「元日や 粥を炊く腕 内出血」
こんばんは。
年末、27日に、激しい腹痛で緊急入院しました。
夜中に痛みだしたのですが、
翌日の夫の予定を知っていたわたしは、
朝までは夫を寝かせてやらないと、そして支度をさせてあげないと、と思い、
痛みをこらえて、ベッドでうんうん、唸っていました。
朝6時半になり、夫の支度ももう済んだだろうと判断し、
スマホに電話するも、まだバタバタしているらしく、
夫は出ません。
メールも入れておいたのですが、読んでもいないようです。
あ、ちなみに夫とは、敷地内別居で、わたしは猫と暮らしています。
夫がスマホに出てくれないので、
最後の手段で、家電にかけました。
でも、これも確率は低いのです。
認知症のお姑さんが電話に出ないよう、
生活のフロアである2階では、音が鳴らないようにしてあるのです。
なので、夫が子機を持っているか、
自分の書斎に居る時でないと、出てもらえません。
幸い、ちょうど支度が終わって降りて来たところだったようで、
早朝の家電は、何かあったとしか思えないでしょうから、
出てくれました。
夫はすぐに母屋を飛び出して来てくれました。
うんうん唸りながらうずくまっているわたし。
朝になってお腹が空いたと鳴く猫。
わたしは、次の入院に備えて、
書いておいた猫の世話の仕方を描いた書類を、テーブルに置き、
夫が病院に電話している間に、
いつもある入院カバンを見て、要らないものを引っ張り出そうとしていました。
そしたら、夫に、そんなものはあとで持って行くから、
保険証と診察券だけ持って車に乗れ、と。
痛みは陣痛のようで、波があるので、
傷まない隙をねらって階段を降り、車に乗り込み、病院に運ばれました。
うんうん唸って痛がっているのに、寝かせてももらえず、
パイプ椅子に座って、その隣で書類を書かされる夫。
途切れ途切れに指示を出して、記入してもらい、
自分もはあはあしながら、本人欄にサインをしました。
何が起こったのか、全くわかりませんでした。
痛いのは胃だと思って、太田胃散を飲んだのです。
でも、看護師さんが、お腹を押して、わたしがギャッ!と叫んだ箇所は、
小腸か、もしくは盲腸だとのこと。
やばいやばい、盲腸だったら、手術決定じゃん!
今はまずいよ!
記憶も飛び飛びで時系列がわからないのですが、
やっと医者が出勤してきて、レントゲンとCTを撮りに行き、
また座って待ってろというので、
せめて横にならせてくれ!と懇願しました。
一睡もしてないので、痛みの隙間に睡魔が来ます。
唸ったり眠ったりしながらERのベッドにいました。
夫が写真を見せられて、医者から説明を聞いたようです。
小腸がねじれて絡まって、狭窄を起こしていると聞きました。
なんで?
なんでそんなことに?
看護師に、生ものを食べてないか、痛くなる前に食べたチョココロネは、
古くなかったか聞かれましたが、
その日は買って来たお惣菜を食べたし、
チョココロネは買ったばかりのものでした。
なんで?
なんで?
医学的な根拠は、あります。
「腹部の手術をしたことがある人」
「臓器を摘出して少なくなった人」に、よく起きる症例だそうです。
スペースが広くなって、腸が暴れやすいのでしょうか。
確かに、胆のうを摘出したとき、
執刀医が、臓器が腹膜と癒着していたのを発見してくれて、
ついでだからと、はがしておいてくれたのです。
わたしの正式な病名は、
「小腸癒着性イレウス」でした。
悪くすれば、腸の絡んで詰まっている箇所が、壊死を起こしたり、
ちぎれたり、破裂したりすると、命に関わるとも聞きました。
その日は12月27日。
手術室は、28日までしか使えないというのです。
28日のあと、清掃と殺菌に入り、器具は棚卸しに入る。
なので、もし手術室が空いても、器具がない。
なので、そういう事態に陥ったら、
年中手術を行っている病院に救急搬送して、
手術をしないと危ない、と聞かされました。
完全絶食で、腸に何も行かないようにし、
点滴をガンガン入れて、腸がほどけてくれるのを、期待するしかないとのこと。
水すら飲めないという、苦しい時間が始まりました。
やばいやばい。
でも、一睡もしていなかったので、
わたしは痛みが治まると気を失うように寝てしまいます。
医者の問診中にも寝落ちしました。
そうして、ただ安静にして、点滴をものすごいスピードで大量に入れて、
そう、もう、それしかないんです。
ほどけてくれ! 頼む!
「腸頼み」でしかないのです。
幸い、痛みが徐々に軽くなってきました。
押されれば痛いですが、大人しく寝ていれば痛みがないようになってきました。
ERなので、一時間おきに看護師が点滴を見に来て、
わたしが起きているのを見ると、「ガス出ました?」と聞きます。
そうか、腸が繋がったことを証明するのが、ガスなんだ?
すごい量の点滴を入れているので、
(看護師さんも、え?これを4時間で入れるの?とビックリしていました。)
トイレは近く、
点滴さんを引きずって、というより、
点滴の架台につかまりながらトイレに行っては力んでみますが、
なかなか出ない。
日付が変わり、明け方になり、4時半にトイレに行ったとき、
小さいのが、プスっと出ました!
あっ!
今の、「出た」でいいよね?
その後も、朝もう一回出たので、
9時ごろに回って来た回診の医師に伝えて、
お水の許可ももらいました。
お水が飲めないのが本当に辛かったので、嬉しかったです。
絶食は、もういっぱい経験しているので、さほど辛くありません。
28日の午後に、個室に移れました。
個室に入って、やっと一人になれて、
わたしはわたしと向き合いました。
何故、このようなことが起こったのか。
必ず何か、あるはずなのです。
過度のストレスによってなった、精神疾患とはまた違って、
何か自分に、原因なり、理由が、あるはずだと思いました。
それがわかったのは、
「通し検査」と言うのをやって、薬を飲み、ライブ映像で腸の動きを見た医師が、
「大腸までちゃんと到達したので、夕飯を出します。」と言って、
届いた夕飯を食べたときだったのです。
来る食事が、「低残瑳食(ていざんさしょく)」であることはわかりました。
徹底的に、食物繊維を排除した料理です。
わたしの母が、大腸がんで、横腸を40センチも切っているのですが、
そのあと、特に食事指導がなかったらしく、
繊維質の物がいいに違いないと思い込んで、
キノコソテーを山盛り食べた日に、腸が詰まり、緊急入院しています。
その後も、何度も何度も詰まらせた結果、
「低残瑳食」しか食べてはいけないということになっています。
母は病的で、皮つきゴマがいけないとわかると、
たった一粒でも絶対に食べないし、
異常なくらい、そう、病気じゃなく、病的に、
食べないのです。
腸の病気の痛みは、出産を抜いて第一位です。
わたしは幸い、問診で「出産を10とするなら、今、7です。」でしたが、
母は、出産を上回る痛みを何度も経験し、
恐怖におびえて暮らしています。
そんなちょっとの量で詰まらないでしょ、と思うような量でも、
絶対に食べません。
だから、どういう食事が来るのかは想像が出来ました。
ですが、出た来た食事は、流動食でもなく、
「低残瑳・超軟菜」の指示はありましたが、
全粥の半分量、鶏肉をほろほろに煮たもの、
湯豆腐、そして、クタクタのマロニーちゃんの酢の物でした。
それを食べた時、体中の細胞が、歓喜したのを感じました。
やはり、原因は、自分にあったのです。
こういう、ちゃんと手をかけた食事を、
わたしはもう何カ月も、とっていませんでした。
忙しさにかまけて、買って来たお惣菜を温めもせずに食べ、
野菜はジュースで、
一切煮炊きをしていなかったので、
月々のガス代が、たった1700円だったのです。
自分が、自分を大事にしていませんでした。
食べることが生きることであり、
喜びでもあり、体のために最も大切なことなのに。
このところ、検査が多くて、絶食も多く、
そのあと大量に炭水化物のみ摂取したり、
温かいものを食べてなかったり、
毎日パンだったり。
お粥を食べた時、その甘さに、わたしは涙しました。
お豆腐も、ただ、湯豆腐にして、おかかをかけて、お醤油を少しかけるだけで、
こんなにおいしいんだ?
マロニーちゃん、こんなクタクタでも、酢の物にすると、美味しいんだ?
食をおろそかにした、自分が、作り出した病気だったのです。
そしてこれは、あきらかに、「警告」。
もちろん、条件的に、
わたしは卵巣と胆のうを摘出しているので、
腸の捻転が起こりやすいのは確かです。
でももし、ちゃんと自炊して、
自分で炊いたご飯を、自分で作った煮物を食べていたら、
こんなことにはならなかったように思うんです。
あの夜、夕飯に食べたものを思い出しました。
大好きな、牛蒡・蓮根・こんにゃくの、ごろごろきんぴら、だったのです。
主治医に話したら、「最悪な組み合わせを食べましたね。」と言われました。
年末年始の、人手がない時期に、患者を置いておきたくない病院の方針で、
わたしは急きょ、30日に退院させられました。
「次の外来までは、あなたは「患者」なのだから、自宅でもお粥ね。
お粥の他に食べていいのは、豆腐と卵。
野菜は細かく刻んでクタクタに煮て。
パンは駄目。お餅? 絶対にダメ!」とのこと。
退院してきて、運動がてら歩いてスーパーに行きましたが、
年末の、ご馳走が並ぶスーパーで、
わたしは大根と白菜と、豆腐とささみと鱈を買いました。
大好きなイカもタコも食べられない。
今後、母ほどではないにしても、わたしも「低残瑳食」が必要になるでしょう。
最初はレトルトのお粥や雑炊を食べましたが、
病院で食べた、あのお米の甘さのある、ねっとりとしたお粥が食べたい。
友人が、簡単に生米から作れるお粥を教えてくれたので、
生まれて初めて、自分でお粥を作ってみました。
そしたら、まあ、なんと甘くておいしいこと!
おかずが要りません。
まあ、白菜をクタクタに煮て、豆腐と鱈を入れて、
ポン酢で食べましたが。
それすらも、信じられないくらいに、美味しかったです。
柔らかいご飯が大嫌いで、
母にもお粥を作ってもらった経験がなく、
絶食のあとのお粥の甘さに泣き、
今回は、自分で作ってみて、
お米の持つ、「使命」に、驚きました。
お米は、お粥になって人を癒し、
おむすびとなって、人を繋ぐ力をもっているのです。
そんな神聖な食べ物が、世界のどこにあるでしょうか。
日本人が、世界の規範であるべきなのは、お米の力を借りているからです。
お米の国の人だから、
大災害の時に、暴動が起きないのです。
お粥の甘さに泣き、おむすびに人の手を感じることが出来れば、
きちんと整列して順番を待つ、そういう人間でいられます。
それこそが、日本人が世界に見せるべき、模範の姿なのです。
一行目に詠んだ俳句は、
元日の夕方、初めてお粥を作っている自分の内肘に、
採血でぐりぐりされた、内出血の痕を見つけたことを書いたものです。
お粥は、40分もあれば作れます。
全然難しくもないし、煩わしくもありません。
煮ているそばで、次の料理を作りながら、
かき回して作れます。
甘い甘い、ねっとりとした幸せなお粥の出来上がり。
食べることが、生きること。
それをおろそかにしたわたしにやって来た「警告」。
この病気を、わたしは大切にします。
大好きなものが、もう食べられないかもしれない。
大好きなイカ、霜降りのステーキ、マグロの中トロ。
天ぷら、きんぴら、きのこ、こんにゃくゼリー、
全部駄目になるかもしれません。
でも、それでもいいです。
そんなことは、大したことじゃない。
貧しかったことしかなかったから、もともとそんなに食べてなかったし、
夜中に、自分のお粥を煮ている、その自分が、好きになりました。
お米の国の人として、
わたしはまだしばらく、生きてみようかなと思います。
「ゆきのひ。」
長々とお読みくださり、ありがとうございました。