淋しいと思うことはたくさんあった。
私の場合は、独り身の淋しさも含むよ。
複雑に絡まった 淋しい って感情。
淋しい って
カッコ悪くて誰にも言えなくて。
そう、
この淋しさをわかって欲しいのは、
周りの人に、だと思っていたよ。
淋しいから誰かといたい。
(←→楽しいのは誰かといるからだ)
誰も隣にいないから、私は淋しいんだ。
(←→誰かといれば、私は淋しくないんだ)
淋しさは
なくならないんだと思う
この言葉をふと思い出す。
淋しさって
なくならないのかー
結婚して、子どももいて、
家族に囲まれてる人でも、
そんな言葉が出てくるんだ。
淋しさって
持っていてもいいんだ。
なんかほっとしたのを思い出した。
本当は、
この淋しさは
誰かといても埋まらないことを
思い出すだけなんだと思う。
今でこそ、
複雑に絡まって淋しい と思うとき、
私はひとりでいることを選んでいる。
淋しいとき、
外から埋めてもらいたいのではない。
外から包まれたいわけではない。
淋しいとき、
内側から埋めてもらいたいのだ。
内側から沸き出てほしいのだ。
内側の自分、
根っこと繋がる揺るぎない自分との繋がりを
確認したいのだ。
だから、
自分の中に他人を入れたくない時がある。
自分とつながったあとに、
聞いて聞いてーーー!
が、しょっちゅう沸き出てくる。
そんな時に、
時間とか関係なく、
誰かに話せたらいいなぁって思うことがあるよ。
話せる人いねーなーって思う
こんな時にも、
「私って淋しい人よ」って思ってしまってた。
“誰か”って書いてるけど、
誰でもいいって訳ではない。
やっぱり、
それなりにわかる人だよね。
気付きが広がる人とだよね。
一緒におもしろがって
この世界で遊ぼうとしくれる人とだよね。
で、それも他人でなはないのかもしれない。
他人を通して、自分自身とやりとり。
投げて受け取って、
また投げて受け取って。
“他人”って文字は冷たく見えてくるのだけど、
私が今使ってる“他人”って、
“自分以外の人すべて”を指してるよ。
“他人”の“誰か”に話していながら、
その真実っていうのは、
私は、私に話しかけている。
で、最近長々としたブログを書いていたけど、
それは、
他人に見て知ってもらいたい、よりも、
「根っこの自分に届け」
って気持ちで書いてるよ。
こう感じたよっていう、
お返事。お手紙。
書きながら文字にして気付くパターン
やっぱり多いなぁと感じてるよ。
で、たぶん、
実際に、私の“聞いて聞いてー”の話を
聴いてくれてる人は、
その人自身も、
自分のこと私に話していながら、
自分自身と話をしてるんだと思うのよ。
そんな関係、めっちゃ気持ちいい。
目の前のその人に伝えたくて出てきたことばが、
自分に対してだったってことはない?
「…って言いながら、これ自分に言いよるけん」
ってことばを聞けたとき、
クスっとして二人同時に波動が上がる。
「私って淋しい人よ」
今までに、
たくさんたくさん思ってきた。
だけどね、
淋しさはなくならないし、
淋しさは持っていていいし、
淋しさは贅沢な感情。なんだって。
今になって私のもとにやってきてくれたことば。
今だから、染み渡る。
誰かに聞いてもらいたい話。
自分自身に話したいことが
出てきて仕方ない方は、
どうぞ、こちらに書いてみて。
私にしか届かないし、
私はなんにも言わない
スタンプしか押さないから、
安心して書いてみてね。
宇宙元旦の3/20までの
期間限定、解放してみることにしたよ♪
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春分の日っていうのは、
昼と夜の長さが同じになる、とされている日で、
陰と陽のエネルギーが入れ替わって、
ゼロ地点に経つと言われている日、だそう。
by Junちゃん
新たなスタートを切るために、
どうぞ♪
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TCカラーセラピーをお仕事ではなく、
自分のセルフケアのために学んでくださった方へにも、うれしいお知らせです♪
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