人の人たる所以、つまり、人間と動物を画する一線は何かという話題です。

 

西洋思想では、理性や思考、論理だと考えるようです。

 

理性は感性より上位に位置するというのも、よく聞く考え方です。

 

人間は確かに動物ではあるけれど、本能に従うしかない他の動物と異なり、理性的に思考して自由意志を持つことで、自然を克服し輝かしい文明を築くことができた、なんて言ったりもします。

 

たしかに一面の真理ではあると思います。私も以前はこの考え方に馴染んでいました。

 

でも、今はそう思っていません。

 

思考は分析的、つまり、細分化し、相対化、比較し、判断する力なので、男性性(サヌキ)です。

 

そして、その性質は自分を他者より優先します。

 

自分が有利になるように、自分が得するようにと考え、行動するのです。

 

我よし、我正しの立ち位置です。当然、他人とぶつかるので戦いが起きます。

 

自然さえも自分の前に立ちはだかり、征服する対象です。人間だけに都合のいいように利用し、改変してきました。

 

結果として、生命の源である自然はひどく傷つき、多くの生物種が絶滅し、生態系の破壊が人間自身の存続を脅かすまでになっています。

 

思考や理性が人間であることの本質だとしたら、人間は滅ぶしかなさそうです。

 

私は、人間の大きな大脳は自然界で生き延びるツールではないかと思っています。

 

キリンの長い首や、チーターの足の速さと同列のものであり、得意とする能力を伸ばすという意味では、他の動物もやっていることは同じです。

 

環境に適合しすぎると、環境が変化した時、その種は真っ先に滅ぶとも言いますよね。

 

むしろ、私は、感受性や感性が、人間の人間たる本質だと思っています。

 

数学者で随筆家の岡潔は、人の人たる所以を、他人に共感する、特に、相手の悲しみを感じることができることと書いていました。

 

これこそ感受性の進化(深化)です。見えない領域から受け取るだけではありません(そこまでは動物もやっている)。

 

さらに進んで、逆に見えない領域に対して、体験による感情や感動、愛など膨大なエネルギーを供給することが、人間ならでは働きではないかと思います。

 

ですから、感受性の優れた方にはもっと自信を持ってほしいのです。

 

身近なところに話を戻すと、頭のよさだけで成り上がった今の多くの政治家たちが何をしているかを見れば、よく分かるのではないでしょうか。

 

自分の利益ばかり考えて、感受性がないので恥じる心もありません。あんなのが人間として優れた存在であるわけがない。

 

感受性は人徳であり、思いやりであり、それがあるからこそ、思考や理性が自分だけでなく、他人や全体のために有益に働くわけです。

 

男性性(サヌキ)優位の社会を変えていくのは大変ですが、不可能ではないと信じます。

 

生命力そのものであるアワ(女性性)にはそれだけの力があるのです。