子どもは生まないと思っていた。 | もう十分、自分を探してきた人へ。

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人の半生を聞くのが好きです。
人生の断片を拾い集めながら、物語を書いたり、小さな宇宙をつくったりしています。

また、2015年からオンライン秘書として活動し、個人事業主の仕事や事務の整理もお手伝いしています。

まだ妊娠はおろか結婚もしていない私ですが。
整形外科帰りのスーパーで買い物してたらこんなことがありました。


スーパーにて。
駄々をこねても何にもならないって
わかってるけど駄々こねちゃう時ってあるよね、とちびっ子に心の中で話しかけてたら、
別のところでお母さんが子供を連れ出して顔を叩いているのを見てしまった時の遣る瀬無さ。

顔はあかんて、顔は。しかもぶたれた子は耳押さえてたよ…もっとあかんよ…。
(Facebookより転載)


そしたら、何となく思い出したのが、

私は子どもを生まない

と思っていたことでした。

いつ頃からだったかな、中学生の頃からかな。
小学校の卒業アルバムには
将来の夢をお料理上手のおよめさん、としていたくらいだから。
(それを見た母親に「そんなの誰でもなれるわよ」って言われたけど、
もうすぐ30になるのにまだなれていない、これはブロックなんだろうか…)


掃除の時間にちゃんと掃除をしないクラスメイトに本当に腹が立って、
きちんとやんなよ、と注意をしたり、時に声を荒らげたりしていた私。
担任の先生から、

「自分ができることを他人に同じように求めるな」

と言われたことがきっかけだったかな。

一人の人間として、きちんとできることを強要して、
きっと
できないことに対して子ども相手に腹を立ててしまう。
だから私には子どもを育てられない。


そう思ってました。


その後に子育てしてみたい、と思うようになったのはいつだったか…。
なんとなくはそう考えるようになっていたのだけれど、

「自分自身も育てられるから、子どもは生んだ方が良い」


という母親の言葉が一番のきっかけだった気がします。
たくさん生んでいるから偉いとかそういうつもりは全くないけれど、
子どもを4人生んでいる母親の言葉には説得力があったのよね。


最近、Facebookに流れるお子さんがいる方の投稿を見ては、
なるほど、こういう話をしても良いんだ、とか、
子どもでも一生懸命理解しようとしているんだ、とか。
そんな中でふと思ったのです。


強要してしまう、と思うのは、同じ一人の人間として、
対等に向き合おうとするが故のことじゃないか。
それってとても素敵なことなんじゃないのか。



そう思えたら、なんだか涙が溢れてきて。
早く母親になりたいなと思ったと同時に、

私は母親になっても良いんだよ
そうやって躊躇したからこそ、母親になって良いんだよ


と自分自身に対して改めて許可できた気がしたのです。


ああ、早く赤ちゃんが欲しいなあ。
私と一緒に、大きくなっていくその姿を見届けられたら、
どんなに幸せなことだろうか。



今はこんな感じで自分自身と向き合って、気付きを得る時期です。
これが明けたら、つるーんとむけた私がいるに違いない!