《前編》 より

 

【広告戦略】
 私もバブル期のひと頃、広告会社のコピーライターを2年ほど勤めた経験があるので察しがつくのだが、バブル期を大きな節目として、あらゆる企業が子供たちを「確実な商売が見込めるターゲット」としてアテにし始めた感があるのだ。 (p.107)
 子どもをターゲットにする上で、「子どもの欲求に従う両親・祖父・祖母」というイメージ戦略が重要になってくる。これを読んで、以前あった、「なぁーに言ってんだか」とお祖父ちゃんを軽んずる子どものセリフで締めくくる「南アルプスの天然水」のコマーシャルを思い出した。商業主義の先兵となっている広告業界の戦略は、日本社会の秩序破壊・文化破壊をも同時に目的にしているのである。
 そして、欲望の主体として育った子供たちが性に目覚める年齢になると、彼ら自体を性の商品化路線に乗せるように仕組んでいるのである。
 性欲を司るチャクラは、結局「他者と関わりたい欲求」を表すもの、という話を先にしたけれども、きっと、今の少年少女たちには、そんな「何か・誰かのために体を使って働く」場を日常的に提供してやれるような仕組み作りが必要なのだろう。
 目の前にいる誰かの役に立つかもしれない、エネルギーを沢山抱え持っているのに、それはしなくていいから、直接見えなしない企業のためにお金を使ってくれと、おだてられ、なだめられながら飼い殺しにされているという現実。(p.203)
 貨幣経済の維持者(「闇の支配者」)にとっては、実によく出来た仕組みである。

 

 

【資本主義社会のホンネ】
 マスコミがそう仕向ける目的は、大きく分けて二つある。一つは、・・・中略・・・、ズバリ「企業の金儲けのため」。そしてもう一つは、「人間本来の自然な性質を狂わせるため」ということにあるのだ。
 それはどういうことかといえば、「食」と「性」、この一番基本的な、毎日の生活に密着した二大欲求を狂わされると、他のすべての欲求に対する感受性も確かではなくなってくる。土台の二つを狂わされることで私たちは、相当本来の人間性からはずれた、グロテスクな生活でも平気になるよう、感覚をマヒさせられているわけだ。
 資本主義社会のホンネを明かせば、消費者にはできるだけ眠っていてほしいのだ。たとえ自分にとってタメにならないものであっても、それと気づかないでほしい。それというのも、もし消費者みんなの感受性が鋭くなってしまったら、自然淘汰されてしまう不要な商品やシステムが、今の世の中にはごまんとあるということなのだ。だから、既得権益にしがみつく者たちは、絶対にそうさせまいとする。(p.190)
 生まれた時から資本主義社会の洗脳下で育てられてきた私たちは、物質的繁栄と幸せは不可分のものと思い込んでいるけれど、性の至高に至った者たちは、物質的繁栄とは全く異なった社会を創出するのである。
 下記の著作を通読すれば、その一端を垣間見ることができるだろう。
    《参照》   『タオ・コード』 千賀一生 (徳間書店)

 

 

【広告コピー:「脱いでもすごい」と「特技はハダカ」】
 90年代の「脱いでもすごい」というセリフには、まだ“人は見かけじゃわからないんだぞ”という他の場面でも通じる教訓めいた、人間味のような要素が混じっていた気がするのだ。ところが「特技はハダカ」には、他の何事にも応用できそうにない、ただ即物的な味気なさが虚ろに響くばかり。実はこの「人間味の排除された感じ」こそが、近年とみに際立ってきた、洗脳目的の色濃いCMの一大特徴だということを、心に留めていてほしい。 (p.193)
 そう、CMに見られる「人間味の排除された感じ」には要注意である。
 これと、繰り返しメディアで報じられているテロや戦争やパンデミック(病気の巨大感染)の危機は、一般大衆を支配し、社会を混乱状況に陥れるための両輪戦略だろう。
 なにせ、広告業界など含めて人類を支配している「闇の支配者」と言われる連中の本質は「レプティリアン」なのである。レプティリアンとは爬虫類人種という意味。カニバリズムやドラキュラはレプティリアンたちが行ってきた実話である。爬虫類脳のみで生きている「闇の支配者」たちに「人間味」などある訳がない。奴らは猟奇的な殺人事件を起こしては、それを意図的に洗脳目的で大々的にマスコミ報道するのである。それほどに自己顕示欲が強いイカレタ連中なのである。
   《参照》   『さあ5次元の波動へ宇宙の仕組みがこう変わります』 デーヴィッド・アイク&江本勝 (徳間書店)
               【レプティリアン血族】
   《参照》   『ドラゴニアンvsレプティリアン これが《吸血と食人》の超絶生態だ!』 高山長房 (ヒカルランド) 《1/5》
               【人類捕食者の目的と手段】

 

 

【マヤ文明の性の真実】
 古い文明の情報の中でも、このマヤほど時間をかけた念入りな性教育が行われていた例ははなかなか見つけることができない。 (p.127)
 人々がそれぞれの家庭で豊かな性生活を享受していたマヤ文明では、長い間、大きな戦乱とは無縁なまま繁栄が続いたという事実は見逃せない。おそらくその2つの事柄の間には、相関関係があるのだろう。(p.126)
 このようなマヤ文明の真実に関しては、情報元として NAGA K’U(ナガク’)奥義学校 のサイトが紹介されている。 
 「マヤ文明=生贄・野蛮」という誤解に関しも書き出しておいた。
 念のためつけ加えておくと、マヤ文明のことを西洋では「いけにえの儀式の習慣をもつ野蛮な文明」として紹介してきたためにそれが定説のようになっているが、実はそれは誤った情報だった。・・・中略・・・。たとえば、マヤの建物の中には、壁一面に頭蓋骨のレリーフが並んだものがある。これは単に《頭蓋骨一つ=20》を意味する数字として使われていたに過ぎなかった。ところが、西洋にはあるまじき意匠を見た彼らは、これは殺されたいけにえの数を誇示したものと思い込む、といった曲解の数々である。敵対する者は虐殺するという排他的な人生観で生きてきた彼らは、異教的な世界観で表現されたマヤの彫刻や絵画のことごとくを、自分たちの暴力的な世界観でもって解釈することしかできなかったのである。
 ここには、性を謳歌したマヤ人たちは平和を維持できた一方で、性欲を抑圧されていたカトリック教徒たちは好戦的になり集団的暴力に走った、という好対照が見て取れる。(p.126-127)

 

 

【「骨盤底筋」群】
 性器周辺のすべての穴をそれぞれ締めたり緩めたりする機能を持つ、男女共通の「骨盤底筋」群という部位をご存知だろうか。放尿を途中でキュッと止める時や、肛門を引き締める時に使う筋肉、といえばおわかりだろう。そこを自由に閉めたり緩めたりするコントロールが利くようになれば、体内の昂まりが即、射精へという回路をふさいで、頭上へ持っていく感覚がつかめるようになる。これは、ヨガの奥義であるタントラや、道教の奥義にある房中術でもいわれてきたことだ。(p.165-166)
 精を漏らさないために、「骨盤底筋」群の働きを強化しておかなければならない。そうしないとみんな下へ漏れ出てしまうので、性器で生み出される精気がスシュムナー管というタオの幹を書け上がらず、至高の感覚に至れない。「骨盤底筋」群の強化は最・さい・サイ・最・重要事項。

 

 

【フリーセックスの本当のリスク】
 結婚と関わりなく、心を伴わないセックスを重ねることのリスクといえば、これまでは「妊娠」と「性感染症」だと教えられてきたが、それはあくまで副産物で、本質的なことじゃない。本当のリスクは、「その人の持って生まれた運命が狂わされてしまうこと」なのだ。(p.144)
 下記のリンクを経由して、末端(千賀一生さんの著作)まで辿ってください。
    《参照》   『死後探索2 魂の救出』 ブルース・モーエン (ハート出版) 《後編》
              【性的な関係を持った場合】

 著者は、「本当に必要な相手」でないのにその人とセックスなどするくらいなら、マスターベーションしてエネルギーを自己充足しておきなさいと言っている。
 特定のパートナーがいない人であれば、「自分の分身となる異性」というふうにイメージするといいだろう。・・・中略・・・。一人でエネルギーをかき立てて、全身に充たしておくほうが、心身の調子が整うというもの。それこそ、交わるべき相手との、本物の交わりに備えて準備は万全、ということになる。(p.171-172)
 一人エッチ(マスターベーション)は決して恥ずべき行為ではないけれど、精を漏らしてしまっては元も子もない。するなら「骨盤底筋」群を十分強化した上で。
    《参照》   『霊止乃道』 内海康満 (たま出版) 《後編》
              【性の真実】

 

 

【男性も、ひとたび女性的な「受容性」の感覚に目覚めれば・・・】
 次に起こってきたのは、生身の体を持つ者同士の間でも、体に触れなくても生まれるエネルギー交流の、奇跡的な体験の数々でした。・・・中略・・・。実は男性も、ひとたび女性的な「受容性」の感覚に目覚めれば、むしろ時には一般の女性より大きな飛翔力をもって、全身的に長く持続するオスガズムの感覚が、至福の光明体験にまで至ることがあるような、潜在能力を備えていると言えるのです。それも、必ずしも肉体的な性交を経ることなしにです。
 このあたりのことは、いずれ取りかかる予定の続編の中で詳しく書いていきたいと思います。(p.262-263)
 オルガズムの長短は、性別に関わりなく、「受容性」(大いなるあけわたしの)感覚の目覚め次第だと言っている。
   《参照》  『ガイアの法則[Ⅱ]』 千賀一生 (ヒカルランド) 《中編》
             【「絶対的ゆだね」「広大なるあけわたし」】

 男性だけの世界であった仏門においても、「帰依」の重要性は常々語られていたんだろうけれど、生半可な坊主は、それを権威維持のために活用していたのだろうし、真正のお坊さんは、至高世界へ至る上での絶対条件と認識していたのだろう。
 続編は、今現在まだ出ていないようだけれど、期待しよう。

 

                    <了>