
1993年以前にハードカバーのこの本を読んでいるけれど、ソフトカバーのこの本は1998年12月初版となっている。部分的に内容を改訂したということなのだろう。大抵の本は20年ぶりともなれば、多くを忘れてしまっているけれど、深見先生の著作に関しては、何故かそのほとんどを記憶している。
近年は、スピリチュアルなアセンション系の著作ばかり読んでいたから、20数年ぶりにこの本を読んで、日本神霊界のあり方に啓発されていた当時の心象風景が、懐かしいというか、基本を再認識させられるような思いで読んでいた。
著者である深見先生がどんな方かは、下記リンクに書き出してあります。
《参照》 『地球維新 天声会議 宇宙の黙示録』監修・中今悠天(明窓出版)《後編》
【小泉大志命先生が深見先生に言ったこと】
近年は、スピリチュアルなアセンション系の著作ばかり読んでいたから、20数年ぶりにこの本を読んで、日本神霊界のあり方に啓発されていた当時の心象風景が、懐かしいというか、基本を再認識させられるような思いで読んでいた。
著者である深見先生がどんな方かは、下記リンクに書き出してあります。
《参照》 『地球維新 天声会議 宇宙の黙示録』監修・中今悠天(明窓出版)《後編》
【小泉大志命先生が深見先生に言ったこと】
【天眼通力】
ヘミシンク関連の著作に、この点が明確に記述された箇所はなかっただろう。審神に近しいものといったら、以下のような記述があっただけである。
《参照》 『リトリーバル 過去世の救出』 大槻優子 (ハート出版)
【クリアに見えることと情報の質は無関係】
正神界の天眼通力というのは、かすかに、イメージの中でわかるというものであり、必要な時、必要なものだけ見えるというものである。常時見えているというものではない。
これに対して邪神界の天眼通力は、常時見えている。毎日霊眼で見えるし、しかもカラーではっきり見えるというのが特徴だ。(p.17)
天耳通力の場合も、はっきり聞こえるのは邪神界で、かすかに聞こえてパッとわかるのが正神界だという。我々凡人やチョイ能力の感覚人間は、こういうことを知っていないと、すぐに邪神界の存在たちに騙されてしまう。これに対して邪神界の天眼通力は、常時見えている。毎日霊眼で見えるし、しかもカラーではっきり見えるというのが特徴だ。(p.17)
ヘミシンク関連の著作に、この点が明確に記述された箇所はなかっただろう。審神に近しいものといったら、以下のような記述があっただけである。
《参照》 『リトリーバル 過去世の救出』 大槻優子 (ハート出版)
【クリアに見えることと情報の質は無関係】
【生活修行ができている人でないと】
だからだろう、凛としたところは何も感じられず、自分の欲することに則した情報を提供するか否か、自分にとって利益をもたらすか否かの視点で、スクールや講演会の主催者を判断しているだけのスピ系人間に出会うことが少なくないのである。つまりタヌキ。
私たちの日常生活も同じであって、誠心誠意、真心で神にお仕えしていると高級神霊が神がかるのだが、食物に強度の偏りがあるとか、生活態度が変だとか、生きざまが不自然でアンバランスであると、いくら神様をお呼びしても邪気が寄ってくるのである。
高級神霊が神がかる人は、信仰が生活に即実践されていて、しかも芸術性を帯びている。また人としての内面も高貴で美しいという人である。
和気清麻呂も至誠まったき人だったので、正しいご神勅を伝えることができたのである。(p.27)
アセンション系の著作で、このようなことが書かれている著作は、読んだことがない。高級神霊が神がかる人は、信仰が生活に即実践されていて、しかも芸術性を帯びている。また人としての内面も高貴で美しいという人である。
和気清麻呂も至誠まったき人だったので、正しいご神勅を伝えることができたのである。(p.27)
だからだろう、凛としたところは何も感じられず、自分の欲することに則した情報を提供するか否か、自分にとって利益をもたらすか否かの視点で、スクールや講演会の主催者を判断しているだけのスピ系人間に出会うことが少なくないのである。つまりタヌキ。
【怨念霊】
苦しみが続く家系に関する強烈な因縁譚(怨念霊たちの因縁譚)が書かれている。こういうのを読めば安易な生き方をすることなど恐ろしくてできっこなくなるだろうけど、書き出すには長すぎるから、自分で読んでみるしかない。
ところが、念力行者や一部の霊能者は、九字を切って怨念霊を牢獄に閉じ込めて黙らせるようなことをする。いわゆる力技。これでは本質的な怨念解除にならないどころかもろに逆効果。霊界は、そもそも怨念霊の土俵である。念力行者は後に怨念霊にたわいもなく簡単にやられてしまうのである。
《参照》 『聖徳太子の「日本が沈む日」秘書『未来記』の真相』友常貴仁(三五館)
【上宮王の秘事:九字の秘法】 【九字を解く】
下記は深見先生のお弟子さんの著作
《参照》 『不運の原因 霊を救え』 霊厳院崇皇 (たちばな出版)
家代々を呪う霊は、殆どの人に憑いている。だいたい9割方の人に憑いているのではないだろうか。憑いていない人を探すほうがむしろ難しいくらいである。(p.68)
怨念霊の強さに強弱はあるのだろうけれど、何らかのかたちで肉体に障害が現れるらしい。苦しみが続く家系に関する強烈な因縁譚(怨念霊たちの因縁譚)が書かれている。こういうのを読めば安易な生き方をすることなど恐ろしくてできっこなくなるだろうけど、書き出すには長すぎるから、自分で読んでみるしかない。
霊の怨みを解く方法は、現世での怨みを解く方法と何ら異なるところはない。すべて同じである。つまり、言霊すなわち言葉で説得すると同時に、愛と真心で尽くさねばならないのだ。(p.51)
人間に霊の言葉は聞こえなくても、霊は人間の言葉が聞こえる。だからこそ愛念のこもった言霊による除霊が可能なのだし必要。(しかし、実際のところは、言葉だけで怨念霊は救えない。怨念霊が怨念霊となったのには、怨念霊自身が過去に犯した罪が元にあったのだから、怨念霊にそれを見せなければ、なかなか回心できないのである。そのためのテクニックはこの本には書かれていないけれど、深見東州先生のお弟子さんたちは、それを使っている)ところが、念力行者や一部の霊能者は、九字を切って怨念霊を牢獄に閉じ込めて黙らせるようなことをする。いわゆる力技。これでは本質的な怨念解除にならないどころかもろに逆効果。霊界は、そもそも怨念霊の土俵である。念力行者は後に怨念霊にたわいもなく簡単にやられてしまうのである。
《参照》 『聖徳太子の「日本が沈む日」秘書『未来記』の真相』友常貴仁(三五館)
【上宮王の秘事:九字の秘法】 【九字を解く】
下記は深見先生のお弟子さんの著作
《参照》 『不運の原因 霊を救え』 霊厳院崇皇 (たちばな出版)
【プラス思考ができるための条件】
マイナスの想念界に住む人は、客観的な事実確認なしに周辺の人々をネガティブに判断し、同類の人を巻き込みつつ、ネガティブな思い込み回路内で大いに想像を巡らし、最終的に“合う・合わない”という二元判断のネガティブ側に着地させる。お決まりの定型回路である。このようにして自ら人間関係を率先して壊してゆく。
これでは積み木崩しで成長できないからと、誠意をもって話し合い客観的な事実確認によって、自身の心理の歪みに気づけるようコミュニケーションをとろうとしても、これを必ず拒否するのである。
想念転換は一朝一夕にできるものではない。なぜなら、マイナスに引っ張る強い霊が憑依しているからであり、長年の考え方のクセになってしまっているからである。(p.242)
ここまできれいに除霊すると、それまで霊障によって閉ざされていたプラス的想念が自然に湧き出るようになる。明るく前向きで、より建設的な発想が自然に出てくるようになるのである。(p.59)
自己啓発系セミナーや、救霊できない人が主催するスピ系セミナーに行っても、マイナス発想から全然出られない人の場合、その理由がこれである。ここまできれいに除霊すると、それまで霊障によって閉ざされていたプラス的想念が自然に湧き出るようになる。明るく前向きで、より建設的な発想が自然に出てくるようになるのである。(p.59)
マイナスの想念界に住む人は、客観的な事実確認なしに周辺の人々をネガティブに判断し、同類の人を巻き込みつつ、ネガティブな思い込み回路内で大いに想像を巡らし、最終的に“合う・合わない”という二元判断のネガティブ側に着地させる。お決まりの定型回路である。このようにして自ら人間関係を率先して壊してゆく。
これでは積み木崩しで成長できないからと、誠意をもって話し合い客観的な事実確認によって、自身の心理の歪みに気づけるようコミュニケーションをとろうとしても、これを必ず拒否するのである。
【言霊除霊の効果とその後の姿勢】
言霊除霊の効用はもう一つある。それは、本人ばかりでなく、家庭全体の運勢が向上することである。というのは、言霊除霊を行っている最中は、ご先祖の霊も大勢一緒に聞いて納得し、浄化されるため、これら大勢の先祖霊の霊層が向上して、前にも増して子孫への守護が強化されるようになるからである。
最後に除霊に関していえば、除霊自体も大切であるが、むしろ除霊をしたあとの本人の姿勢のほうが大切であるといえよう。それが、除霊効果を倍加させるのに不可欠な要素なのである。(p.62)
除霊を機に明るく前向きな姿勢(想念界)を貫けば、運気はどんどん向上するだろう。しかし、“除霊をしたあとの本人の姿勢(想念界)”が除霊前と変わらないのであるなら、また同じ状態に戻ってしまう。マイナス想念傾向という周波数(マグネット)が、以前と同じ霊界とシンクロし引き寄せてしまうからである。
最後に除霊に関していえば、除霊自体も大切であるが、むしろ除霊をしたあとの本人の姿勢のほうが大切であるといえよう。それが、除霊効果を倍加させるのに不可欠な要素なのである。(p.62)
除霊といっても、ただ奇跡を待ち望むようではあまり意味がないのである。除霊をきっかけに人生の本義を悟り、みずからを高めて世のために役立つような人間になっていく、これが私の願いである。(p.67-68)
【水子供養の一例】
これらの話から、除霊する人の“念(想い)”がいかに大切かがよく分かる。
「本当にお祓い出来ているのでしょうか。まだいるような気がしてならないのですが」
ということで、私が見ることになった。私はまたまた驚いてしまった。なんと、全身に23本もの短刀が突き刺さっている水子霊がいたのである。うす紫色のぼんやりとかすんだ水子霊に、短刀が突き刺さっている。まったく驚くほかない。
だが、この理由はすぐにわかった。
お祓いのためにあげた“南無妙法蓮華経”のお経が短刀となって、突き刺さっていたのである。慈悲の心であげる“南無妙法蓮華経”は一語一語が仏様となって現れるが、水子霊を救ってあげたいという愛念と慈悲の心でやったのではなく、文字どおり、祓いのける邪悪な念でお経をあげたからである。
「邪魔をしてはいけない!」「たたりをしてはいけない!」という念でお祓いをすると、このような結果になる。
水子供養に限らず、ほかの除霊もすべて、「邪魔するな! 霊よ出ていけ!」という想念で除霊すると、あまり効果がないばかりか、悪霊が逆上して、とんでもない結果を招くことにもなりかねないのだ。(p.98-99)
お不動様で供養してもらった場合は、“金縛りで炎攻め”になっている(!)という。ということで、私が見ることになった。私はまたまた驚いてしまった。なんと、全身に23本もの短刀が突き刺さっている水子霊がいたのである。うす紫色のぼんやりとかすんだ水子霊に、短刀が突き刺さっている。まったく驚くほかない。
だが、この理由はすぐにわかった。
お祓いのためにあげた“南無妙法蓮華経”のお経が短刀となって、突き刺さっていたのである。慈悲の心であげる“南無妙法蓮華経”は一語一語が仏様となって現れるが、水子霊を救ってあげたいという愛念と慈悲の心でやったのではなく、文字どおり、祓いのける邪悪な念でお経をあげたからである。
「邪魔をしてはいけない!」「たたりをしてはいけない!」という念でお祓いをすると、このような結果になる。
水子供養に限らず、ほかの除霊もすべて、「邪魔するな! 霊よ出ていけ!」という想念で除霊すると、あまり効果がないばかりか、悪霊が逆上して、とんでもない結果を招くことにもなりかねないのだ。(p.98-99)
これらの話から、除霊する人の“念(想い)”がいかに大切かがよく分かる。
【稲荷狐】
ところが、
『稲荷秘文』によれば、「国常立之尊が五狐をはじめ、すべての狐霊をつかさどっている」とあるが、私が実際に伊勢神宮へ行って、直接御神霊にお伺いしたところ、「伊勢の外宮、豊受大神は、その国常立之尊の和魂と幸魂の合体神霊である」と明言しておられた。ゆえに、稲荷狐を取り締まっているのは豊受大神系の神と言い得るのであるが、実際の伏見稲荷などは、須佐之男之尊の和魂「佐太大神」が統括しておられる。
そして、主宰神に統率されて、眷属が正しい働きをまっとうしている状態を「保食(うけもち)の神」とか「宇賀之御神(うがのみたま)」といっているのである。
稲穂を口にくわえた狐が、本来の姿。そして、主宰神に統率されて、眷属が正しい働きをまっとうしている状態を「保食(うけもち)の神」とか「宇賀之御神(うがのみたま)」といっているのである。
ところが、
【はぐれ狐】
《参照》 『家族的経営の教え』 原邦生 アートデイズ
【懸念】
稲荷を崇敬するとあまりにもはっきりと現世利益がもたらされるので、いつしか人間の側が本来の神様、すなわち天照大御神を中心とした豊受大神をたてまつるのではなく、稲荷だけを崇敬してお蔭をいただこうとするようになってしまった。お蔭信仰である。こうして人間に崇敬されるようになった稲荷狐は気分が良くなり、プライドが満たされることになる。そこで、本来の使命から逸脱して人間界に横行するようになった、というわけである。
この“ハグレ狐”が現在、全国のほとんどの稲荷の社にいるのである。正神界の本来の稲荷がいる神社は、残念ながらごくわずかといわざるを得ない。・・・中略・・・。
このような“ハグレ狐”でも、信仰している間は現世利益をもたらしてくれるのも事実。・・・中略・・・。だが、問題は崇敬しなくなった場合である。
お参りしなくなったりお供え物をしなくなると、たちまち仕返しをするのである。・・・中略・・・。このあたりが、拳属といえども動物たる所以である。だいたい無一文にまで追いやって、ひどい場合は七代障るようである。(p.127-128)
家族経営の下記の会社は、今も大丈夫だろうか。この“ハグレ狐”が現在、全国のほとんどの稲荷の社にいるのである。正神界の本来の稲荷がいる神社は、残念ながらごくわずかといわざるを得ない。・・・中略・・・。
このような“ハグレ狐”でも、信仰している間は現世利益をもたらしてくれるのも事実。・・・中略・・・。だが、問題は崇敬しなくなった場合である。
お参りしなくなったりお供え物をしなくなると、たちまち仕返しをするのである。・・・中略・・・。このあたりが、拳属といえども動物たる所以である。だいたい無一文にまで追いやって、ひどい場合は七代障るようである。(p.127-128)
《参照》 『家族的経営の教え』 原邦生 アートデイズ
【懸念】
【人も狐に】
死んだあと、霊界へ行って狐の姿になっている人霊についてお話しよう。最初に述べたように、狐の姿をしている人間の霊が霊界には多いのである。
では、どのような人が死後、狐になるのかというと、それは生前、稲荷信仰をしていた人が多い。・・・中略・・・。
稲荷信仰をしていると、無意識のうちにその霊流を受けるのである。性格的にウソつきになったり、気分がコロコロ変わったり、性的欲望が強くなったりと、狐が持っている性格をそのまま受け継ぐようになったりする。こうして、絶えず狐の霊流を受けることにより、いつしか本人の御魂まで畜生道に落ちてしまうことになるわけだ。(p.129)
では、どのような人が死後、狐になるのかというと、それは生前、稲荷信仰をしていた人が多い。・・・中略・・・。
稲荷信仰をしていると、無意識のうちにその霊流を受けるのである。性格的にウソつきになったり、気分がコロコロ変わったり、性的欲望が強くなったりと、狐が持っている性格をそのまま受け継ぐようになったりする。こうして、絶えず狐の霊流を受けることにより、いつしか本人の御魂まで畜生道に落ちてしまうことになるわけだ。(p.129)
【人間と畜生の決定的な違い】
畜生は本能を充足させることしか知らない。だから、本能だけで生きている人は、人間の姿をしていても、心は畜生となっているわけだ。
畜生には、自分の御魂を向上させ、世のため人のために生きるという感覚がない。ここが人間と畜生との決定的な違いである。(p.132)
畜生には、自分の御魂を向上させ、世のため人のために生きるという感覚がない。ここが人間と畜生との決定的な違いである。(p.132)
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