まず最初に確認しておきたいのが、何のために「批判しない」のかということです。

 

それは、「自分の状態(エネルギー、波動と言ってもいい)をよりよく保ち、自分が関わる世界を確実によりよいものにするため」でした。

 

一番大事な目的を外さないというのは、本質的に考える際のポイントになります。

 

 

 

この点を明確にすると、前回最後の方に書いた「批判しない」ことによる懸念は案外簡単に解決できるものです。

 

一つを例に取ると、「自分ばかり折れ続けないといけないのか」

 

もちろん、そんなことはありません。自分の思いや望みは、堂々と主張すればいいのです。

 

けど、その時、いちいち相手を悪者にしたり、間違っていると攻撃したりする必要があるでしょうか。

 

そんなことないですよね。

 

いきなり攻撃されたら相手だって飲める話も飲めなくなりますし、批判の応酬になる可能性が大きくなります。

 

一方、相手の気が弱く、力で押さえつけてこちらの言うことを聞かせられたとしても、果たしてそれで自分の気分がよくなるでしょうか。

 

どちらにしても、自分の状態をよくするという目的に反することがわかります。

 

もとより、相手を批判しなかったとしても、こちらの言い分を聞いてくれるとは限りません。

 

ですが、その時はその時。お互いに話し合って解決を図ればいいのです。

 

言い換えると、善と悪、良い悪いで争うのは不毛なのでやめましょう、という話に落ち着くかもしれません。

 

ものごとの「本質」から考えると、善も悪もないというのが真理ですから。

 

 

 

とは言っても、どうにも腹が立って批判したくなることってありますよね。

 

一気に話を大きくして、このブログのテーマである世界支配を企む「例の人」たちについて考えてみましょう。

 

やってることは、まぁトンデモなくひどいことなので腹が立つのは当たり前です。

 

その場合、怒りを抑え込むのは冒頭の「目的」に照らしても得策ではありません。

 

突発的に出てくる感情や思考はコントロールできないから、許容します。

 

ただ、それに振り回されて薪をくべて火を大きくしないのが肝心です。

 

薪をくべるとは、思考を展開して恐れや怒りの感情を掻き立てる、SNSなどで相手を罵ることなど、ネガティブな波動を助長する行為全般になります。

 

すべてのことは必要だから起きているというのが、本質です。

 

怒りが湧くのはなぜでしょう?

 

例の人たちが自分の人生を侵し、自分や大事な人たちに危害を及ぼせる、と思っているからではないでしょうか。

 

つまり、自分の人生は自分が創ると100%信じきれていないことを示しているのです。

 

それがいけないとは言っていません。良い悪いはありませんので。

 

それを選択するかどうかです。

 

不要と思ったなら、その感情や思いを手放しワークなどを使って解消すればいいのです。

 

一種のクリアリングであり、不純物を取り除いてなりたい自分に一歩近づくことができます。

 

このように、すべての出来事は、なりたい自分、いい状態の自分に近づくために役立ちます。

 

善悪がないとはこういうことです。

 

 

 

これを広げると、例の人たちがなぜ存在するかもわかってきました。

 

人間全体として、今の在り方や生き方は、人間が存在する意義を大きく外れている。そう私は思っています。

 

また、自分で気づいて修正できる人は限られており、遅かれ早かれ自滅する流れにある、とも思っています。

 

もしこの流れを変えられるとしたら、よほど大きな出来事にショックを受け、本質に立ち返ることだけでしょう。

 

東日本大地震で、多くの日本人が自分の生き方を見詰め直したように。

 

エゴ、私利私欲を際限なく追い求める例の人たちは、鏡に映る私たち自身です。

 

その姿を見て我に返り、どう考え、行動するか、一人一人が問われているのだと思います。

 

そうすると、例の人たちさえ一概に悪と断定し「批判」する気は起きなくなるのではないでしょうか。少なくとも、私の場合はそうでした。