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 3日前に台湾総統選が行われたばかりなので、金美齢さんの本を読んでみた。日本国民となっても今でもハートは台湾人であるに違いない。2010年2月初版。

 

 

【「私、台湾人をやめます」】
 1959年に日本の地を踏んでから約50年、私はいつ日本人になってもよかった。しかし、その選択をずっとしてこなかった。いつか、本当の意味での台湾のパスポートを手にするために、いつか、本当の意味の台湾という国をつくるために。
 日本人になることは楽な道だ。楽な道を選ぶのは、フェアではない。「台湾人に生まれた悲哀」を理解していながら、その悲哀を味わっている同胞がたくさん存在する現実を前に、私一人だけが救われていいのか。私一人、日本のパスポートを手に入れて、台湾の現実に目を閉じていいのか。それを、私は自分に許さなかった。(p.19-18)
 「台湾人に生まれた悲哀」という言葉は、台湾総統をしていた李登輝さんが語った表現の中にあったものだけれど、その世代の皆さんの中で、心から台湾を愛していた人々に共通する思いであることは、彼らが書いた本を一冊でも読んでみれば良く分かる。
 著者のように海外に住みながら帰化せず台湾の将来を夢見ていた人々はおよそ1割程度。現実には日本に住む台湾人の8~9割は日本に帰化していたという。
 海外に住みながら台湾国籍を守っていた人々は、国民党ながら李登輝さんが総統になった時、ブラックリストが解除され30数年ぶりで台湾に変えることができ、さらに台湾独立を主張する民進党の政権が誕生するに及んで、夢の実現が可能になるかもしれないと期待を膨らませていた。
 しかし、2008年総統選挙で、台湾人の政党である民進党は惨敗してしまった。台湾が国家として世界に認められるチャンスが、永遠になくなってしまった、と私には思えた。(p.21)
 選挙の翌日、日本に帰国するために台北の台湾桃園国際空港に向かい、空港でテレビなどの囲み取材を受けたが、ここではっきりと、「私、台湾人をやめます」と宣言をした。
 バッシングが起こるのは分かっていたが、言わずにはいられなかった。それぐらい私の失望は深かった。(P.15)
 「私、台湾人をやめます」と言ったからといって、台湾人のハートが消えるなんてことはありえない。むしろ思いが強くなることすらありうるだろう。そして日本人になることで、いくつかのメリットが生じもするだろう。
 2008年から4年後の今年、3日前に台湾総統選が行われ国民党の馬英九総統が再選されてしまったけれど、台湾にとって何が幸いだったかは、歴史が過ぎ去ってみないことには分からない。日本にとっても同じである。
 はっきりしているのは、中国との経済的関係が深まると、近未来において多大な損失を招く可能性が大きくなるということ。李登輝さんが語っているように、中国の歴史は民族のDNAに託し込まれた「輪廻の芝居」なんだから、むしろその時を待てばいいんじゃないだろうか。
   《参照》   『最高指導者の条件』 李登輝 (PHP)
             【中国史は 「輪廻の芝居」 】

 

 

【中国人と台湾人の違い】
 司馬遼太郎の『台湾紀行』に出てくる“老台北” 蔡焜燦は、台湾人と中国人の決定的な違いについてこういっている。
「『公』という観念の有無だ、と思う。日本の教育は、台湾人に他の近代国家と伍して恥じない最高水準の道徳を身につけさせてくれた。日本統治時代の道徳教育こそが、台湾人と中国人を精神的に分離させたのである。日本統治時代、『公』という概念は徹底的に教え込まれた。それは秩序ある法治社会を築き上げるためには必要不可欠だった」(p.126)
 日本統治時代を生きていた年配の台湾人の皆さんが語ってくれている「日本精神」については、過去に何度か書き出してきるけれど、その「日本精神」が、中国人と台湾人の違いを生んでいるということを、日本の若者も知っておいた方がいい。
 日本の官僚で、「日本精神=公の精神」を持っている人なんてもう極少でしょうけどね。
   《参照》   『日本よ、台湾よ』 金美齢・周英明 (扶桑社)
             【日本に求められる 「日本精神」 】
   《参照》   『ニューヨークの台湾人』 田中道代 (芙蓉書房出版)
             【公の精神】

 

 

【高金素梅の靖国反対運動の正体】
 台湾における反日活動家の代表が、国会議員の高金素梅である。彼女は、原住民高砂族選出の女性議員であり、2009年には靖国神社にメンバーを引き連れてなぐり込みに来ている。・・・(中略)・・・。この団体は「靖国反対」のためだけに集められたものではない。じつは毎年、「観光ツアー」も兼ねて人を集めていた。・・・(中略)・・・。その「日本旅行」のあと、彼女は台湾にそのまま帰らずに、中国に立ち寄っている。何故か。
 一億台湾元を、中国政府からもらうためであった。日本円にすると約三億円。彼女の来日直前の2009年8月、台湾で「50年ぶり」と言われる台風被害が発生していた。その台風被害の「お見舞金」という名目ではあったが、要は靖国でのパフォーマンスへの「ご褒美」なのだ。

 彼女の「靖国反対」は、中華人民共和国の紐付きだったのである。
 日本人にとっても誉れ高い高砂族の名誉を守るために、この部分を書き出しておいた。
   《参照》   『中国人の99.99%は日本が嫌い』 若宮清 (ブックマン社)
             【高砂義勇隊】

 どんなに優れた民族の中にも、お金のためなら何でもやるようなゲスの輩が必ずいるもの。

 

 

【周英明が感じたある戸惑いと寂しさ】
 周英明さんは金美麗さんの旦那様。日本統治下の台湾で日本語教育を受けて育ったけれど、敗戦後の余りにも苛烈な中国統治を体験することになる。そんな社会状況の中で勉学に励み、台湾で最も優秀な学生のにみ与えられる資格(国費留学生)を得て、1961年に日本に来た時のこと。
 胸を膨らませて、自由な別天地・日本の地に降り立ったとき、彼は、ある戸惑いと寂しさを禁じ得なかったという。それは、台湾における日本の大きさと、日本での台湾の小ささに、あまりにも隔たりがあったからである。(p.144)
 渋谷の大きな書店に入っても、当時は台湾の観光案内の本が一冊しかなかったという。
 このような状況は、現代人が読んでもちょっとビックリする。
 台湾人の心の中には、日本統治時代のいい思い出や、日本へのあこがれが根強く存在していた。
 ところが、である。日本には台湾はどこにもなく、日本人も台湾にはまったく関心がない。日本に近い亜熱帯のサツマイモ型の島、くらいの認識しかない人が多いに違いなかった。2・28事件やそれに続く白色テロなどが起こったことなど、ほとんど誰も知らないだろう。
 「台湾がどうなっていようと、台湾人がどういう思いで暮らしていようと、私たちには全然関係ありません」と言われたような気がして、心が冷え切ったという。(p.145)
 チャンちゃんは 『日本よ、台湾よ』 金美齢・周英明 (扶桑社) を読んでいるから、その時の周英明さんの気持ちがよく分かる。
 今でも、当時の台湾と日本との関係を知らない人々なら、「そんなもんよ」なんてクールに思ってしまうかもしれないけれど、それじゃあ困る。せめて下記の映画を観て、日本と台湾に関する時代状況と当時の人々の心境くらいは知っておくべきである。

 

 

【『海角七号』】
 2008年8月、台湾で封切られた 『海角七号』 という映画がある。
 低予算で作られた映画だというが、近年低迷を続けていた台湾映画界では、『タイタニック』につぐ史上二番目の興行成績をあげる例外的な大ヒットとなった。
 この映画のヒットの背景の一つには、台湾人の日本統治時代へのノスタルジーがあったと言える。当時を知る人たちが映画館に足を運び、かつて別れなければならなかった「日本」を思い出し、涙したのである。
 また、台湾の若者にとっても、こんな歴史が祖父母の時代にあったのだ、ということを知らされ、感動した映画だった。だから、多くの若者が、二度、三度と映画館に足を運んだという。(p.148)
 台湾では大大ヒットだったというけれど、日本では、ヒットというほどには観られていないだろう。ウルトラ残念。
 活字が苦手な日本の若者は、せめてこの映画を通じて台湾に触れておきましょう。

 

 

<了>