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 無酸素で世界の高峰に挑んでいる 著者の動画はYou-Tubeで数多見られる けれど、活字でなければ伝わらないものもある。体験からにじみ出てくる言葉が凄い。それほど活字の多い本ではないけれど、それゆえにこそ言葉の密度が高いと言えるだろう。悶々としている若者たちは読んでみるといい。
 サンクチュアリ出版 から出されるに相応しい本である。2010年11月初版。

 

【自分の心次第】
世界一高いところから、ぼくは祈る。
それが世界を変える、小さな一歩である気がするから。

本当につらいときがある。
でもその苦しみから、いつも逃げているわけにはいかない。
かといって立ち向かったとしても、勝ち目がないかもしれない。
そんなときは、苦しみに対して「ありがとう」。

一人で山と対話しながら登っているうちに、
自然にその言葉が出てくようになった。
すべての苦しみは、受け入れることからはじまる。
受け容れることで、新しい力がわいてくる。

反対に「ちくしょう」と大声を出したりすれば、力が奪われる。

苦しみも不安もすべては自然の一部であり、僕等はその自然の中の一部。
苦しみは自分が作ったものにすぎない。
それを喜びに変えられるかどうかは、すべて自分の心次第。 (p.62-63)
 「ありがとう」か、「ちくしょう」かの差はとんでもなく大きい。

 

 

【生きる楽しみを奪っているかもしれないもの】
安定とか安心とか便利さとは、
実は人間の生きる楽しみみたいなものを
すべて奪っているのかもしれない。  (p.97)
 豊かな世界に生まれてきた人々は、たいてい安定・安心・安全という罠に嵌っているだろう。
    《参照》   『自分の神さま作ろうよ』 無能唱元 (日新報道)
              【安全の轍】

 

 

【消された方が楽だと思う。だが・・・】
高い山の世界には、やる気を奪う寒さと酸素の薄さがある。
からだがふるえて、ふるえを止めるだけでも必死。
持ち物はすべて、下界の3倍くらいの重さに感じる。
なにもかもがすごくおっくうで、眠くて、
すべてのものが遠くに感じる。
そんな場所で心がぽきっと折れると、確実に、
「死んじゃう」っていうのは直感でわかっている。
折れちゃだめだ。
あらゆるものが、命の炎を消しにかかっていく。
消された方が楽だと思う。
だがその力にあえて対抗して、
めらめらと燃えていこうとする自分がいて、
そんな自分を楽しもうとする自分がいる。

苦しみや不安は、本当に自分をダメにするものなのだろうか。
苦しければ苦しいほど、喜びは大きく、
苦しければ苦しいほど生きている実感がある。

「-(マイナス)」に一本加えると「+(プラス)」に変わる。

出来るかどうかは自分の心次第。
マイナスなことは、決してエネルギーをマイナスにはしない。(p.102-103)
 通常の生活では、生きるか死ぬかという二者択一しかない状況に自らを晒せる状況なんて滅多にない。
 山上の過酷な環境下にあるのと同様な心境に成れるには、どうしたらいいのだろう。
 生ぬるい環境下に埋もれている分は、想像力で補って心のバネを強くするしかないだろう。
 なんにしても、中途半端な状況下にあり続けるのは、最悪である。
   《参照》   『ボジティブ思考なんて捨ててしまいなさい』 臼井由妃 (学研)
              【中途半端はよくないよ】

 

 

【ワクワクするためには・・・】
やる気のスイッチを入れるには、自分の心がわくわくするしかない。
わくわくするためには、自分ができないと思うことを目標にすることだ。
・・・中略・・・。
今までの自分にとってありえない目標を立てて、
「いろいろ過去のデータを見たけれど、どこにもない! どうしよう!」
という状況になってはじめて、本来の力とやる気が生れてくる。 (p.109)
 普通には「楽しければワクワクする」と考えがちだけれど、そのようなありきたりなドーパミン依存のワクワク感には、それほど高まりはないだろう。アドレナリンとドーパミンが同時に分泌される場合のワクワクは凄いのかも・・と思ったりする。
 だから、ワクワクするためには・・・ありえないほど困難な目標を立てる。肉体派の男っぽい解法である。困難な目標であればあるほど、アドレナリンとドーパミンが同時に分泌されて魂が輝くのかもしれない。

 

 

【何かがないから夢が叶わない?】
何かがないから夢が叶わないのではない。
夢があるから、必要なものが集まってくる。
そして夢が実現していく。    (p.129)
 現状から帰納して語ろうとするものって、夢だろうか。
 先に夢があって、そこから演繹するように現実を従えて行くのが、夢本来のあり方だと言っている。
 夢を信頼しよう。
 とはいっても、著者の場合、山に登るという夢を抱いただけで、魔法使いのように必要な資金が自然に集まってきたのではない。自らスポンサー企業を何件もまわって集めている。夢を叶えようとするなら、そのために必要なものを自分で集めることを嫌とは思わないはずである。
    《参照》   『脳を味方につける生き方』 苫米地英人 (三笠書房) 《前編》
              【一般の自己啓発書に書かれていないこと】
奇跡は起こるものではない。
奇跡は自分で起こすものだ。
夢は、折れなければ実現する。
僕は身をもって証明したい。
見えない山を登っている
すべての人のために。  (p.181)

 

 

【人為を超えた世界】
突然、原因不明の高熱が出てダウンしたとき
その場所が慰霊碑の前で驚いた。
慰霊碑には山で亡くなった多くの人の名前が刻まれていた。

偶然なのか何かに取り憑かれたのか。
とにかく危機を感じてひき返し、ぼくは登山の安全祈願であるプジャを行った。
プジャは大変重要な儀式だ。
現地のシェルパは、プジャを行わなければ山に入らない。

山は、自分の実力を超えた神懸ったところ。
まさに神々の頂だ。
ヒマラヤのシェルパは、

山に登る人を「運がいいか悪いか」で評価する。
もちろん技術や体力も重要だが、
山の神様に招いてもらえるかどうかが重要だと考えている。 (p.157)

 

 

【与え続けられる人間に】
無理に一人でがんばろうとせず、人に助けを借りることは、
どの世界にいても重要なことだと気づいた。
だが、応援してもらうことを目標にしてはいけない。

与えてもらうのではなく、与え続けられる人間になろう。

助けを求めている人がいたら手を差しのべてあげよう。
人の夢を応援してあげよう。
人に喜んでもらうことが、自分の最大の喜びなのだから。 (p.176)
    《参照》   『愛の話 幸福の話』 美輪明宏 (集英社) 《前編》
              【もらおうとするのではなく・・・】
 この本には、「一人では何もできないし、一人では人生に意味を見いだせない」というふうな意味合いのことが、何カ所にも書かれている。
 地球という相対性の世界に生きているということは、即ち自他の関係性の中で学ぶために地球学校に通っているようなもの。一人で閉じこもっている期間が長すぎるのは、チョットもったいない。学べることが少なすぎるからである。情感の世界は、意外にも繊細かつ極微の世界に通じている。だからこそ、あらゆる次元に通じ得る優れものである。孤独・孤立は、循環するエネルギーの流れに乗らないが故に、優なる技法を無駄にしかねない。

 

 

【目的地】
毎日必死に頑張っているのに、自分を取り巻く環境がなかなか良くならない。
そういう人の多くは、人生の大きな目的をはっきりさせていないからだと思う。

ある人からボートの漕ぎ方を習った。
だが、僕がなかなかうまく進めることができないでいると、こう言われた。

「目的地がないと、進みませんよ」
いくら漕ぎ方が分かっていても、
「目的地」を決めなければ、ボートは進んでくれないようだ。

でもどこへ行く?
人生は目的地に向かって進むより、目的地を見つける方が難しいかもしれない。 (p.180)
    《参照》   『アドベンチャー・ライフ』 高橋歩 (A-Works)
              【受験勉強の目的】

 

 

【この壁を越えてみたい】
成功や失敗ではなく、この壁を越えてみたい。

 なぜならその壁は自分自身だということが分かっているから。
 エベレストは自分自身だということを知っているから。
 だから、僕はこの壁に向かっていく。  (p.211)
 壁とは自分自身の心がつくるもの。
 限界は自分自身が定めている。
 不可能も自分自身が定めている。
 人間は本来、No LIMIT なのだということ。

 

 

【山をもっと感じたい】
登山は征服や克服ではない。
いかにすべてを捨てて、 
そしてすべてを受け容れるか。
不安や恐怖感、または登頂後の名誉など、
様々な感情や思いがあるが、
すべてここに置いていこう。

山をもっと感じたい。 (p.213)
 あまりにも前に読んだことなので確かな記憶ではないけれど、『グラン・ブルー』のジャック・マイヨールが、これと同じようなことを語っていた気がする。
 素潜りのマイヨールや無酸素という素登りの著者には、自然相手に征服などという感覚はどこからも出てこないだろう。繊細な感性を持つ日本人には、そもそも征服などという発想は最初からない。あるのは自然に則するという感覚だろう。自然に完全同化してしまえたら、もう覚者である。

 

 

<了>