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 そこそこ安定した収入のある普通の家庭で育ってきた人の中には、このようなタイトルに多少なりとも違和感を持つ人が少なくないだろう。
 四国の高知県から上京し、今日では成功した漫画家となっている著者の、子供の頃の家庭環境が赤裸々に書かれているけれど、不安定な経済生活にさらされていると、やはりお金の問題が心と現実に大きく影響を与えるらしい。だからこそ、このようなタイトルになっている。
 この本には、逞しく生き抜いてきた一人の女性の生き方と、生きて行く上での考え方が書かれている。著者の実体験が、飾りのない言葉で書かれているから、読者はただちに引き込まれることだろう。

 

 

【お金がないと、生活の場面で衝突が避けられない】
 子どもの頃、バクチに入れ込むようになった父さんは、お母さんの貯金にまで手をつけるようになり、穏やかな生活があっというまに荒んでしまったのだという。
 お金に余裕がないと、日常のささいなことがぜんぶ衝突のタネになる。食べたり着たりどこかに行ったり、そういう生活のひとつひとつのことにぜんぶお金が関わってくるからね。お金がないと、生活の場面のいちいちでどうしても衝突が避けられない。
 それも何十万、何百万って話じゃない。何万円、何千円の話で激しいいさかいをする。たったそれっぽっちの金額でののしりあう、この情けなさが、わかる? (p.17)
 いろんなジャンルの本を読んでいると、ヤクザがらみとか、女性が強いとかで、しばしば高知県の話が出てくるけれど、著者も高知県出身。龍馬の出身地でもある高知県には、良い意味でも悪い意味でも気性が激しい人が潜在的に多いのだろうけれど、そんな性格の人々だからこそ、お金に絡むことがより強く浮き彫りにされて出てくるのかもしれない。
 著者のお父さんはヤクザではないけれど、いろいろ読むところ聞くところによると、ヤクザって親分以外はつねにピーピー状態なのが普通らしい。であれば、ヤクザの家庭は常にすさんだ状態にあるのだろう。お父さんがヤクザでなくても、子供時代、貧困家庭環境にあった人々がこの本を読めば、深く入り込んでしまうことだろう。

 

 

【暴力と貧困の関係】
 みんなまだ子ども、ほんの十代の男の子、女の子たちだったのにね。
 それなのにもう、立派な窃盗団、かっぱらいの集団だった。
 どうして子どもたちが、そんなことになってしまったんだと思う?
 あのね、「貧困」 と 「暴力」 って仲良しなんだよ。
 貧しさは、人からいろんなものを奪う。 ・・・(中略)・・・ お金が十分にないと諦めなければいけないことが次から次に、山ほど、でてくる。それで大人たちの心の中には、やり場のない怒りみたいなものがどんどん、どんどん溜まっていって、自分でもどうしようもなくなったその怒りの矛先は、どうしても弱いほうに、弱いほうにと向かってしまう。(p.29)
 刑務所に入っている人々のほぼ8割は、薬か窃盗が占めているらしいけれど、再犯率は実に8割近い(!)という話を聞いたことがある。その率の高さに驚くけれど、どうやらそういった人々は刑務所生活をそれほど過酷と思っていないらしいのである。この本を読んでいて、その理由が、分かった気がする。暴力と貧困にさらされている過酷な現実生活と比較して、苦労することなく三食安心して食べられる監獄生活はそれほど悪いものではない、ということなのだろう。

 

 

【将来に希望が見えなくなると】
 溜まり場になっているアパートのせまい部屋では、とんでもないことが起こっていた。男の子も女の子もシンナーでラリって、乱交しちゃう。わけがわかんなくなったその勢いで、セックスしちゃう。
 ・・・(中略)・・・ 。
 「貧しさ」 っていうのは、たとえば、こういうことでもあるんだと思う。
 人は将来に希望が見えなくなると、自分のことをちゃんと大事にしてあげることさえできなくなってしまう。やぶれかぶれで刹那的な楽しさを追い求めるうち、モラルをなくしてしまう。(p.41)
 著者は、1964年生まれとあるけど、高度経済成長期にあった日本で、そんな貧困家庭が多くあったということに、ちょっとびっくりしてしまう。ならば今日の日本なんて、1980年代のピークから見たらひどい格差社会となってしまっているのだから、著者の子供の頃とさして変わらぬ状況になっていることだろう。
 経済格差 ⇒ 意欲格差 ⇒ モラルハザード ⇒ 社会不安 という既定の路線が見えてくる。
 現在、世界中で起こっているデモや闘争の原因は、エスカレートしてゆく格差社会以外の何物でもないけれど、少年少女と言った若者達は、私利私欲のためにこのような酷い社会を作り成してきた官僚や政治家をはじめとする大人たちの卑劣な作為に気づくこともなく、こんな風に自己崩落してしまう。
 とはいえ、仮にそのことを知っていたにせよ、大人にしても同じだろう。
 以下は、著者のお父さんの末路。
 お金がないことに追いつめられると、人は人でなくなっていく。その人本来の自分ではいられなくなって、誰でもなく、自分自身を崖っぷちまで追い詰めて、最後には命さえ落としてしまうことがある。
 貧しさが、そうやってすべてを飲み込んでしまうことがある。(p.55-56)

 

 

【女の子の上京ショック】
 白状すると、高知にいたころは、自分のこと、ビジンだって思ってたのよ。けっこう、イケてるんじゃないか、って。
 だけどそんな自信は、あっという間にこっぱみじん。東京の人のきれいさっていうのは、高知の小さい田舎町とじゃ、ぜんぜん、レベルがちがう。ちがいすぎて、勝負にもならない。(p.78)
 地方から上京してきたばかりの、ちょっと綺麗な女の子たちの、このような正直な気持ちは、直接何度か聞いたことがある。
 何故なのだろう。首都圏で育った子は、幼少のころから綺麗な雑誌などを見て、日ごろ美しいイメージに触れている可能性が高い。そうすると、それなりの霊界(イメージ界)が出来てしまうから、個人と地域の霊界が先導して美系を生んでゆくのかもしれない。あるいは、時代の役割として、日本、特に首都・東京の役割を知っているやや先に進化している美系の魂たちが、東京圏を選んで転生してきているのかもしれない。

 

 

【銀玉親方】
 『まあじゃんほうろうき』 というバクチ系漫画も書いている著者が、実践の現場で知り合った同郷の親方。
 銀玉親方のすごいのは、バクチだけじゃなかったからね。
 ものすごく貧しい山の中で育っているから、「ない」 ことに、慣れている。
 親の顔もほとんど知らずに育った子供だったから、ものすごくたくましい。失うものが 「何もない」 んだから、こわいもん、なし。
 上京するときも、アルバイトで大学受験の費用4万円だけを稼いで、高知から東京まで歩いてきちゃったんだって。「山歩きが大好きだよ」 っていうけど、いくら何でも歩き過ぎ!
 東京の大学に受かってからも、しばらく住むところがなくて、「ホームレス大学生」 していたらしい・・・。
 それが、銀玉親方の上京ものがたり。どうよ、この頼らなさ加減!
 今どきのひきこもりたちが、銀玉親方の話を聞いたら、無感動な表情の奥で、「ありえねぇ~~」 って思いつつ、余計ひきこもっちゃったりするんじゃないだろうか。

 

 

【ギャンブルのマナー】
 わたしが師匠に教わったのは、まず 「負けてもちゃんと笑っていること」。これはギャンブルのマナーの、基本中の基本。(p.156)
 そういえば、 『ガイジ』 のいかなる場面でも、ガイジが泣いていた場面ってなかったような気がする。でも、さすがに笑ってはいなかっただろう。
 で、著者の西原さんは、何て言ったかと言うと、
 「きっ・・今日のところは、これくらいで勘弁してやるっ」
 落ち込んでいるときでも、これくらいは言えないと。
 「よしっ。それでこそサイバラだ」
 師匠にもほめられた。(p.138)
 パチパチパンチの吉本オジさんの有名なギャクって、もしかして基本マナーをわきまえたギャンブラーの常套句だった・・・?!

 

 

【カネの話は下品なのか?】
 世の中の多くの人は、カネのハナシをしない。
 特に大人は子どもに 「お金の話をするのははしたない、下品なことだ」 といって聞かせたりするよね。
 「カネについて口にするのははしたない」 という教えも、ある意味、「金銭教育」 だと思う。(p.175)

 カネのハナシは下品だという 「教え」 が生んだもので 「ちょっと待て、いい加減にしろ!」 って言いたくなることは、まだ、ある。
 「人間はお金がすべてじゃない」 「しあわせは、お金なんかでは買えないんだ」 っていう、アレ。
 そう言う人は、いったい何を根拠にして、そう言い切れるんだろう?(p.176)
 この著作の前半で、著者の子ども時代の体験を読んできているから、このような考え方が出てくるのは分かる。それでも現実を支える上でのお金の大切さは、大人になってからの過程で学べばいいんじゃないかと思ったりする。
 お金のない世界は理想かもしれないけれど、純粋な心の人々は、そのような世界を、魂の記憶として内に持っている。生まれながらに純粋な子どもたちが、純粋でいられるなら、できるだけそのままでいさせてあげたほうがいいんじゃないかと思ってしまう。先進国の中にあって、そのような純粋さを社会が維持しているのは日本人の精神性・霊性に負うところが大きいはずである。これは日本人の長所であると考えている。純粋さは霊的な高貴さに通じているはずである。
   《参照》   『美しき日本の残像』  アレックス・カー  新潮社  《後編》
              【日本人と中国人の違い】

 貨幣経済社会というのは、永遠の真実などではない。畢竟するに貨幣経済というものは何度でも破綻を繰り返すのである。それは本来の理に即していないからである。貨幣のない世界というのは、過去の地上に存在していたのであるし、これからの未来にも存在しうるのである。
   《参照》   『アミ小さな宇宙人』 エンリケ・バリオス (徳間書店)
              【アミの星】

 

<了>

 
 

  西原理恵子・著の読書記録

     『いいとこ取り 熟年交際のススメ』

     『この世でいちばん大事な「カネ」の話』