私、こんなこと記してたんだなーと思った
Facebookの6年前の投稿ϋ♡
(しかも、懐かしのNew&Happyシリーズ(^ー^))
この時、
ようやく許せたのです。
父のことを、というよりは、
父のことを嫌いで嫌いで仕方なかった
自分のことを。
許せたというより、
自分の人生から許された
ということなのかな。
この時から4年という時間をもらえて、
父は空に還っていった。
父を葬儀場に送り届けて深夜2時頃、
一旦実家に帰る車の中で、
母が私にポロリと言った。
「入院中、
あんたがお父さんにあがん(あんなに)
よう(良く)してくれるとは、思わんかった…」
私、素直になれたんだよなぁ~
母の言葉、ふと思い出しちゃった。
あーしかし、ひどい娘やってました^ ^
父が亡くなってから、
何度かね、
『何で私、
あんなに父のことが嫌いやったとやろ…』
と思ったことがある。
何が最大の原因だったんだろうって。
考えてもね、
これ!と言える大きなものはなくって、
でもね、
小さな小さな嫌やったことは、
たくさんたくさんたくさん出てくる。
嫌だ!!!
もうなんで!?
って言えずに、
飲み込むしかなかった気持ちや、
思春期になるとさ、
酔っぱらって辻褄の合わない父の言動に
イライラは募るのだけど、
構わない、関わらないと決め込んで、
目の前で繰り広げられる両親の喧嘩
スルーする技を習得してはいたのだけど。
もう押さえられなくて、たまに爆発して、
父に暴言吐いたりもしていた。
(こんな私がいたのも事実なのよ~)
父との心の距離なんて全然縮まらなくて、
というか、縮めようとも思わなくて、
友達のお父さんとか
仲良さそうな友達の家族と比べては、
なんでこんな人が私の父なんだろう、
なんで山川家に生まれて来たんだろうって、
そう思うと悲しくなった。
20歳頃だったかな、
精神看護論の中でだったと思うんだけど、
はじめて【アダルトチルドレン】という言葉を
知った。
もしかして父は、これなのかもしれない。。。
父が生まれた生い立ち、育ってきた環境とか、
母から聞いた話が思い浮かんで、
その時はじめて、
父が今みたいな父になったのにも
理由があるんだよな。
なりたくてそんな人間になったわけでは
ないのかもしれん。
父には、
嫌なとこ直して変わって欲しい
と思っていたけど、
もう50年以上その生き方してたら
難しいのかもしれん。
だったら、
まだ20年しか生きてない私の方が変われば
いいのかもしれないけど。。。
はじめてそんな気持ちが生まれたけれど、
でも現実はやっぱり“父が嫌い”でいっぱいやった。
私が変わることなんて、
やっぱりできんかった。
表の顔は、
患者さん、家族のことを一生懸命考える
よい看護師してたけどさ、
裏の顔は、
父なんてどうでもいいって思ってた。
(看護師なのに…)
両極の自分がいて、
どっちの私が本当なの?
そんな風に思わなきゃいけなくなる
自分も、環境も、
もう苦しくって。
そんな日々の中から、
今の私の生き方が拓けたのだけど。
拓けて、
父との時間の中の、
ワンシーンがこれなのよね。
全力で父を嫌がって、
全力で自分の人生否定して、
最期、
全力で父のお世話をしたくなって、
全力で父にしてやれることしたくなった。
想いはあっても、その行動まで移すのには、
本当は、最初とても勇気がいった。
だって、40年もやさしい娘じゃなかったから。
なんていうのかなー
今さら、
父にやさしいことばをかけて介護するなんて、
照れくさい、恥ずかしい。。。
今、文字にしてみると、
そんなもの握り締めてたのかーって
恥ずかしくなるけど。
でもさ、
ちゃんときっかけがやってきたんだよ。
母が入院してお世話に行く人いないから、
私がやるしかない状況がつくられた。
私はもう肚を決めた。
やろうと決めた。
現場で患者さんと関わってた時みたいに、
私、できる限りやろうと思った。
「入院中、
あんたがお父さんにあがん(あんなに)
よう(良く)してくれるとは、思わんかった…」
そう母に言われた時、
正直、照れくさかったけど、
今でも思うよ。
素直になれてよかったなって。
▪️▪️▪️▪️▪️
3/31までの期間限定のお知らせあり。
TCカラーセラピーをお仕事ではなく、
自分のセルフケアのために学んでくださった方へにも、うれしいお知らせです♪
(SAIKO先生の動画を見てね❣️)


