
この本より4か月前に 『筆談ホステス』という著作を出したら反響が大きく、この2作目が作られるようになったとのこと。右ページに著者の筆談肉筆が、左ページにその筆談がされたときの状況が書かれている。銀座のクラブには、どういった人々が出入りし、彼らがどんな悩みを抱えているのかが分かるのも、この本の良いところ。2009年9月初版。
【はじめに】
リーマン・ショック以降だから、ビジネス街の中心のある銀座を訪れるお客さんにとってはかなり辛い状況での筆談がある。聴覚障害のある著者は、そんなお客さんたちを筆談で勇気づけ励ましてあげている。
私は、日本一の夜の街・銀座でホステスとして働いています。
私は、耳が全く聞こえません。
お客様とのコミュニケーションの手段は筆談です。
私は、日本で唯一の「筆談ホステス」です。 (p.4)
意図的な筆談なのかと思ったら、そういうことだった。だからこそ真剣に読んでみようと・・・。私は、耳が全く聞こえません。
お客様とのコミュニケーションの手段は筆談です。
私は、日本で唯一の「筆談ホステス」です。 (p.4)
リーマン・ショック以降だから、ビジネス街の中心のある銀座を訪れるお客さんにとってはかなり辛い状況での筆談がある。聴覚障害のある著者は、そんなお客さんたちを筆談で勇気づけ励ましてあげている。
【花はその花弁のすべてを失って・・・】
今の日本は、まさに花弁のすべてを失いつつある時期かもしれない。
しかし、こんな状況であっても、日本には再び大きな果実が実ることになっている。
「里恵ちゃんの水割りも今日で最後だな」「人もいなくなったし、工場もなくなった。俺には家族しか残ってない。今まで一生けん命やってきたことはなんだったんだろう」「家族の前では泣けないから、ここでいっぱい泣くけど、許してな、ごめんな」
「もちろんです」
Jさんの悔しさを想うと、私も涙が出てきました。ひとしきり二人で泣いた後、ふと頭をよぎったのは、インドの詩人タゴールの言葉でした。
「花はその花弁のすべてを失って果実を見いだす」
自分の精いっぱいの気持ちを込めてこの言葉を書いてJさんにお渡ししました。
「俺にも、またいい果実が実るだろうか」
「もちろんです」 (p.17)
長年働いてきながら今日の不況に打ちのめされてしまった中小企業経営者や、リストラされたビジネスマンが、このページを読んだら、殆どの人が泣いちゃうかも・・・。「もちろんです」
Jさんの悔しさを想うと、私も涙が出てきました。ひとしきり二人で泣いた後、ふと頭をよぎったのは、インドの詩人タゴールの言葉でした。
「花はその花弁のすべてを失って果実を見いだす」
自分の精いっぱいの気持ちを込めてこの言葉を書いてJさんにお渡ししました。
「俺にも、またいい果実が実るだろうか」
「もちろんです」 (p.17)
今の日本は、まさに花弁のすべてを失いつつある時期かもしれない。
しかし、こんな状況であっても、日本には再び大きな果実が実ることになっている。
【失うことで、人は・・・】
しなびちゃうよ。
大手広告代理店に勤務するGさんは、 ・・・(中略)・・・ 実績を上げている若手の有望株。そんなGさんが、この日はなんだか荒れ模様。
「そんなに飲まれては体に悪いですよ」
「いいんだよ。もう終わりだから」「あんなチャンス二度と来ないさ。会社内の立場だって失ってしまったし」
そんな言葉に私も困ってしまいましたが、Gさんが書いた言葉の中から “失” という字を取り出して、こう伝えました。
「失うという言葉には ”人” と “大” という文字が隠れています」「失うことで人は大きくなる」「そうじゃないですか、Gさん」 (p.37)
失うことを怖れて、一歩前に出ない人や、守ってばかりいる人って・・・大きくなれない。「そんなに飲まれては体に悪いですよ」
「いいんだよ。もう終わりだから」「あんなチャンス二度と来ないさ。会社内の立場だって失ってしまったし」
そんな言葉に私も困ってしまいましたが、Gさんが書いた言葉の中から “失” という字を取り出して、こう伝えました。
「失うという言葉には ”人” と “大” という文字が隠れています」「失うことで人は大きくなる」「そうじゃないですか、Gさん」 (p.37)
しなびちゃうよ。
【信来】
信来してくれるパートナーの存在って大きい。その逆は最悪である。
アパレル関連の会社にお勤めのTさんとHさんは、とても仲のいい上司と部下です。 ・・・(中略)・・・。
「今日は、Hさんはご一緒じゃないんですか」
「ああ、まあね」
「Tさんは部下想いで、お優しいのですね」
「でももう限界だよ。俺がアイツをかばえるのも」「アイツの能力に間違いはないし、信頼してやりたいけど。もうこれ以上は・・・」
「信来!」「信頼ではなく、信来してあげてください。Hさんの未来を信じてあげてください」
「そうだね。アイツを “信来” してみるよ。だってアイツは俺のことを “信頼”、信じて頼ってくれているんだもんね」 (p.115)
「自分を信じる」って、「自分の未来を信じる」ってことだろうから、「自分を信来する」ってことだろう。「今日は、Hさんはご一緒じゃないんですか」
「ああ、まあね」
「Tさんは部下想いで、お優しいのですね」
「でももう限界だよ。俺がアイツをかばえるのも」「アイツの能力に間違いはないし、信頼してやりたいけど。もうこれ以上は・・・」
「信来!」「信頼ではなく、信来してあげてください。Hさんの未来を信じてあげてください」
「そうだね。アイツを “信来” してみるよ。だってアイツは俺のことを “信頼”、信じて頼ってくれているんだもんね」 (p.115)
信来してくれるパートナーの存在って大きい。その逆は最悪である。
その後、お二人は新しい洋服のデザイン会社を起こし、アパレル業界で注目される存在になって、活躍されています。(p.115)
【着物は気持ちのスイッチ】
いろんな服装をまとった著者の写真が掲載されているけれど、和服姿が一番綺麗。
衣装を用いたスイッチングの中でも、和服は、体の多くの部分を締め上げるから、姿勢にも関わって覚醒効果は大きいはずである。
《参照》 『人生を愉しむ50のヒント』 中谷彰宏 三笠書房
【人生を愉しんでいる人は、椅子に坐った時に姿勢がいい】
週末を過ごすにしても、朝起きてから寝るまで、ず~~~とパジャマで過ごしていたら、空虚な一日になってしまう。人に会うことが無い日でもキチンとしている人って、日々精進する精神の基本ができあがっている人なのだろう。
いろんな服装をまとった著者の写真が掲載されているけれど、和服姿が一番綺麗。
毎日、着付け屋さんでお着物を着せてもらい、美容院に行って髪を仕上げてもらって、8時半にはお店に入ります。大変ですが、私にとっては、これが大切な「スイッチ」。 ・・・(中略)・・・ 。このオン/オフの「スイッチ」は本当に重要です。まずは外側から、きちんと見た目を整えることで、気持ちも変わってきます。自分の内の「プロ意識」も自然と目覚めてくるモノなのです。(p.116-117)
宗教行事としての衣装も、お医者さんや警察官などの制服なども、みな「スイッチ」効果を高めるためのもの。衣装を用いたスイッチングの中でも、和服は、体の多くの部分を締め上げるから、姿勢にも関わって覚醒効果は大きいはずである。
《参照》 『人生を愉しむ50のヒント』 中谷彰宏 三笠書房
【人生を愉しんでいる人は、椅子に坐った時に姿勢がいい】
週末を過ごすにしても、朝起きてから寝るまで、ず~~~とパジャマで過ごしていたら、空虚な一日になってしまう。人に会うことが無い日でもキチンとしている人って、日々精進する精神の基本ができあがっている人なのだろう。
【恋と愛】
これ、名言だろうか? チャンちゃんはそうは思わない。単なる世俗的な解釈にしか思えない。
一般的に「下心」は良い意味に解釈されていないから、この用語にひっかかってしまう。ヘッセの小説に登場する主人公(少年)たちの恋心に下心など全然ないのだし、また、愛って真心という表現では捉え切れない普遍性を含んでいるはずである。
性に関する拘束思想である倫理観が西洋から日本に待ちこまれたのは明治時代。江戸時代以前の日本人の性意識は 『タオ・コード』 の認識に近かったはずで、かなりおおらかだったらしいけれど、それは下心なんかではない。もしもそれが下心であるというのならそれは性愛ないし色恋であって、純粋な恋とはいわないだろう。人間的な愛の根源であるムラダーラ・チャクラのエネルギーは、普遍的な愛の根源であるアナハタ・チャクラの覚醒に連なってゆく。それぞれのチャクラは、確かに人体の下(性腺)と中頃(胸腺)にあるけれど、下が恋で上が愛ではない。どちらも愛である。
でも、ホステスさんって、現実の世俗界で活躍している人々(大人)の心を慰撫するのが仕事でもあるのだから、これを名言と思える程度が丁度相応しいのかもしれない。
「恋は下に心があるから下心。愛は真中に心があるから真心」
いろんな人がお話になりますが、桑田佳祐さんの言葉でもあります。年月を経て残る名言はやはり、何かがあるようです。(p.126)
“いろんな人が話す” とあるけれど、この言葉、この本で始めて出会った。いろんな人がお話になりますが、桑田佳祐さんの言葉でもあります。年月を経て残る名言はやはり、何かがあるようです。(p.126)
これ、名言だろうか? チャンちゃんはそうは思わない。単なる世俗的な解釈にしか思えない。
一般的に「下心」は良い意味に解釈されていないから、この用語にひっかかってしまう。ヘッセの小説に登場する主人公(少年)たちの恋心に下心など全然ないのだし、また、愛って真心という表現では捉え切れない普遍性を含んでいるはずである。
性に関する拘束思想である倫理観が西洋から日本に待ちこまれたのは明治時代。江戸時代以前の日本人の性意識は 『タオ・コード』 の認識に近かったはずで、かなりおおらかだったらしいけれど、それは下心なんかではない。もしもそれが下心であるというのならそれは性愛ないし色恋であって、純粋な恋とはいわないだろう。人間的な愛の根源であるムラダーラ・チャクラのエネルギーは、普遍的な愛の根源であるアナハタ・チャクラの覚醒に連なってゆく。それぞれのチャクラは、確かに人体の下(性腺)と中頃(胸腺)にあるけれど、下が恋で上が愛ではない。どちらも愛である。
でも、ホステスさんって、現実の世俗界で活躍している人々(大人)の心を慰撫するのが仕事でもあるのだから、これを名言と思える程度が丁度相応しいのかもしれない。
【健常者と障害者】
「健常者」は「常に健やかな人」と書きます。本当にそんな人がいるでしょうか。皆風邪をひいたりおなかがいたくなったり、もっと大きな病気になったり歳をとったりします。体だけではありません、心が辛くて仕方ない人もいるでしょう。健常者と障害者の間の線引きなど、何の意味もないのです。もちろん違いはありますが、理解や協力で補い合える部分が今よりもっとずっと多くあるはずです。わたしはそうした健常者と障害者の共有の場が世界の中にひとつでも増えることを願っています。(p.95)
確かに殆どの健常者は、字義のような状態にはない。聴覚に障害がある著者のような方のほうが、雑音から守られることで遥かに純度の高い精神を維持しやすいように思える。夾雑物を取り込みやすい健常者より、五感のひとつを遮断している人の方が、深く広く高く強く感受している可能性はあるのだから、健常者には得がたいその宝物を健常者に分け与えてあげられることは、大きなメリットに違いない。
<了>