“大正から昭和にかけて、全国に四~五百万もの信奉者があって、一世を風靡した観のあった健康法「自彊術体操」の普及には目を見張らせるものがあった。私位の年輩の人で、健康法に関心のある人はその名を知っていることだろう。その頃は、現在のように色々な健康法がなかったし、導引という名称をさえ知っている人は、尚更のこと殆どなかったといってもよいだろう。
この「自彊術体操」の創始者中井房五郎氏は、四国香川県の片田舎松山村の農家に三男坊として生まれたが、小学二年の時に放校されるという腕白悪童ぶりであった。そこで彼の父は手にあまり、近くの古刹・白峯寺の住職橘敬道師に訓育を頼んで息子を寺に住み込ませた。ところが、寺でも腕白ぶりは変わらなかったが、その頭脳の明敏さは、先輩の雲水達を対手に宗論をしていつも彼等を論破して師を驚かし、大きい期待を持たれていた。
ところが十三才の時、裏山に深入りし、途を失って寺へ帰られなくなった。その山は一度迷い込んだが最後、生還した人は一人もなかったという未踏の山であった。腕白で負けじ魂の彼の山中生活がこうして始まったわけである。その儘山中生活を決意した彼は、幸いに一つの岩窟を見つけて住居とし、鳥や小動物を友とし、自然生の草木や木の実・草の根を木食(火を使わない)して生活することになったのだから、山の人、すなわち期せずして仙人になったわけである。
白峯寺は由緒ある臨済禅の寺であり、寺では禅道修行に打ち込んでいたわけだから、山の岩窟は、彼にとっては厳しい禅道場になったわけである。彼の人命救治の思想やその方法は、山中の瞑想生活から生まれたものであったろう。臨済宗といえば、白隠禅師の出た宗派であり、従って白隠の思想が流れていたこともあって、病気治療・健康法を説いた白隠の「夜船閑話」などにも在寺の間に目を通していたことだろう。
山中生活四年目の或る夜明け、彼は強烈な山霊の気を感じ、ハッと目が覚めたような気がしたら、白髪・紅衣の老人が三人立っていて「人命救治」の道を説き訓し、寺への帰途を教えて呉れたという。それは彼が十七才のことであった。
出山後の彼は、若年とは思えない大人の風格を具えていて、何でも出来ないことはなかった。その時「寺にとどまってほしい」という橘敬道師のすすめをことわって、県下の坂出町(今の坂出市)に柔道と剣道の二道場を設け、更に整骨治療を始めたが、三年後には「本格的に人命救治」に乗り出すことを決意し、朝鮮―満洲―中国にまで足を伸ばして多数の病人に接し、彼独特の治療法で病気を治した人は万余に及んだ。それで自信を得た彼は、三十三歳の時東京に出て、木所の小泉町に「新マッサージ治療所」という看板を出した。
ところが、その治療効果の素晴らしさに、毎日四、五十人の患者が押しかけてくるようになって、施術に応じ切れなかったので、多数の人を救うためには、病人自身の「人間に具わっている自然治癒力を育う」方法が必要であることを悟り、またその時彼を神のように信奉する十文字大元という人の進言をいれて創案したのが「自彊術体操」という健康体操であった。こうして、大正三年十一月に「自彊術体操」が発足し、十文字大元氏の熱烈な宣伝と指導力によって、急速に世に広まって行き、各所各地に「自彊術体操の会」をつくって団体的に指導し、学校では室内体操場でといった具合であった。話がずっと飛ぶが、ラジオ体操が普及する前までは、ラジオ体操式に普及せられたようであった。”
(大黒貞勝「導引 不老長生の仙術」(エンタプライズ)より)
“大正の初期、民間医術として一世を風靡した『自彊術』は、戦後幻の療術などといわれていた。創始者中井房五郎があらわした『自彊術』の原著が散逸してしまい、口伝だけで各地で行われていたため、どれが正当な伝承を継ぐものかがわからなかったためである。
その幻の療術の原著が、名古屋市の吉田外科病院吉田誠三院長の長年の苦心で発見され、さる四十七年に復刻された。復刻版の原著は大正十二年の第十二版で、初版は大正五年、東京本所小泉町の中井自彊術道場で発行となっている。
自彊術の復刻再刊によって、秘術の全貌が明らかにされ、中井房五郎の編み出した幻妙な健康治病体操が正確に伝えられることとなった。吉田誠三氏が私費を投じて自彊術の再興に情熱を傾けた結果である。
自彊術とはどんな療術なのか。復刻版の序文で、男爵後藤新平(元東京市長)は次のように言っている。
『本書の著者山林に隠れて世間と絶つ幾年、自然と親み、修養躬行い、直に造化と交渉し以て豁然斯の道を獨得する』
また中井道場の同人識として序文に、
『中井先生は蓋し宇宙の玄妙に参する物理療法の達人なり。(中略)其穎脱せる天賦の直観力は「透視」を能くし「千里眼」を開き、其技亦神に入るものあり』
その中井房五郎は、香川県松山村の農家に生まれ、八歳のとき臨済宗白峯寺にあずけられて敬道禅師という人に育てられたという。十三歳のころ山奥に迷い込んでしまい、四年間にわたって山林生活を送る。そうして十七歳のころ『山霊』に出会い、奇怪な幻想のなかで霊的な力を自覚する。房五郎に親しく教えをうけた久家恒衛氏(九十四歳・東京北区)の記述によると、山霊との出会いは次のようだった。
『乾(西北)の隅に大きな蛇が大きな樹の枝に巻き着き、紅の舌を出して私を呑もうとしておる、また艮(東北)の隅の樹には、尾の長い美しい雌雄の鶏が止まっており、また、巽の樹とその下には沢山の猿がいて、樹におる猿は一生懸命に樹を揺っておる。そこえ轟然として山をひき裂くような、鉄砲の音か、大砲の音かと思うような大音響がして、凡そ宝珠位ある大きな弾丸が飛んで来て、私の腹中に命中した。私は吃驚して、これは猟師の流れ弾かと思って腹を撫でてみたが、別に血も出なければ痛くもない。その中に、また弾丸はつづけざまに四回、都合五回、私の腹中に当たったが、矢張り血も出ず、痛みも感じない。そこで私は思った、不思議だな、自分は弾丸が当たっても決して死なない人間だということを。
それから再び天上を見上げると、前の大蛇も、鶏も、猿もいなくなって姿を見せない。只々裁判官が着るような形をした黒い色の着物を着た中老の人と、茶と薄い青い模様の入った着物を着た、矢張り同年輩の人と、真紅の中に梯子形の模様のある着物を着た老人の三人がいた。ところが三人の老人はしげしげと私を見ていたが、此の所え来いと招きますので、私はこわごわながら近寄って行くと老人が言うには、
お前は随分永くこの山に居るがそお何日までいても果たしがないから、そろそろ山から下りて、共にこれから悪を退治して、人救けをやってはどうか。
悪を退治したり、人救けをするには術とか、法とかを知らなければ出来ますまい、貴老は、私に何かその術なり、法なりを書いた巻物でも授けて下さいませんか。
巻物は人に取られたり、置き忘れたりすることがあるから左様なものは授けない。
お前はなんでも其の場にあるものを巻物と思い、それを使って悪物を退治したり、人を救いなさい。
私はまた然らば、その場に何も無い時はどう致しましょう。
と尋ねますと、老人は、
其時は、自分の唾で自分の身体に的の紋を書きなさい。そうすると皆悉く現れて来る、そして人間の事も過去、現在、未来に亘り、すべてを知ることができる。
山霊に出会ってから後は、食べ物を捜す時も、鳥や兎を捕らえる時も予め兎は彼処に居る、食物は此処にあると思い、そう思ったところに行って見ると、果たしてその通りでいつも違はなかった。また戯れに小石を後の背中に投げる時でも、彼の樹に中ててやろう、此の枝の節に中ててやろうと思って投げると、それがまた見事に予期したところに中るのである。
また或る日のこと、天狗を訪ねて見ようと思って山の方々を歩いてみたが一向に出会はない。よし、それならば自分で天狗の真似をしてみようと思って天狗になり、先づ柔道の型をとってみると自然に柔道の型ができる。棒を以て剣道の型をとってみるとそれも出来る、弓術でも、長刀でも、どんな武芸でもその道具をもてば自然にその構えができた。またお経を読めば寺で習った以上のお経が、さらさらと出で、歌を唄えば新しい歌が後から後から出て来る、丁度水が湧き出て来るように、そしてなんでもやろうと思えばやれないことはないのである。われながら不思議でならないが、それからと云うもの、私には強い強い一つの信念が出来、どんなものでも怖れないようになった。』
これは自彊術の再興を計る吉田誠三氏が同氏の病院内に設けた『健康と長寿の会』の機関紙からの引用であるが、現在、自彊術を治病術として指導しているのは吉田氏と、元東大講師で内科医の近藤芳郎氏など数氏だけである。
中井房五郎著の自彊術は、第一動の正坐姿勢から第三十一動まで連続した体操を行うのが中心となっている。この動作には呼吸運動を加えて『気合』をかけるところを厳格に守らせる。この掛け声に玄妙の機があるようで、いわゆる健康体操とは比べものにならない奇跡的な難病治療効果を示している。”
(横田清「奇跡の医術」(潮文社)より)
*ここに書いてありますように、自彊術は単なる健康体操ではなく病気治療のための体操でもあります。これは戦前の話ですが、実際に医者に見放された難病が治ったという方が何人もいたそうです。どうやら骨格の矯正によって自然治癒力が飛躍的に高まるらしく、エドガー・ケイシーも、病気治療のために食事療法とともに整骨療法(オステオパシー)を頻繁に勧めています。なので自力整体体操とでもいうべき自彊術に優れた治療効果があるのは当然かもしれません。
*自彊術には裏体操と呼ばれる指圧按摩法(自彊術療法)もあります。これについては、吉田誠三著「お医者さんのすすめるマッサージ体操 自彊術」(健康と長寿の会)に写真入りで詳しく紹介されています。
*大正時代にスペイン風邪の大流行で多くの死者が出たとき、自彊術を実践していた者たちの中からは一人の罹患者も出なかった、という話があります。野口整体の野口晴哉先生は、スペイン風邪は鎖骨窩の硬結に愉気すれば治ると言われましたが、ある整体指導者の方の話では、この部位の硬結を予防するには、腕を高く上げて、ちょうど背泳ぎのように後ろに回す運動をすると良いのだそうです。そして、自彊術の第17、18動はまさにそのような動作です。ならば、この度全世界で大流行した新型コロナ肺炎についても、自彊術(ラジオ体操やヨガ、太極拳についても)をされている方々の罹患率は著しく低かったのではないかと思われますが、実際のところどうだったのか、ぜひどこかの研究機関で調べていただきたいものです。









