《前編》 より

 

【美意識を涵養する】

 私が生れた長崎は、昭和10年代、海外の窓口でした。さまざまな文化が行き交い栄えた異国情緒あふれるその街で、私は15歳まで過ごしました。実家はきれいに着飾ったおねえさんたちがたくさん行き来するカフェ。うちの隣は映画館で、隣の隣は芝居小屋。当時の一流女優の美をまぶたに焼きつける毎日でした。エレガントで、優雅で、上品で、世界中が本当に洗練されていた時代でした。・・・中略・・・。私のそばには、子どもの頃からいつも美がありました。それが滋養となり、私の美意識をつくっていったのです。・・・中略・・・。特に1950年代までに作られた芸術は、現代人を美へ導く最強の特効薬です。(p.148-149)
 美意識というのは、ある程度恵まれた環境下で育たないと、なかなか育たない。そして、それを希求する指向性すら芽生えないだろう。
 美輪さんの美意識に関わったその時代の映画の名称や人物が、後半にいくつも幾人も紹介されている。書き出さないけど・・・。

 

 

【心地いい日本文化】
 淡く、曖昧で、微妙。
 そんな玉虫色の世界を美しいと感じる感性が、
 日本人のDNAには備わっています。
 風土に合わせてアレンジされ、育っていった
 日本文化は私たちにとって心地いいもの。
 なのに現代人はわざわざ外国産の毒キノコばかり食べています。
 それで精神が不安定にならないわけがないのです。 (p.153)


 毎年行っている『美輪明宏音楽会〈愛〉』のたびに、みなさんからたくさんのリクエストをいただきます。そのなかでもリクエストが多いのが、日本の叙情歌、『朧月夜』という歌です。 (p.154)
 日本人には、やはり叙情的な歌が相応しい。 『朧月夜』 のように景色しか表現していない歌なんて、諸外国では、“ソレガドウシタ”みたいに思われるだけの歌になってしまうけれど、だからこそ、そこに日本人固有の美しい文化性が顕著に表れているのである。
 井上陽水の 『少年時代』 なんかも日本人好みの内的な歌詞だろう。
 ついでに、『赤とんぼ』に関する興味深い事例をリンク。
   《参照》  『私の中のよき日本』  盧千恵  草思社
              【著者の台湾研究】

 この読書記録にある中で、『人生讃歌』 には、美輪さんの日本文化に対する思い入れが比較的多く綴られている。
 

 

【音楽の行き先】
 池辺晋一郎さんとの対談から
池辺  初め音楽は人間にとって足の裏で感じるものだったんですね。・・・中略・・・つまり音楽は地面と直結していた。土を踏み鳴らして踊ったり、猟をする時に獣を追いかけながら歌ったり。足の裏で感じていた。ところが、だんだんそれが少しずつ上がってきた。中世からバロックあたりの時代になると、王侯貴族の食卓の伴奏音楽みたいになってきて、お腹で感じられるものになってきちゃった。それからさらに時代がたって、19世紀頃には恋を語ったり、歌ったりというふうに、胸のあたりにきて・・・。
三浦  ロマン派ですね。
池辺  そう、ロマン派になった。そして20世紀になると頭で考えるものになって、数字や数列を扱うみたいに音楽を扱うようになってきた。そうすると、頭より先はもうこれ以上いくところがないわけです。方法としては・・・。
美輪  さあ、どうしましょう。
池辺  僕としては、方法は二つしかないと思うんです。もう一度足の裏に戻るか、Uターンして胸に来るか。・・・中略・・・。僕はやはり、Uターンして戻る方が自然なんじゃないかと思うんですね。つまりハートに戻る。
美輪  ブラボー! 愛してる! (p.179-180)
 最近の若者のコンサートは、観客が総立ちで一緒に踊っている。それは、頭以外の全部である。足の裏でもあり、お腹でもあり、胸でもあるだろう。
 このような状況は、仮想世界を先導するコンピュータ出現の反動として、身体意識への回帰として現れているとも言えるだろう。もっと言えば、身体意識への回帰は、顕教的なるものから密教的なるものへの回帰と言えるはずである。コンサート会場に集う若者たちは、音楽を背景に“狂える”ような「動的瞑想状態」になって、無意識の裡に“聖なるもの”を求めているのかもしれない。
   《参照》   『狂の精神史』 中西進 (講談社文庫)
              【狂ほす】

 

<了>
 

  美輪明宏・著の読書記録

     『愛の話 幸福の話』

     『乙女の教室』

     『霊ナンテコワクナイヨー』

     『ぴんぽんぱんふたり話』

     『人生讃歌』

     『ああ正負の法則』