週末、東京を訪れる機会があり「何か中国語に関係するイベントはないかな?」と調べたところ、東方書店のホームページ(http://www.toho-shoten.co.jp/)で発見!『中国インディペンデント映画祭2013』に行ってきました。
会場は道玄坂近くにあるシアター“オーディトリウム渋谷”。
“インディペンデント映画=独立电影”、そもそも映画・芸術に縁遠い私には全くイメージがありません。以下、映画祭ホームページ(http://cifft.net/index.htm)より抜粋。
中国ではインディペンデント映画のことを「独立電影」と呼びます。
中国の映画産業は国の管理下にあり、非常に厳しく、基準が曖昧な検閲が行われています。 その内容は政治批判や性描写・暴力描写などにとどまらず、宗教に関することや少数民族に関すること、同性愛を描いたもの、幽霊やオカルトなどの非科学的なこと、その他審査員が道徳的でないと判断するあらゆることが規制の対象になります。また、経済成長にともなって映画産業も成長し、数多くの国産映画が作られるようになっている中国ですが、映画館といえばシネコンしかなく、スターが出演する大掛かりな商業映画でなければ劇場公開されないという、非常に偏った状況です。
「独立電影」とは、こうした映画産業のシステム、あるいは商業的な制約から独立した、自由な精神で作られた映画のことを指します。 中には検閲を通している作品もありますが、その作風はいわゆる商業映画とは一線を画する独自性を持っているし、多くは検閲を受けようとさえせず、国内で劇場公開できないことを承知で、より自由な表現を追求して作られた作品です。 きっと、中国にこんな映画があったのか、中国人はこんなことになっているのか、といった衝撃を受けることでしょう。


既に“何でもあり”の日本の感覚からいうと、映像も素材もそれほどショッキングのものとは言えませんが、女性の性を真正面から扱うことは、今の中国ではまだタブーだとのこと。主人公がとっても美しく見えるときと、そうでないときのギャップが大きく、そこが魅力的に感じました。言葉の面からいうと、メインキャストは皆とても美しい普通話を話されていて、耳に心地良く響きました。対照的に、脇役として登場する霊媒師や市場のおばちゃんたちは方言色たっぷりで、全く聞き取れないところもあり、中国の多彩な言語環境が面白く見れました。

上演後には監督とメインキャストの女優さんが登壇され、主催者からの紹介と質疑応答。実は、映画以上にコレに興味がありました!「自分がもしこれを通訳するなら?」という視点で見てみると・・・舞台上での緊張等の要素は省くことにして、紹介の部分は事前知識があれば何とかなりそう。問題は質疑応答です。こういう場では、一言一句訳していては間延びしてしまうので、通訳が要約し、短時間で的確に内容を伝えなければいけません。そう考えたときに、難しいと思ったのは日→中。自分の中国語の発話能力が日本語より劣る、という原因もあるのですが、更に大きいのが質問自体の要点がよく分からなかったのです。聴き取りはできているはずなのに、要約しようとするとなかなかできない・・・反対にスピーカーがとても聡明な方だったというのもありますが、中→日はそれほど難しいと感じませんでした。「ふわっとした日本語の発言をどう理解し、まとめるか」、これは日頃から意識して訓練が必要のようです。
観賞していた方は、中国人、中国と関係のある日本人、そして、特に中国に関心は無い映画ファン、この3つのタイプに分けられそう。最後のタイプの方からの発言が印象的でした。「これまで孔子など歴史的なテーマを扱った映画を見てきたが、どうも中国には関心がわかなかった。今回このイベントで数本の映画を鑑賞したことで、農村、都会、それぞれ全く違った情景だったが、今の中国・中国人を少し理解できたように感じて親しみが持てるようになった」。監督は「それこそ映画を作る意義。光栄に思う」答えられていました。
私もこれまでいわゆる“大片”しか見たことがないタイプ。小説やドラマともまた違う中国の姿、そして、そしてそれに関わる人々、大きな刺激になりました。この映画祭は12月13日(金)まで開催されています。監督や出演者の登場もまだいくつか予定されていますので、お近くの方は足を運んでみられては?
余談ですが、同じ日に池袋の東京芸術劇場周辺で開かれていた『フェスティバル/トーキョー』という舞台芸術のイベントも見学。さすが東京ですねえ。ビルが多くて人が多いだけでなく、こうした直接お金に関わるわけではないイベントが盛んに行われていることに強烈に都会を感じました。

“インディペンデント映画=独立电影”、そもそも映画・芸術に縁遠い私には全くイメージがありません。以下、映画祭ホームページ(http://cifft.net/index.htm)より抜粋。
中国ではインディペンデント映画のことを「独立電影」と呼びます。
中国の映画産業は国の管理下にあり、非常に厳しく、基準が曖昧な検閲が行われています。 その内容は政治批判や性描写・暴力描写などにとどまらず、宗教に関することや少数民族に関すること、同性愛を描いたもの、幽霊やオカルトなどの非科学的なこと、その他審査員が道徳的でないと判断するあらゆることが規制の対象になります。また、経済成長にともなって映画産業も成長し、数多くの国産映画が作られるようになっている中国ですが、映画館といえばシネコンしかなく、スターが出演する大掛かりな商業映画でなければ劇場公開されないという、非常に偏った状況です。
「独立電影」とは、こうした映画産業のシステム、あるいは商業的な制約から独立した、自由な精神で作られた映画のことを指します。 中には検閲を通している作品もありますが、その作風はいわゆる商業映画とは一線を画する独自性を持っているし、多くは検閲を受けようとさえせず、国内で劇場公開できないことを承知で、より自由な表現を追求して作られた作品です。 きっと、中国にこんな映画があったのか、中国人はこんなことになっているのか、といった衝撃を受けることでしょう。
イベント期間中の二週間、いろいろな映画が日替わりで上映されているのですが、滞在日程の関係で選択の余地無く、『春梦』という映画を鑑賞することに。舞台は現代の北京。裕福な専業主婦が夢の中で出会う見知らぬ男性との情事に溺れるうちに家庭が崩壊し、宗教に救いを求める、というストーリー。


既に“何でもあり”の日本の感覚からいうと、映像も素材もそれほどショッキングのものとは言えませんが、女性の性を真正面から扱うことは、今の中国ではまだタブーだとのこと。主人公がとっても美しく見えるときと、そうでないときのギャップが大きく、そこが魅力的に感じました。言葉の面からいうと、メインキャストは皆とても美しい普通話を話されていて、耳に心地良く響きました。対照的に、脇役として登場する霊媒師や市場のおばちゃんたちは方言色たっぷりで、全く聞き取れないところもあり、中国の多彩な言語環境が面白く見れました。

上演後には監督とメインキャストの女優さんが登壇され、主催者からの紹介と質疑応答。実は、映画以上にコレに興味がありました!「自分がもしこれを通訳するなら?」という視点で見てみると・・・舞台上での緊張等の要素は省くことにして、紹介の部分は事前知識があれば何とかなりそう。問題は質疑応答です。こういう場では、一言一句訳していては間延びしてしまうので、通訳が要約し、短時間で的確に内容を伝えなければいけません。そう考えたときに、難しいと思ったのは日→中。自分の中国語の発話能力が日本語より劣る、という原因もあるのですが、更に大きいのが質問自体の要点がよく分からなかったのです。聴き取りはできているはずなのに、要約しようとするとなかなかできない・・・反対にスピーカーがとても聡明な方だったというのもありますが、中→日はそれほど難しいと感じませんでした。「ふわっとした日本語の発言をどう理解し、まとめるか」、これは日頃から意識して訓練が必要のようです。
観賞していた方は、中国人、中国と関係のある日本人、そして、特に中国に関心は無い映画ファン、この3つのタイプに分けられそう。最後のタイプの方からの発言が印象的でした。「これまで孔子など歴史的なテーマを扱った映画を見てきたが、どうも中国には関心がわかなかった。今回このイベントで数本の映画を鑑賞したことで、農村、都会、それぞれ全く違った情景だったが、今の中国・中国人を少し理解できたように感じて親しみが持てるようになった」。監督は「それこそ映画を作る意義。光栄に思う」答えられていました。
私もこれまでいわゆる“大片”しか見たことがないタイプ。小説やドラマともまた違う中国の姿、そして、そしてそれに関わる人々、大きな刺激になりました。この映画祭は12月13日(金)まで開催されています。監督や出演者の登場もまだいくつか予定されていますので、お近くの方は足を運んでみられては?
余談ですが、同じ日に池袋の東京芸術劇場周辺で開かれていた『フェスティバル/トーキョー』という舞台芸術のイベントも見学。さすが東京ですねえ。ビルが多くて人が多いだけでなく、こうした直接お金に関わるわけではないイベントが盛んに行われていることに強烈に都会を感じました。