昨日の記事で、びっくりしてくださった方はいらっしゃいますか?

わたし自身は、かなり、ビックリした出来事だったんです。
でも、正しい結婚をしたご夫婦に聞くと、
結婚してから知ったけれど、実はこんなに周りが繋がった、という、
お話もいっぱいあります。

お誕生日シンクロも、そうですよね。
二人が結婚した結果、その子供やイトコや甥や姪に、
シンクロがさざ波のように広がって行くわけですから。

でも、わたしがこの方とのご縁を、人生で最大ビックリだと感じているのは、
昨日の話には、まだまだ、続きが控えていたからなのです。


息子が小学だ6年生の夏に、
わたしは、学区外に引っ越しをしました。
樹脂粘土の仕事が増えて、ちゃんとした工房と、お教室が必要になり、
区からの「生業資金」というものを借りて、
大きなフローリングの部屋のあるマンションに、
引っ越したのです。

息子は小学校は、あと半年でしたので、転校せずともよしと、
言われるのがわかっている時期を狙って引っ越しました。
小学校までが遠くなり、夏場だったので、汗だくで帰って来て、
ちょっと可哀想でした。

なので、中学は、学区が別になり、
そのお友達とは遊ばなくなりました。
わたしは、時々ママ友さんとは会っていました。

息子が高校生ぐらいになると、
借金の返済、高い家賃の支払いがのしかかり、
勤めていたデザイン事務所さんも、仕事がなくなり、
事務所を畳んで、自宅を改造されて仕事場兼用とされ、
わたしは解雇になりました。

樹脂粘土の仕事は、次々と入っては来ましたが、
とてもそれでは生計を立てられず、

わたしは平日の昼間の早い時間帯や、土日の夜などに、
飲食店にバイトに行っていました。

樹脂粘土の仕事には、パートナーがおり、
それはかつては恋人だった男性でしたが、
恋愛うんぬんよりも、仕事のパートナーとしては最強でした。

わたしがデザインを考え、色を作り出す。
彼が立体でそれを制作する。
また作品がわたしに戻って来て最後の仕上げをする。
体験会では、わたしが教える役で、
彼は皆さんの作品を預かって焼いて管理し、手渡す役目。

二人が揃っていないと、成立しないユニットでした。

ですが、マンションも生業資金もわたし名義で借りており、
毎月の家賃を払うのも、生活費を稼ぐのも、わたしです。
足りないので働きに出て補充しました。
合わない、辛い、スナック勤めから夜半過ぎに帰宅すると、
その男は寝転んでテレビを見ていました。
いくら言っても、働こうとはしませんでした。


それで、やがてユニットはうまく行かなくなり、
わたしは、別れてくれ、出て行ってくれと言いました。

期限を設けて、出て行く算段になっていたのですが、
そこに、急に、本の出版の仕事が舞い込んで来たのです。

それは、わたしの夢でした。
それだけはやりたい。
そこで、その本が出版されるまでは、仕方がないから割り切って同居していました。

ものすごくハードな日々でした。

掲載する作品は、わたしがすべてデザインを起こし、
色を作り、制作は物によって、わたしだったり、彼だったりします。
企画会社さんとの会議、馬鹿な編集者とのやり合い、
出版社の会議を通るかどうか。
そこまで、たった二か月しかなかったのです。


作品が出来ると、次は撮影の立ち合いです。
付いたスタイリストが、全然作風を理解しておらず、
見当違いのものばかり出して来て並べるので、
結局、ほとんどわたしが小物アレンジや背景を決めて、
撮影ショットも決めました。

それをしながら、作り方ページのイラストと文章を描かなくてはなりません。
これは、100%わたしの作業です。


明け方4時まで描いて、仮眠して、10時には編集者が原稿を取りに来ます。
毎日毎日がその繰り返しでした。

そして、その間、全く収入がないのです。

わたしは人から借金し、
高校を出て就職していた息子にも借りて、どうにか生きながらえました。



あちらのご家庭は裕福なので、
当然、お子さんは、いい大学に行ったはずです。
でもその頃には、連絡を取り合うことも出来なくなっていました。

本を出版することが出来ました。

けれども、余りのハードワークに、
企画会社の担当者が、まず、鬱病にかかって会社に出られなくなりました。

わたしは、その後、事件に巻き込まれて、
樹脂粘土の仕事をすべて、失いました。


そして、わたしも、崩壊してしまったのです。


いろいろあって、今の夫が、わたしを救ってくれました。
前世、江戸で、遊女だったわたしを身請けしてくれたのが、
今の夫なのですが、
今生でもまた、身請けしてくれたのです。

わたしは、
お腹にいた時を含めると24年間、一緒に生きて来た息子と、
解散することになりました。

息子は、イキイキと住みかを探して来て、
間取り図をわたしに渡すと、
「家具を買うのと、配置、やって?」と、言ったのです。
お金はもちろん自分が出すけど、家具を買うのと、配置、
やりたいでしょ?
と、息子は言ったのです。

息子と離れることが辛くて、
タオルケットをかぶって号泣しているわたしの姿を見ていて、
息子は、役割を与えてくれて、
一緒に選ぶ喜びを、与えてくれたのです。

通販で買うもの、ハンズで買うもの、ニトリで買うもの、
押入れの採寸をしてきては、ユニット引き出しがピッタリ入るよう、
計算して組んだり、
タオル一枚にまでこだわって、買い揃えて行きました。

家具の配置は、息子は気に入ってくれて、
こう来たか、自分には無い発想だったと言ってくれました。

息子が先に出て行き、夫が引っ越し当日、車で往復してくれて、
それから、わたしは、夫の元に嫁ぎました。


さてさて、一体、例の五島列島出身の彼女は、
どう絡んでくるのでしょうね?


昨日の記事に書きましたが、
彼女は、上京してから、結婚するまで、

東京の南端の区に、住んでいました。
その街には、その街の歌がありました。
学童の仲間で、時々、みんな子連れで、安い居酒屋に行き、
ママたちはお酒を飲んで、
そのあと、いつもカラオケに行ったものです。
その時、彼女が、わたしが独身の時に住んでた街の歌なの、と、
毎回、歌ってくれたので、わたしももうすっかり覚えていました。

わたしが、夫と再婚して、住むことになった街が、
彼女が、まさに、歌っていた、
そう、彼女が上京して住んでいた、その街だったのです。

また、ここで、繋がったのです。

すごい。やっぱりすごい。
そう思っていました。
あの歌の街だ。
彼女が住んでた街だ。


ですが、精神疾患を抱えた身での、大家族の暮らしに、
わたしは苦しみ、
夫からの圧力に苦しみ、
土地勘もなく、出かけることすら恐ろしく、
かと言って、お姑さんが仕切っていた台所に自由に出入りすることも出来ず、
わたしは、夫が前夜、買っておいてくれたパンをかじり、
水筒にいれてくれた浄水された水を飲んで、
部屋にひたすら、引きこもっている暮らしでした。

誰かと会うのも、全然無理でした。
二か月に一回ぐらい、息子とデートするのが、最大の楽しみでした。

例の彼女に、連絡をしたのは、
わたしがアパートの部屋に越させてもらい、
天然石のアクセサリーを作っている頃です。

古い年賀状を引っ張り出して、
すごく息子がお世話になって、おかげさまで無事に社会人になれました、
わたしは今、再婚して、
あなたが住んでいた、あの街で暮らしています、と手紙を添え、
彼女が好きだったグリーンの石を使って作ったネックレスを、

同封して送りました。
メルアドを書いておいたところ、携帯にメールをくれました。
その街に住むだなんて、わたしたちってやっぱり縁が深いのね、と、
彼女も書いてくれていました。


やがてわたしは、アクセサリー作りも出来なくなって、
彼女とは年賀状だけの関係でした。
息子が結婚したことも、年賀状で知らせて、
小さい頃に一杯預かってもらってお世話になって、

お陰さまで結婚出来ました、と書きました。

彼女の息子さんは、付き合ってる女性もいないみたいなので羨ましい!と、
書いて返事が来ました。

そしてまた、数年経って、
去年、ふと、彼女から突然メールが入ったのです。

本当に突然だったので、てっきり、息子さんが結婚とか?と思って、
画面を開きました。

すると、そこには、こんな文章がありました。


わたしは3月で定年になりました。
ですが、再任用されて、また働いています。
それが、あなたが住んでる、その街なの。
駅から帰りの電車に乗る時、ふっと駅前であなたとすれ違わないかなって、
思っていて、メールしてみました。


ええええ?

また、この街に、繋がったの???

わたしは、その時たまたま、パン屋のカフェでお茶をしていたので、
すぐに返事をしました。

彼女には、精神疾患のことは伝えてあるので、
今現在の、わたしの状態はわかりません。
なので、どうですか?とも、会いませんか?とも、書いてなくて、
ふと思い出して、とだけ、書いてあったのです。

わたしは、今はお薬で調節できていて、大丈夫なこと、

出掛けることもしていること、
もし会えるなら、会いたいです!と、書いて送りました。

だって…。
こんなにも、何度も何度も繰り返されるご縁。
23区の、端と端に住んでいながら、
彼女がまた、この街に戻ってきているという、必然。
会うべきでしょう!


わたしたちは、もう、何年ぶりか、分からないくらいだねと言って、

会いました。
多分、息子が高1のときに、会ったことがあったような…。
つまり、15年以上、会ってないと思うんです。

ランチして、また、前みたいにカラオケ行こう!と、
話はトントンと決まり、
数日後には会っていました。


いまも、時々、メールはしますし、何度か会って、
ランチしてカラオケに行っています。
また繋がれて、とてもとても嬉しいです。

どこまで行っても絡み合って来るご縁。

大切にはぐくみたいと、願っています。

わたしには、人生の恩人が沢山いますが、

彼女も、いっぱい助けてくれた人です。
大恩人です。
大切にします。


今日もお読みくださり、ありがとうございました。

「ゆきのひ。」




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