中には、また、私が気絶していたのではないか、
また、何かあったのでは?と心配下さっている方もおられるようですが、
(今日も、講座であった方に聞かれました)
基本的に大丈夫です。
ご心配ありがとうございました。
昨日は、畳の部屋に布団もなく
「コロっ」と転がっていましたが、
大丈夫です。
気絶するのも
慣れてきました。
慣れとは恐ろしいものです。。。
(慣れていいのだろうか)
最近は、気候の変化で、
特に、私は、湿気に弱いです。
(ちなみに、扇風機以外冷暖房はありません)
急激な湿度上昇に耐えられません。
(皆さん、どうお過ごしですか?)
とはいえ、私はまだ、生きた家、町家に守られているのですが、
それでも、慣れるまでに時間がかかりそうです。
私自身の与太話はともかく、
先週、金曜日から、人と人の絆に
ついて感じることの多い日々でした。
私たちには、人それぞれの欲求があります。
しかし、大半の人は、人との絆の中で、
自分の存在価値を認め、
栄気をもらうという関係で生きているのではないでしょうか?
先週の金曜日から、日曜日は、
和業塾1期生のメンバーの中で、
通常の人間関係では言えない、厳しい面について
触れました
それは 深い絆がないと大荒れになるかもしれない
繊細な部分についてです。
絆があるから、そこで起きたことを学びにできる時間でした。
命がけでぶつかると、
命の反応が返ってくると
いうことかもしれません。
そういえば、私の尊敬する諸先輩方は、
「どこまで命がけ?」と思うぐらいの気持ちで
事にあたる人が多いのですが、
だからこそ、それは宇宙美にのっとった
成果を得るもかもしれません。
私も、これについては、あまり詳しく書くと
しらじらしくなるので、書けませんが、
(また、改めて書いてみたいと思います)
命がけで、人の可能性を信じることは、
人生の中で、優先してみたいものです。
和業塾 塾生 頭を坊主にする人も出てきました。
↓
ちなみに、2年前、私も五厘刈りでした。(≧▽≦)
どんな生き方であっても、その人なりのその状態で、
命がけなんだと思います。
何もしてないように見えても、
逃げてるようにみえても、
命なんてかけていないように見えても、
心の中での葛藤や、恐怖との同居は、
命がけに追い込まれている状態かもしれましれないと
時々思うのです。
だとしたら、積極的に命をかけてみるのも
人生を有意義に生きる一つの方法かもしれませんね。
そんなことを感じる1週間でした。
