
僅か40頁で、写真や絵が多く文字はとっても少ない本。ディープな情報は何も書かれていないけれど、学校で習う世界史みたいに上っ面の記述に終始するものではないから、それに比べたらマシである。
【テンプル騎士団の起源】
テンプルという名前は、ソロモン王の神殿(テンプル)に由来している。エルサレムの2大聖所、岩のドームと嘆きの壁のすぐ近くに彼らの宿泊所があり、そこはソロモン王の神殿跡地とみなされていたから。
騎士団はキリスト教圏の各国から多くの活動資金を得て、それなりの成果を上げていたけれど、時間の経過と共に、キリスト教徒勢力同士の対立に巻き込まれたり、エジプトの支配者サラディン(ラサーフ・アッディーン)に率いられたイスラム教徒が台頭するに及んで、1187年にエルサレムを奪回され、二度とエルサレムに足を踏み入れることはなかった。
騎士団の起源は至って単純明快である。そもそも彼らは、戦士として第1回十字軍に従軍し、勝利を収めたエルサレム攻略にも参加していたフランク族の騎士であった。それが1118年になって、エルサレムに駐留していた何名かの十字軍戦士が、騎士修道会創設のために結集して、聖地にもうでる巡礼者たちが道中無事に過ごせるよう、彼らを保護する誓いを立てたのだ。(p.12)
清貧を守りつつの軍隊組織だったと書かれている。テンプルという名前は、ソロモン王の神殿(テンプル)に由来している。エルサレムの2大聖所、岩のドームと嘆きの壁のすぐ近くに彼らの宿泊所があり、そこはソロモン王の神殿跡地とみなされていたから。
騎士団はキリスト教圏の各国から多くの活動資金を得て、それなりの成果を上げていたけれど、時間の経過と共に、キリスト教徒勢力同士の対立に巻き込まれたり、エジプトの支配者サラディン(ラサーフ・アッディーン)に率いられたイスラム教徒が台頭するに及んで、1187年にエルサレムを奪回され、二度とエルサレムに足を踏み入れることはなかった。
【金銭問題】
各国の君主は、騎士団を有罪とする見解に同意できなかった。フリップ4世の後押しで教皇になっていたクレメンス5世の勅書が出されるまで勧告に応じなかったという。最後の団員の処刑が確定するまで7年もの歳月が費やされたという。
テンプル騎士団を破滅に追いやった本当の原因は、やはり金銭問題だった。(p.33-34)
14世紀初頭の頃になると、テンプル騎士団は国に融資できるほど豊かになっていた。一方、フランス国王のフリップ4世は財政難に陥っていた。
(フィリップ4世は)それまでにも何度か貨幣の改鋳を行って貨幣の質を落としたり、フランス領内からユダヤ人を追放して彼らの財産を残らず没収するといった方策を実施せざるをえなかった。 ・・・(中略)・・・ 王は、新たな財源を探し求めた末に、テンプル騎士団に目をつけたのであった。(p.34)
フィリップ4世は、不逮捕特権を持っていると思っていたテンプル騎士団員に対して、一斉逮捕を敢行したらしい。逃れることができたのは僅かに20人程度だったと書かれている。各国の君主は、騎士団を有罪とする見解に同意できなかった。フリップ4世の後押しで教皇になっていたクレメンス5世の勅書が出されるまで勧告に応じなかったという。最後の団員の処刑が確定するまで7年もの歳月が費やされたという。
【テンプル騎士団の呪い】
テンプル騎士団の総長と、ノルマンディー管区長の二人が処刑されたのは1314年3月18日。場所はセーヌ川に浮かぶパリ市内の島(シテ島:ノートルダム寺院のある島)。
テンプル騎士団の総長と、ノルマンディー管区長の二人が処刑されたのは1314年3月18日。場所はセーヌ川に浮かぶパリ市内の島(シテ島:ノートルダム寺院のある島)。
彼らは、神を汚す行為や背教行為をはじめ、男色、悪魔崇拝、黒魔術の実践などといった数々の罪状で告発され、火刑に処せられようとしていたのだ。(p.4)
騎士団に解散命令を出していた教皇クレメンス5世と、団員達を弾圧したフランス国王フィリップ4世は、2人の処刑後どうなったかというと、
33日後、教皇クレメンス5世が亡くなった。さらに教皇の死から7カ月たった11月29日には、フィリップ4世が47歳の若さで急死している。彼の死後、スランスのカペー王家は急速の衰退していき、その14年後に王家の直系が断絶する (p.8)
500年近くたった1793年に、かつてのフランス国王で、カペー王家の末裔にあたるルイ16世が、パリのギロチンにかけられたのだった。彼の死によって、フランスの君主制は事実上終止符が打たれ、・・・(中略)・・・、専制君主の系譜も、ようやく断絶したのであった。(p.40)
500年近くたった1793年に、かつてのフランス国王で、カペー王家の末裔にあたるルイ16世が、パリのギロチンにかけられたのだった。彼の死によって、フランスの君主制は事実上終止符が打たれ、・・・(中略)・・・、専制君主の系譜も、ようやく断絶したのであった。(p.40)
【テンプル騎士団の後裔】
推測しやすいのは、王党派と鋭く対立し多くの恨みを貯めこんだ騎士団の人びとの思念は必然的に暗黒化するだろうから、霊統もそれに感応して暗黒化が加速したことだろうということ。
フリーメーソンに関する霊統として興味深い記述は、下記リンク書籍にある。
《参照》 『聖書の暗号は知っていた』 伊達巌 (徳間書店) 《前編》
【ロスチャイルドが支配するイルミナティ・フリーメーソン】
《参照》 『聖書の暗号は知っていた』 伊達巌 (徳間書店) 《中編》
【ロスチャイルドの霊的系譜】
《参照》 『ステルス・ウォー』 ベンジャミン・フルフォード (講談社) 《後編》
【闇の支配者の系譜】
18世紀に入ると、騎士団としての組織が復活し、フリーメーソン主義を掲げる秘密結社の一部門という形で、その命脈が保たれるようになった。それ以来、テンプル騎士団はフリーメーソンとして存続している。(p.40)
この本には、罪状に書かれていた通りテンプル騎士団が悪魔崇拝を行っていたかどうかについて、何も記述もされていなければ、騎士団がいかなる霊統に属していたのかも記述されていない。推測しやすいのは、王党派と鋭く対立し多くの恨みを貯めこんだ騎士団の人びとの思念は必然的に暗黒化するだろうから、霊統もそれに感応して暗黒化が加速したことだろうということ。
フリーメーソンに関する霊統として興味深い記述は、下記リンク書籍にある。
《参照》 『聖書の暗号は知っていた』 伊達巌 (徳間書店) 《前編》
【ロスチャイルドが支配するイルミナティ・フリーメーソン】
《参照》 『聖書の暗号は知っていた』 伊達巌 (徳間書店) 《中編》
【ロスチャイルドの霊的系譜】
《参照》 『ステルス・ウォー』 ベンジャミン・フルフォード (講談社) 《後編》
【闇の支配者の系譜】
【ダンテの『神曲』】
彼らと同時代に生きたダンテの場合は、テンプル騎士団消滅の責任をだれが負うべきか、確信していたようだ。というのも、彼は、『神曲』の中にクレメンス5世とフィリップ4世を登場させて、その2人を、生前の所業に見合った場所とされる地獄の底へ、情け容赦なく突き落としているからである。(p.40)
<了>