毎日、自分が食べるお粥を作っています。
友人が、簡単な作り方を教えてくれたので、
それに沿って、いえ、それよりも手抜きで、
作っています。
本当はしばらくお米を浸しておくと美味しいよ、と教わったのですが、
やってみた結果、
わたしには、それだと柔らかくなりすぎて、
研いですぐに炊くのが、一番口に合うことがわかりました。
一回に、二食分出来ます。
一日三回食べるので、毎日お粥を炊きます。
そんな自分が信じられません。
わたしは、柔らかいご飯が、大嫌いなのです。
でも、それがはっきり「過去形」になりました。
中途半端に柔らかく炊いた普通のご飯は多分、嫌いですが、
柔らかい、お粥や雑炊が嫌いで、
鍋の〆めに雑炊、というのも、嫌でした。
自分が炊くときは、水の量を少なめにして、硬いご飯を炊いていました。
わたしは、病気の時に母にお粥を作ってもらった経験はありません。
多分、小学生のころは、必要があれば、自分で「おじや」を作っていました。
母は、わたしが病気になると怒るので、
わたしはなるべくばれないようにしていたのです。
でも、インフルエンザのような高熱が出た時は、
動けないので、仕方なく、寝ています。
でも、そんな私のためにの料理は何もなく、
ただ、寝ているだけで、
病院にも一人で行けと言われて、
それはさすがに無理だよ…とうなだれたこともあります。
病気=悪いこと、なので、怒られるのです。
母は、厄介なことが起きるのを極端に嫌い、
わたしの体調なんてどうでもよく、
心配するどころか、怒鳴り散らす人でした。
父も、自己管理がなってない!と厳しかったです。
なので、こっそり寝ているしかなく、当然、お粥なんて与えられません。
20年前くらいでしょうか、中国粥のブームが一時的に起きて、
改装した上野の駅にも、中国粥の専門店がありましたが、
「お粥にお金を払うなんて。」とわたしは思っていました。
胆石が胆管に詰まり、その間に肝臓の数値がヤバいことになっていて、
車椅子に乗せられ、緊急入院したとき、
丸々、五日間の絶食をしました。
4人部屋だったので、他の3人は食事をしているのです。
その辛さ。
気晴らしにテレビを見ようとしても、
テレビには、これほどまで、食べ物の情報があふれているのか!と
ビックリするくらいで、
辛くて見られませんでした。
食欲は、いつか麻痺するかと思っていたのですが、
来る日も来る日もただただ空腹で、
わたしは、戦争で南方に送られ、
戦ってではなく、餓死してしまった兵隊さんのことを、ずっと考えていました。
戦争は絶対にダメです。
愚かなことです。絶対にしてはいけない。
ですが、もし、兵隊として送られて、
敵と刺し違えて亡くなったのならまだしも、
南方に送られて亡くなった兵隊さんのうち、
実に三分の二が、食料がないことでの「餓死」だった事実を、
みんな知らないのです。
アメリカには豊富な資源と、確実な後方支援があり、
食料はきちんと、補充されていました。
そんな相手に、精神論だけで勝てるわけがない。
愚かなことです。
死んでしまった同胞の靴を脱がせて自分が履き、
前へ進めども、食料はなく、支援部隊も来ず、
ジャングルでは疫病も多く、
闘ってではなく、病気や餓死で無駄に失われた命。
わたしはずっと、そんなことを考えていて、ちょっとオカシクなりました。
五日間が過ぎて、初めての食事が出て、
お粥を食べた時、
その甘さに、わたしは泣きました。
今、毎食お粥で、満足しています。
自分で、鍋で、一回一回作ることにも、意義を見出しています。
夫は「炊飯器でやれば勝手に作ってくれるじゃないか。」と言いましたが、
そういうことじゃない。
わたしには、「お粥を炊く」という、
この作業が、今、必要なんです。
コトコトと鳴る鍋の横で、野菜を小さく切って煮物を作ったり、
豆腐を煮てみたり、
毎日、一時間ほど、キッチンに立っています。
それが、今のわたしに、「必要なこと」として、
与えられたのです。
病気を作り出したのは、自分だった。
そう、気が付いた時、宇宙は助けてくれました。
手術しなくて済むよう、最短で帰れるように仕向けてくれました。
そして、お粥を炊く作業を、わたしはとても楽しんでいます。
嫌いだったはずのお粥。
それを作ることが、面白い。
毎日、ちょっとしたコンデションで、出来上がりが変わります。
音と、混ぜた時の重たさで、出来上がりを見極める。
それを、炊飯器なんかに任せるなんて、もったいない!
わたしは起きるのがお昼ごろなので、
お昼には、お粥とおかずを食べます。
宵の口にもそうです。おかずが増えたり変わったりします。
夜中には、梅干しでお粥だけを食べます。
とっても美味しいです。
飽きません。
とても不思議でなりません。
わたしは今、不要なものを削ぎ落されているのです。
元がとても太っているので、見た目わかりにくいですが、
11月に咳が始まって食べられなくなってから、
今までで、6キロ、体重が減りました。
これは、母との確執で、大過食をして、半年で増えてしまった量にあたります。
それを落とせました。
まだかなり余分なので、もう6キロは落としたいところです。
絶対に変わる。
わたしは変わる。
なぜなら、ちゃんと、「気が付いた」からです。
だからきっと救われる!
そう信じて、まだ当分は、お粥生活です。
それを楽しめる自分が、好きになりました。
読んで下さり、ありがとうございます。
「ゆきのひ。」