猪苗代湖の北側、磐梯山麓の南側にあるいわはしに向かいます。

は、会津地方最古といわれる神社です。

 ⇒ 磐椅神社公式サイト

 神社名の「磐椅」について。

 磐梯山はかつて磐椅山と言われていたようです。磐梯山の意は、神の座(いわくら)にかかるはしご)、すなわち「いわはし」。は「いす」としか読まないはずですが、意味を優先して慣用的に「はし」と読んでいるようです。

 

主祭神は、大山祇命 埴山姫命 の2柱。

相殿には、誉田別命(応神天皇)  息長足姫命(神功皇后)

     木花佐久夜毘賣命  磐長姫命 の4柱。

雪が多い地方の神社本殿は、たいてい雪囲いの屋根と壁で守られています。👇

なので、せっかく凝った建築であっても本殿はよく見えません。

 本殿の周りを歩いていると、落ち葉の絨毯の上に🐍さんが居ました。2015年に磐梯山に登ろうと登山口駐車場に来た時、山頂が雲に隠れていて晴れそうになかったので、登山を断念して帰ろうとしたら、それを押し留めるかのように、車の直前にトグロを巻いた🐍さんがいてビビったものでした。磐梯山に来ると🐍さんに出会います。

 下記リンクには、磐椅神社が言及されており、今回、チャンちゃんが東北地方にある主要な神社のいくつかを巡った理由も書かれています。

  《参照》 『禁断の日本超古代史』 宗川日法 (グリーンアローブックス)

          【国津神系の荒覇吐一族】

          【荒覇吐・その呼称が意味するもの】

          【天と地を結ぶ磐石の梯:会津磐梯】

 「神人合一の神宝」が、7日間にわたって橘カオル(=植松愛子=徳田愛子)先生に降ろされたのは、ここだそうです。

 《参照》 『元つ神に「光ひとつ上ぐる」仕組み』白山大地(ヒカルランド)

          【仕組みの終了】  

          【「神人合一の道」】

          【「玄牝の門」】

 

☆ ご由緒 - 磐椅神社公式サイト ☆ には、以下のように書かれています。

 を信仰したのは徳川二代将軍秀忠の子で会津松平家初代藩主の保科正之。会津藩の礎をつくり、徳川四代将軍家綱の補佐役を務めた名君。その正之公は神道に深い関心を寄せ、神社の保護に力を注いだ。万治2(西暦1659)年、猪苗代湖が一望できる磐梯山のふもと見弥山にある当社に参詣して神事を行った。正之公は「我死せば末社となりて永く奉仕せん」との遺言書を残し、末社として当社西側に土津大明神(土津神社)が造営された。

 

 

<了>

 

 

土津神社

 

 

インデックス(神社・お寺)