きものサローネで倒れてから、記事を書いていませんでした。
わたしは結局、月に一回の出展もしないうような境遇になったのです。
2021年1月に、クレイワークのサブとして作っていた、4センチ角の小さな四角いがま口に火がついて、瞬く間に大の売れっ子作家になってしまったのです。
1月中旬から、こと切れて、あ。これ無理。ってなってショップをクローズするまでの9か月間。
わたしは一日も休まずに働き続けました。
一つの趣味もなく。一分もテレビを見ず。
どこにも行かず。誰とも会わず。
その間、部屋にいる猫は3月で12歳を迎えました。丑年生まれなのです。
よく吐く子で、吐かれると仕事を邪魔されるので頭に血が上り、不必要に怒ってしまい、ある時は人間用トイレに幽閉して寝てしまいました。
それくらい、わたしは常にピリピリと殺気立っていたのです。
猫の存在が疎ましく、毎日売れて毎日発送、新作を待たれている、これをまた作って欲しいと催促される。
わたしはどんどん病んで行きました。
夏物で爆発的に売れたものが3種類ほどあり、夏には縞の特集をやるといった手前やらざるを得ず、なのにもう売り切れているこれが欲しいとか言われます。
挙句には、値段が安いので買い漁りをされて、すべて台紙ラッピングして、紐も一本ずつラッピングして、これにはこのチャームをつけて、これは付外し可能にしてと、めちゃくちゃ面倒な要望をしてきた人がいました。
その数を見て、ほかの発送をカウントしたとき、あ、これ、もう無理。と理解しました。
その人のせいで、ショップをクローズに追い込まれたのです。
優しい言葉を使い、わたしを黙らせるためにお菓子をせっせと送り付けて来て、心は悪魔のような人でした。
わたしは潰れました。
けれど、潰れたのはわたしだけではなかったのです。
一緒にくらしている猫のサバちゃんが、具合が悪くなりました。
吐く頻度が増えたのと、吐き方がおかしいのですね。
それを、怒りながら、忙しさに追われて、放置していました。
9月にクローズしたあと、わたしが倒れ、なんとが15名様への発送を済ませ、そしたら、サバちゃんが吐いて吐いて。
ああ、これ、もう放置できない事態だ。
今日行かなくちゃもうダメだ、という状態にまで追い込んでしまいました。
診察で、典型的な悪い消化不良の吐き方だと言われ、撮影されたエコーでは、消化器官の蠕動運動がおきておらず、消化液がふつうは一方向に流れていくのに、サバちゃんのは行ったり来たりして揺れていました。
それでちょっとしたことで吐いてしまうのです。
フードを消化器用のものに変えて、吐き気止めを毎日2錠飲むこととして、取り敢えず吐き気止めの注射を打ってもらいました。
そこから二週間様子見です。わたしは「サバサバノート」という、以前は記録していたノートを復活させて、一つも漏らさずに観察して記入しました。
何時に何を何グラム食べた、オシッコ何回、ウンコはどれくらい、吐いたら何をどんなふうに吐いたかを記入して二週間後にレポートを書いて受診しました。
吐いている頻度が減ってない。便通だけが改善されたけれども、吐くということに変わりが見られない。
フードも変えて、胃薬を飲んでいても吐く。
胃の薬をもう一種類増やして、フードは消化器用のものだけに絞ってもうしばらく様子を見よう、となりましたが、それまで吐かなかった缶詰を、食べてしばらくしてから自分のベッドの中でふいに吐いてしまったのです。
もう二週間待つ意味はありません。
通院してウェットを吐いたことを告げるレポートを読んで、担当のドクターはもう、エコーさえ見ようとしませんでした。
今、岐路に立ちました。どうしますか。
選べるのは内視鏡検査で消化器官を見て、細胞を採取して病理検査に出すことです。
そこには全身麻酔という、大きな壁があります。
夫は内視鏡検査には反対でした。彼はそういう人です。
死にゆくものは死なせる。そうやって先妻さんも亡くしたのです。
母屋のガレージにいる、キジ君が真冬の小屋の中で倒れてたのを告げに行った時も「でもキジが選んでそこにいるのだから」と、見捨てる発言をしました。
わたしが、12歳で、腎不全を抱えたサバちゃんの体を案じていると、ドクターが、「普段はこういうこと、言わないんですが」と前置きして、
「今なら、腎臓を守る措置をしながら麻酔して内視鏡検査を受ける体力があります。でも、こうやっている間に衰弱が進んで体重が減れば、その時にやろうとしても、もう耐えられる体ではなくなることがあります。飼い主さんが最も後悔されるのがここです。はっきり言います。このままであと10年は持ちません。お母さんもお辛いでしょう。」
わたしの涙腺は崩壊しました。
こんなにしてしまったのはすべて自分のせいだ、わたしのせいだ、全部私のせいだ。わたしのせいでこんなことに。
「前日から入院してもらって、腎臓を守る点滴を打ちます。終わってもまた打って、丸一日様子を管理します。受けたほうがいいです。」
わたしは腹が決まりました。
反対していた夫も納得してくれて、その場ですぐさま夫の予定に合わせて入院の日、内視鏡の予約をしました。
その日まで、家で穏やかに過ごしててくださいと言われて、サバちゃんを背負って帰宅しました。
部屋で、キャリーからサバちゃんを出そうとした時でした。
急に、視界が開けたのです。
あれ?
朝が来た?
くらい、世間が明るくなったんです。
それをもし、「予感」という言葉で呼ぶのであれば、
わたしは特別スピリチュアルに目覚めた人間ではないけれども、誰にでも備わっている第六感というもの。
あ、これ、結果的に、良かったってなる。
そう思いました。
検査結果が良い物である、という意味ではない。ここまでの症状だと何もないはずがない、と言われている。
この時点で内視鏡検査を受けたことが、おそらく後々、良かったよね、って、
きっとなるんだ。
そう感じて世界が明るく見えたのでした。
そこから、サバちゃんの命と共に生きる、2000日を、こうして記録することとします。
2000日は生きててもらわないと、ということであるのです。
まだ、たった12歳。

2021.11月