
「民」が読んでも「官」が読んでも参考になる点はたくさん書かれているはずだけれど、このような書籍を読む人の殆どは「民」であろう。著者の実体験に元づく記述から、「官」の「闇」に暗澹とするより、“ありがとう”を大切にする「民」の「光」を読み取るべきだろう。2007年6月初版。
【「民」と「官」】
一切汗を流すことなく法律を利用して、自分らの立場と権益を確保しているだけの「官」は、仮にNPOと称して組織を作っても、そこに天下る席を作って利権を拡張するだけだろう。受益者の「ありがとう」とは無縁の生き方をしているのが「官」という連中なのである。
私は・・・中略・・・もちろんマーケット至上主義者ではありません。あえていうなら、「消費者至上主義者」です。
私にとってマーケットメカニズムとは、サービスを通じてお客さまに幸せになっていただくための道具であり、より多くのお客さまからの「ありがとう」を集めるための手段にすぎません。(p.16-17)
著者は、お客様から「ありがとう」を集めているだけではない。カンボジアにあまたの学校を作って、海外の人々からもたくさんの「ありがとう」を集めている。私にとってマーケットメカニズムとは、サービスを通じてお客さまに幸せになっていただくための道具であり、より多くのお客さまからの「ありがとう」を集めるための手段にすぎません。(p.16-17)
一切汗を流すことなく法律を利用して、自分らの立場と権益を確保しているだけの「官」は、仮にNPOと称して組織を作っても、そこに天下る席を作って利権を拡張するだけだろう。受益者の「ありがとう」とは無縁の生き方をしているのが「官」という連中なのである。
【格差社会実現のフィクサー】
《参照》 『もう、国には頼らない。』 渡邊美樹 (日経BP) 《前編》
【公務員と民間の給与格差】
今日の日本の公務員には、根っから公に仕えようとする精神などないのである。故に、公務員がすることといったら、民間が窮する状態をみながら、それをあざ笑うかのように、自分たちの待遇をさらによくするべく更なる法整備を行うことなのである。
《参照》 『「知の衰退」からいかに脱出するか?』 大前研一 (光文社) 《前編》
【考えない国民を騙す国のテクニック】
「官」に任せておいたら、この国は何一つ良くならないのである。本書のタイトルが語っていること。
いたるところに、従来「公」の担い手だったはずの「官」=役所と「政」=政治家とが手を出し、口を挟み、自由な競争を阻害している社会。その仕組みの中にどっぷりと浸かった者だけが利益を得、一方で懸命に競い合い努力をしている人や企業が正当な果実を受け取れない社会。こちらのほうこそ、むしろ格差が固定された歪んだ社会ではないでしょうか。(p.17)
小泉改革時に、政治家と官僚たちがアメリカの意向に即して法整備をした結果が、現在の格差社会を創出することになったのは紛れもない事実である。民間企業の自由競争が行き過ぎたことで格差社会ができたのではない。そして今日、民間と公務員の給与格差は実に2倍にもなっている。《参照》 『もう、国には頼らない。』 渡邊美樹 (日経BP) 《前編》
【公務員と民間の給与格差】
今日の日本の公務員には、根っから公に仕えようとする精神などないのである。故に、公務員がすることといったら、民間が窮する状態をみながら、それをあざ笑うかのように、自分たちの待遇をさらによくするべく更なる法整備を行うことなのである。
《参照》 『「知の衰退」からいかに脱出するか?』 大前研一 (光文社) 《前編》
【考えない国民を騙す国のテクニック】
「官」に任せておいたら、この国は何一つ良くならないのである。本書のタイトルが語っていること。
【「官」と「政」が最も歪ませている分野】
「官」と「政」の支配による歪みがもっとも端的に表れているのが、本書で取り上げている公的サービスの分野なのです。(p.18)
すなわち、学校、病院、老人ホーム、農業などの分野。
【学校教育の歪み】
神奈川県の教育委員になっている著者が体験したこと。
私学の経営者の多くは2代目3代目で、創立者の志を守ろうと経営努力するのではなく、自らの既得権を守るために政治家を使って公立高校の定員減らしに奔走しているのだという。つまり、私学は「生徒獲得のための経営努力はしない」と言っているようなもので、公立も「人件費削減のための努力はしない」と言っているのである。そして「政」と「官」は両方の言い分を聞き入れようとしているのである。こんな馬鹿げた話はないだろう。結局のところ「官」と「政」に任せると、こういうことになるのである。
いずれにせよ、教育界が目指すのは、私学であれ公立であれ、「顧客である生徒本人から“ありがとう”と言われるべく努力すること」ではなく、単に、「努力しないままに、教える側の雇用を守ることだけ」なのである。
「官」も「政」も、結局のところ「学ぶ側の教育」という国民に対する最大のサービスを考えているのではない。考えているのは、「教える側の雇用」という「カネ」=「利権」のことだけである。
このような教育に関する「官」と「政」のやり方は、格差社会をより一層加速することになる。
私学側はそこそこ教育のノウハウを蓄積しているだろうから、学びたい子は総じて学費の高い私学へ行くのだろう。格差社会と成り果てている現在の日本では、低所得者の子どもは、教えることに情熱などない公立の先生のよって適当にあしらわれた末にトコロテンのように押し出されて卒業してゆく以外に選択肢はない。このような状況ゆえに、日本は既に、親の経済力と子供の学力が比例する時代・社会になってしまっているのである。
経済格差社会は意欲格差と学力格差を一層進展させ固定化させるのである。日本はすでにこの悪魔のループに入ってしまっている。このような格差社会の状況下で、「生きる上ので幸せの概念を再構築しよう」などと言った処で絵空事じみているように思えてしまう。貨幣経済社会が終わらない限り、このループから出ることはできないだろう。
そして「官」と「政」は格差社会の勝利者側だから、貨幣経済下のこのような格差社会状況を、憂えてすらいないのである。
神奈川県の教育委員になっている著者が体験したこと。
私学の側が「経営が苦しくなるので、公立はもっと生徒の定員を減らしてくれ」と主張しています。
最初、この会議に出たとき、私は話の意味がよく分かりませんでした。・・・中略・・・。なぜ、私学の要請に従って公立の定員を減らさなければならないのでしょうか。・・・中略・・・。
結果、こんな結論が出てくるわけです。
なるほど、学校というのは、たとえ私立と名がついていようが、実態は「官」や「政」の既得権益に守られた行政産業に過ぎないのか。私はとても嫌な気分になりました。
しかも、この話にはおまけがあるのです。私学の要請に従って、公立側は生徒の定員は減らす。けれども、先生の数自体は減らさないというのです。(p.18)
この教育行政のやっている出鱈目ぶりに、失笑してしまった。最初、この会議に出たとき、私は話の意味がよく分かりませんでした。・・・中略・・・。なぜ、私学の要請に従って公立の定員を減らさなければならないのでしょうか。・・・中略・・・。
結果、こんな結論が出てくるわけです。
なるほど、学校というのは、たとえ私立と名がついていようが、実態は「官」や「政」の既得権益に守られた行政産業に過ぎないのか。私はとても嫌な気分になりました。
しかも、この話にはおまけがあるのです。私学の要請に従って、公立側は生徒の定員は減らす。けれども、先生の数自体は減らさないというのです。(p.18)
私学の経営者の多くは2代目3代目で、創立者の志を守ろうと経営努力するのではなく、自らの既得権を守るために政治家を使って公立高校の定員減らしに奔走しているのだという。つまり、私学は「生徒獲得のための経営努力はしない」と言っているようなもので、公立も「人件費削減のための努力はしない」と言っているのである。そして「政」と「官」は両方の言い分を聞き入れようとしているのである。こんな馬鹿げた話はないだろう。結局のところ「官」と「政」に任せると、こういうことになるのである。
いずれにせよ、教育界が目指すのは、私学であれ公立であれ、「顧客である生徒本人から“ありがとう”と言われるべく努力すること」ではなく、単に、「努力しないままに、教える側の雇用を守ることだけ」なのである。
「官」も「政」も、結局のところ「学ぶ側の教育」という国民に対する最大のサービスを考えているのではない。考えているのは、「教える側の雇用」という「カネ」=「利権」のことだけである。
このような教育に関する「官」と「政」のやり方は、格差社会をより一層加速することになる。
私学側はそこそこ教育のノウハウを蓄積しているだろうから、学びたい子は総じて学費の高い私学へ行くのだろう。格差社会と成り果てている現在の日本では、低所得者の子どもは、教えることに情熱などない公立の先生のよって適当にあしらわれた末にトコロテンのように押し出されて卒業してゆく以外に選択肢はない。このような状況ゆえに、日本は既に、親の経済力と子供の学力が比例する時代・社会になってしまっているのである。
経済格差社会は意欲格差と学力格差を一層進展させ固定化させるのである。日本はすでにこの悪魔のループに入ってしまっている。このような格差社会の状況下で、「生きる上ので幸せの概念を再構築しよう」などと言った処で絵空事じみているように思えてしまう。貨幣経済社会が終わらない限り、このループから出ることはできないだろう。
そして「官」と「政」は格差社会の勝利者側だから、貨幣経済下のこのような格差社会状況を、憂えてすらいないのである。
【誰のためなのか】
「官」に「公僕(パブリック・サーバント)」という意識は、全くありません。
「官」は、国を食い物にする「寄生虫(パラサイト)」です。
「官」の仕事、そして「官」が仕切っている仕事の大半は、国民のためよりも、自分たちの利益を守るため、という側面を非常に強く持っているのではないでしょうか。
学校組織は生徒より教師のため、病院と医療制度は患者より医師のため、農業政策は国民より農家のため、そしてそれぞれを束ねている「官」の息のかかった組織のためのものになってはいないでしょうか。
最終的には、彼らを票田としている政治家のため、彼らの組織を天下り先としている役人のためのものになってはいないでしょうか。(p.61)
そうなっています。その通りです。学校組織は生徒より教師のため、病院と医療制度は患者より医師のため、農業政策は国民より農家のため、そしてそれぞれを束ねている「官」の息のかかった組織のためのものになってはいないでしょうか。
最終的には、彼らを票田としている政治家のため、彼らの組織を天下り先としている役人のためのものになってはいないでしょうか。(p.61)
「官」に「公僕(パブリック・サーバント)」という意識は、全くありません。
「官」は、国を食い物にする「寄生虫(パラサイト)」です。
【機能していない教育委員会】
地方行政のトップが「官」と「政」の権益を守るだけの頭しかない人間なら、現状のような存在価値のない教育委員会を維持するだけである。本気で良き行政を志しているなら、「民間からの意見の積極採用」をしたり、大阪市長のように「民間人校長の採用」を積極的に推進するなどの工夫を実施しているはずである。
残念ながら、民主主義の理想のもとに生まれたはずの教育委員会は完全に本来の目的を見失っています。
教育委員会の制度疲労は全国各地で起きているようです。・・・中略・・・。「教育委員会不要論」もあちこちで聞かれます。・・・中略・・・。
では、なぜその教育委員会がうまく動かなくなったのか。委員会のメンバーをみると原因が見えてきます。とにかく教育関係者に偏りすぎなのです。・・・中略・・・。議論の前提が、既存の学校や教師の権益をいかに守るか、となってしまうのも当然です。
かくして教育委員会は、生徒たちの幸せよりも、教師の既得権益や立場の擁護に終始する組織に成り下がったといっても過言ではないと思います。(p.27-28)
現実の各市町村の教育委員会の実態はこんなものである。意義も意味もない単なる財政浪費組織に成り果てている。教育委員会の制度疲労は全国各地で起きているようです。・・・中略・・・。「教育委員会不要論」もあちこちで聞かれます。・・・中略・・・。
では、なぜその教育委員会がうまく動かなくなったのか。委員会のメンバーをみると原因が見えてきます。とにかく教育関係者に偏りすぎなのです。・・・中略・・・。議論の前提が、既存の学校や教師の権益をいかに守るか、となってしまうのも当然です。
かくして教育委員会は、生徒たちの幸せよりも、教師の既得権益や立場の擁護に終始する組織に成り下がったといっても過言ではないと思います。(p.27-28)
地方行政のトップが「官」と「政」の権益を守るだけの頭しかない人間なら、現状のような存在価値のない教育委員会を維持するだけである。本気で良き行政を志しているなら、「民間からの意見の積極採用」をしたり、大阪市長のように「民間人校長の採用」を積極的に推進するなどの工夫を実施しているはずである。
【郁文館夢学園の入学式】
教育する側が日常生活レベルの心構えや素行を放置するということは、子どもの人生がよき人生になるよう教育する意思はないということだろう。なら、学校に行く必要はない。自宅学習だけでいい。
入学式で私はこう言いました。
「郁文館が追及している君たちの幸せは、いい大学に行くことだけではありません。ただお金持ちになって生活することでもありません。君たちがそれぞれの生まれてきた責任を自覚して、でき得れば、自分以外の人の幸せにかかわっていってもらいたいと思います」
それができるように、君たちの人格を鍛えます、と。
それから、ちょっと脅かしました。
「この学校では、遅刻をしたら反省文を原稿用紙10枚書かせます」
それだけではありません。ゴミが落ちていたら拾いなさい、靴は脱いだらそろえなさい等々、日常生活レベルの心構えを、口やかましく言っています。 (p.132-133)
人生が破綻している人の日常生活レベルの心構えや素行は、必ずや破綻しているものである。「郁文館が追及している君たちの幸せは、いい大学に行くことだけではありません。ただお金持ちになって生活することでもありません。君たちがそれぞれの生まれてきた責任を自覚して、でき得れば、自分以外の人の幸せにかかわっていってもらいたいと思います」
それができるように、君たちの人格を鍛えます、と。
それから、ちょっと脅かしました。
「この学校では、遅刻をしたら反省文を原稿用紙10枚書かせます」
それだけではありません。ゴミが落ちていたら拾いなさい、靴は脱いだらそろえなさい等々、日常生活レベルの心構えを、口やかましく言っています。 (p.132-133)
教育する側が日常生活レベルの心構えや素行を放置するということは、子どもの人生がよき人生になるよう教育する意思はないということだろう。なら、学校に行く必要はない。自宅学習だけでいい。
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