表紙の下に「天皇家と沖縄の深い関係」と書かれていたので読んでみた。2014年8月初版。

 

 

【沖縄を変革させた二人の人物】

 今からおよそ3000年前、600年続いた古代中国の殷帝国が周に滅ぼされた紀元前10世紀のころ、沖縄は縄文の牧歌的静謐の世界から、突如一転して躍動の世紀へと変わりました。変革は二人の人物の登場で起きました。(p.16)

 その二人について、以下のように書かれている。

 

 

【アマミコ】

 一人はアマミコ(アマミキョ)。彼は南方系縄文日本人(天孫海人族)の最後の締めくくりを取り仕切った首長です。大移動とは、居住地スンダランドが、マラリアやフィラリアなどの熱帯風土病の猖獗と、地球温暖化による縄文大海進(水没)で住めなくなったためにとられた移住計画です。北の瑞穂の国(日本)を理想の楽土と見て、幾世紀以上にわたって歴代首長の申し送りで行われた一大プロジェクトだったのです。アマミコは、沖縄髄一の居住適地として、先遣隊があらかじめ準備した南部の玉城(たまぐすく)の地を根拠地と定め、沖縄諸島をはじめ、日本列島の処々方々に開拓定住している部族たちの統括に乗り出したものと見られます。(p.16-17)

 アマミコ=アマミキヨ=アマミチュー。アマミコを漢字で書けば天御子。

   《参照》  アマミキヨの道

 アマミコは沖縄の開闢神話に出てくる創世神です。沖縄南部の豊饒の地、玉城に降臨して国をつくったとされる神様です。(p.104)

 

 

【太伯】

 もう一人は、中国の周の文王の伯父の太伯です。およそ200年前、本居宣長によって歴史の闇に葬られた「太白伝説」の主人公、太伯。古代中国の周の国の皇太子の謎に光を当てることによってはじめて、古代日本の数々の歴史の謎が浮き彫りになった感があります。彼は最初に宮古島で奴国を旗揚げして、いったん貝の交易の仕事を軌道に乗せてから、那覇に拠点を移して、北九州から南朝鮮まで視野に入れた強大国奴国の建設を進めたものと見られます。(p.17)

 「太伯伝説」とは、周の太公の長子であり、周の文王(太公の三男の子)の伯父である太伯が呉の国を建て、さらに海を渡って日本人の祖先になったという内容の伝説。日本人が着る着物(和服)のことを呉服というけれど、呉の国の服がルーツでなければ呉服とは言わないだろう。

   《参照》  『縄文八咫烏直系! 吉備太秦と世界のロイヤルファミリーはこう動く』 板垣英憲 《前編》

            【呉一族】

 殷人も周人も、漢族ではなく、ツングース系の騎馬民族だと言われていて、姿、容貌は今の日本人によく似ているらしい。

 

 

【始まりは宮古島】

 沖縄を舞台に、不思議な運命の絆に結ばれたかのように、天つ国(天皇家)と奴国(なこく:太伯始祖)が、紀元前1000年余りの歴史を相共に親密に生きたのです。そしてついに結合してヤマト王権を確立するという、この国の夜明けの最もドラマチックな歴史を、私は長い根を詰めた考察で見ることができたように思います。

 この伝説を解くきっかけは、私の古里で宝貝の「やびじ」(八重美瀬:やえびせ)で知られた、沖縄の宮古島にあったことに始まります。(p.17)

 キーワードは、「宝貝」。

 古代中国の漢字の中で、「寶」、「財」、「貨」など、財務関係の言葉に貝を使ったものが多いのは宝貝が通貨(貝貨)であった証しといわれています。(p.43)

 宮古島の「やびじ」は、宝貝の宝庫だったらしい。

 

 

【「うるま市」周辺と勝連城】

 宮古島の「やびじ」と類似点のある「うるま市」について、勝手に書いておきます。

 沖縄中部太平洋側にある「うるま市」周辺も「やびじ」と同様に遠浅の海なので、ここも宝貝の供給源だったのかもしれない。

 「ウルはウル石の略で、珊瑚を意味し、マは場所を意味する」とあり、うるまは「広く珊瑚島、砂礫島、水成岩に縁のある場所などの意味を有する」 『宮良當壯全集 第15巻』(宮良 當壯、第一書房、1981年) p80-91 

 であるなら勝連城を築く財力も容易に得られただろう。残存する文献によると、殷代から近世に至るまで、宮古諸島・沖縄諸島を供給源とする宝貝の需要は絶えることなく続いていたらしい。

 

 

【南進説と北進説】

南進説:本土の日本人が沖縄へ渡って行ったという説。皇国史観は南進説を基としている。国学のドン:本居宣長がこの説を盤石にし、沖縄の学会トップであった伊波普猶(いはふゆう)も、沖縄の威信を損なうこの説の推進者だったとか。

北進説:沖縄をルーツとして日本人が形成されたという説。黒潮海流説に即したごく自然な考え。即ち日琉同祖論で、これを唱えたのは新井白石と柳田国男の二人だけだったとか。本書は、勿論、北進説を基としている。

 

 

【太伯と神武の共通点】

 太伯の王位継承問題について、

 史書の記述によると、・・・(中略)・・・。父王のもとへは、呉の建国の前か後かは不明ですが、鯨面文身(顔や手に入れ墨)となって挨拶に来た、つまり、王位につく意志のまったくないことを身をもって証して去ったというのです。

 この短い記述から、太伯が日本に渡ったに相違ないとみられたのは、一に鯨面文身の姿形になったという点にあります。

 なぜなら、当時その風習を持っていたのは、中国南部の海人族と南方系縄文日本人(天つ族)しかなかったからです。

 ちなみに神武天皇の野辺の遊びで、侍従長のオホクメの入れ墨顔を大和の乙女が訝しむ歌が『古事記』の久米部の歌に出ています。古代大和地方で入れ墨の習慣のなくなった人たちとそうでない神武軍団の人たちが混在していたことが分かります(読み方次第で天皇自体が入れ墨顔であったともとれます)。・・・・・(中略)・・・・・。

 顔に入れ墨をするのは、その習慣のない人にとって極めて深刻な話で、太伯の入れ墨顔は、今風に言えば亡命あるいは帰化の決定的な証と言えるものです。(p.50-51)

   《参照》  『日本の神々と天皇家のルーツ』 天無神人 (ナチュラルスピリット) 《後編》

            【刺青】

 

 

【奴国(なこく)】

 太伯が立ち上げた国の名は奴という国ではなかったかということです。奴という奇妙な一文字の国名は、そもそも生粋の中国人でなければ思いつくはずがないし、使うわけもないはずです。

 しかし、それだけで太伯すなわち奴国とみるわけにはまいりません。奴国につながる証拠と言えば、新井白石が那の津に奴国があったと決めたように、言語の化石といわれる方言地名によるしかありません。(p.65)

 宮古のことを県内の他島の人々は大昔から「宮古(なーく)」「宮古人(なーくんちゅ)」と呼んできました。

 宮古は宝貝がらみで沖縄に来た太伯が、はじめて建国の旗を立てたゆかりの島です。

 この言葉は、明らかに奴国(なーく)、奴国人(なーくんちゅ)と聞こえます。(p.66)

 琉球一之宮の「波の上宮」は、地元では「なんみさん」と親しまれているけれど、「なんみ」=「奴見」に。

 「今帰仁(なきじん)」は、西海岸ルート最北辺の要衝で「奴地尽」。

 「名護」=「なぐぅ」は、行在所が置かれていたゆえに「奴宮」。

 「恩納」|=「うんな」は、「芸奴(うんな)」。

 米の産地であった「嘉手納」は、「糧奴」。

 「与那国」の古称「どなん」は、「奴南」、つまり宮古の南。

 

 

【玉城ぐすく】

 玉城ぐすくは、玉城の丘陵地帯に忽然とそびえる標高180mの山城です。沖縄創世神アマミコが築いたといわれていますが、築城年代は不明の、琉球七嶽のひとつです。(p.109)

 とにかく、沖縄のぐすく群にほとんど類のないたたづまいで、ただただ原始的と言うか、単純素朴でいて、異様な迫力のあるぐすくです。(p.110)

 沖縄の方言で「ぐすく」は「城」のこと。

 今日では、地名や人名の場合は「たまき」、城の場合は「ぐすく」と呼び分けている。

 ここに、アマツヅ、アマツギの御嶽があります。・・・(中略)・・・。アマツヅは天津頂、アマツギは天津祇でなければならないはずです。・・・・・(中略)・・・・・。

 天津頂はこの上ない高貴の人の意で、たぶん初代アマミコのことと思われます。

 天津祇の祇は神と同義ですから、天津祇はすなわち天津神ということになります。天津神とは、高天原に生まれた神々のことです。

 つまり高天原に生まれ育った神々を葬った場所が天津祇御嶽だったのてです。

 ・・・(中略)・・・。

 ですから玉城のアマミコ、アマツヅ、アマツギという古代伝承語は、非常に重要な意味合いを持っていると見なければなりません。・・・・・(中略)・・・・・・

さて、天孫族が南から玉城に来たとすると、最寄りの寄港地は宮古です。それなら両者の間に何らかの繋がりが残っていなければなりません。しかし、今までそのことでは研究者も資料もまったくゼロです。(p.112-114)

 

 

【神器である勾玉と鏡は、太伯からアマミコへの贈呈品?】

 奴国は中国の高い文化をそっくり持ってきたと見てまちがいないでしょう。

 稲作・養蚕などの農耕文化もさることながら、最も代表的なものは、なんといっても勾玉と鏡の文化ではないかと思われます。・・・・・(中略)・・・・・。

 間違いなく、当初、太伯が最高の敬意と友好のよしみで、アマミコ(天御子=天御中主)に贈呈したものと考えます。・・・(中略)・・・。

 その喜びの深さは、自分の居城に玉城(たまぐすく)の名をつけたこと、また、神器としての皇位の永遠のシンボルに決めたことによく表れていると思います。(p.135-137)

 玉城の玉は、勾玉にちなんでいると言っている。

 ということは、太伯から贈られた勾玉=やこう玉、ということになるのだろうか?

   《参照》  『 【宇宙の創造主:マスター】との対話① 』 天無神人 (ヒカルランド) 《後編》

            【やこう玉】

 

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