《前編》 より
【縁をつかみ、縁を活かす】
チャンスはみんなに平等に来るものだと私は思います。それをパッとつかむのが難しいのです。
「小才は縁に会って縁に気づかず、中才は縁に会って縁を活かさず、大才は袖すり合う縁をも活かす」という剣術家、柳生家の家訓がありますが、縁をうまくつかんで、そしてそれを活かしきることが必要です。また、そのためには本人の努力、縁、才覚、そして出光さんがいつも言われるように、和の力が大切です。(p.105)
私欲を離れた発願があれば、縁は招かれるだろうけど・・・、小才や中才であってはいけない。「小才は縁に会って縁に気づかず、中才は縁に会って縁を活かさず、大才は袖すり合う縁をも活かす」という剣術家、柳生家の家訓がありますが、縁をうまくつかんで、そしてそれを活かしきることが必要です。また、そのためには本人の努力、縁、才覚、そして出光さんがいつも言われるように、和の力が大切です。(p.105)
【卒業証書を捨てよ】
また、「諸問題に関して、受験勉強のような一つに定まる明確な回答などないのだ」ということを知っておくのも重要。
《参照》 『なぜ、働くのか』 田坂広志 PHP研究所
【知性とは】
毎年の入社式で僕が必ず言うことは「卒業証書を捨てよ」だ。学校、学園という場所は理屈、理論で簡単に割り切れるところだが、実社会、人間社会はそうはいかない。
人間とは、非常に矛盾性に富んだ複雑なものであり、その人間が構成している社会はより複雑怪奇なものである。
したがって簡単な学問で割り切れるものではない。さらに僕の体験から言えば、年をとるに従って割り切れないことがいっそう深刻になる。そして死ぬときにこんなに割り切れない、難しいものかということを知るのが実社会だ。(p.132)
象牙の塔に籠っているような学生時代は、明らかに現実とはかけ離れた世界に生きていることを知っておくべき。現実世界で複雑怪奇な人間模様に直面して、すっかり退嬰的になってしまう人が多いだろうけど、それではいけないのである。人間とは、非常に矛盾性に富んだ複雑なものであり、その人間が構成している社会はより複雑怪奇なものである。
したがって簡単な学問で割り切れるものではない。さらに僕の体験から言えば、年をとるに従って割り切れないことがいっそう深刻になる。そして死ぬときにこんなに割り切れない、難しいものかということを知るのが実社会だ。(p.132)
また、「諸問題に関して、受験勉強のような一つに定まる明確な回答などないのだ」ということを知っておくのも重要。
《参照》 『なぜ、働くのか』 田坂広志 PHP研究所
【知性とは】
【読書はしなかった出光さん】
《参照》 『「知の衰退」からいかに脱出するか?』 大前研一 (光文社) 《中編》
【1読んだら5考えよ】
その背景としてあるのは、彼は幼少のころから目が悪かったということです。そのため、本を読む事に生理的な抵抗感があったのではないかと思います。
出光さんご自身も「読書欲が非常に強いのに読書は出来ない」とか「読書とは縁のない一生となった」と御著書でお書きになっています。
ただし、目が悪いということは、それだけ思索が深まるということです。出光さんは、働く中で様々な経験、体験をし、それを考えて考えて考え抜くという思索のプロセスを通して、あれだけ偉大な思想を残されたのだろうと思います。(p.84)
本なんて、たくさん読めばいいというモノではない。いくら読んでも読みっぱなしなら、その殆どが無駄になってしまうだろう。そんなことになるくらいなら、少なく読んで、じっくり考える習慣をつけた方がいいように思う。出光さんのように視弱でないかぎり、それが最良の読書活用法だと思っている。出光さんご自身も「読書欲が非常に強いのに読書は出来ない」とか「読書とは縁のない一生となった」と御著書でお書きになっています。
ただし、目が悪いということは、それだけ思索が深まるということです。出光さんは、働く中で様々な経験、体験をし、それを考えて考えて考え抜くという思索のプロセスを通して、あれだけ偉大な思想を残されたのだろうと思います。(p.84)
《参照》 『「知の衰退」からいかに脱出するか?』 大前研一 (光文社) 《中編》
【1読んだら5考えよ】
【上の人がわがままをしなければいい。】
株式を公開している企業なら、株主に対しても同様な態度でのぞむべき。
《参照》 『もう、国には頼らない。』 渡邊美樹 (日経BP) 《後編》
【株主と経営者】
出光の第一線の人は良く働くが、「あれはどうしてか」というのが一般の謎らしい。僕はこの問いに簡単に答える。「僕がわがままをしなかったからです」と。
僕がわがままをしないということは、従業員に対する愛情なのだ。給料を上げてやったり、うまいものを喰わしてやったり、遊ばせたりするのが愛情ではない。
僕が従業員を愛するから従業員も僕に対して愛情をもち、会社を愛する、ただそれだけのことだ。上の人がわがままをしなければいい。(p.145)
定例の行事にちょっと顔を出すだけで高給を得ている市長村長のいる地方行政公務員たちは、当たり前に働かない。出勤すらせず平気で給料を受け取っている。彼らは言うだろう。「市長と同じだろう。文句あるか」と。僕がわがままをしないということは、従業員に対する愛情なのだ。給料を上げてやったり、うまいものを喰わしてやったり、遊ばせたりするのが愛情ではない。
僕が従業員を愛するから従業員も僕に対して愛情をもち、会社を愛する、ただそれだけのことだ。上の人がわがままをしなければいい。(p.145)
株式を公開している企業なら、株主に対しても同様な態度でのぞむべき。
《参照》 『もう、国には頼らない。』 渡邊美樹 (日経BP) 《後編》
【株主と経営者】
【人間尊重】
世間で言われている人間尊重は、何かうまいものを食べさせたり家を与えたりして「人を尊重するために物を与える」というように妙なふうに使われている。
それは実は人間そのものを尊重するのではなくて、物を尊重して、それを人間に与えることである。
我々の人間尊重は他人がなんと言おうが、自分が自分を顧みて立派な人間になるということなのだ。(p.151-152)
これを読んでもピンとこない人、あるいは、話がすり替わっていると思ってしまう人は、物質文明のあり方にすっかり洗脳されてしまっている人である。それは実は人間そのものを尊重するのではなくて、物を尊重して、それを人間に与えることである。
我々の人間尊重は他人がなんと言おうが、自分が自分を顧みて立派な人間になるということなのだ。(p.151-152)
【西洋人が希求する精神文明】
以心伝心という言葉が表すように、日本は元来、霊性に秀でた文明を維持していた。他者の気持ちを理解することができるからこそ、人格陶冶へと向かわせる「人間尊重」という重要な考えに行き着くことになる。必然的にここに収束するのである。
この以心伝心が日本人同士だけではなく、世界中の人々の間で可能となったとき、地球の文明は飛躍的に進化するだろう。
ところで、西洋は先んじて物質文明を成し遂げていたからその行き詰まりを感じて意識が精神文明にシフトしている人が少なくない。ところが逆に、元々霊性に基を置く精神性の高かった日本人であったのに、今ではすっかり物質性に落ち込んでいる人々が少なくないのである。
物質文明に行き詰まりを感じている西洋人が期待しているのが、日本だ。日本人は、茶道や生け花に見られるような、簡素静寂を尊ぶ。持たなくても心が満たされる、むしろないことを楽しむ、ないところを想像する、そんな心の豊かな世界、精神文明が西洋の国々にも求められている。
行き詰まった人類が盛んに人間性を唱え出したこと、このとき日本が認識され、日本人の姿が強く浮かび出てきたという事実を、日本人はいかに見るべきか。
解決策は「人間性」であり、それを持っているのは日本人であると、欧米の先進国が認識しているのだ。
これは僕が出光で唱え続けた「人間尊重」の考えとまったく同じではないだろうか。(p.185-186)
“物質文明から精神文明へ“という表現は、人文系の著作で頻繁に見る記述だけれど、近年の言葉でいうならアセンション(霊的進化・次元上昇)と言い換えても大きくは違っていない。物質から精神へと意識が推移(シフト)してゆくということは、同時に意識の密度が推移してゆくことであり、それは霊的進化の方向に向かっていると言い得る。行き詰まった人類が盛んに人間性を唱え出したこと、このとき日本が認識され、日本人の姿が強く浮かび出てきたという事実を、日本人はいかに見るべきか。
解決策は「人間性」であり、それを持っているのは日本人であると、欧米の先進国が認識しているのだ。
これは僕が出光で唱え続けた「人間尊重」の考えとまったく同じではないだろうか。(p.185-186)
以心伝心という言葉が表すように、日本は元来、霊性に秀でた文明を維持していた。他者の気持ちを理解することができるからこそ、人格陶冶へと向かわせる「人間尊重」という重要な考えに行き着くことになる。必然的にここに収束するのである。
この以心伝心が日本人同士だけではなく、世界中の人々の間で可能となったとき、地球の文明は飛躍的に進化するだろう。
ところで、西洋は先んじて物質文明を成し遂げていたからその行き詰まりを感じて意識が精神文明にシフトしている人が少なくない。ところが逆に、元々霊性に基を置く精神性の高かった日本人であったのに、今ではすっかり物質性に落ち込んでいる人々が少なくないのである。
【日本人にかえれ】
日本人は世界に存在感を示していかなければならない。しかし、肝心の日本人が堕落していることを出光さんは嘆かれました。その状況に対し「日本人にかえれ」と唱えられた一方で、出光さんは青年たちに非常に期待してもいました。(p.188)
バブルを経験してきた大人たちの方が、それを知らない若者たちより精神性は遥かに低いだろう。困窮する多くの人々を尻目に、中央においても地方においても公費を食い物にし続けるだけで、弱者を救済する意思など鼻からない天下りたちの実態が、正にその典型例である。
己を離れ得る伝統の精神を堅持して今日の危機を救う力は、政党にはない。教育界・言論界また然りである。しかし大いに頼むべきものがある、それはただ、素質の良い青年と田舎にある純朴なる国民大衆の最後の守りである。(p.189)
出光さんは、1981年に故人となられているけれど、もう当時の時代状況で、政治・教育・言論界を充分に見放していたことが分かる。日本を再建して守るために土光さんが心血を注いだ行革推進法案が提出されたのは83年。しかし、これも見事に葬り去られたのである。政治・教育・言論に関わる日本人の精神の腐敗状況は、酷いものである。東日本大震災に見舞われた状況下で、世界中を感動させたのは、日本人の一般大衆であって、政治・教育・言論に関わる日本人ではない。
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