【中正】
ところで、ものごとの善悪はどこで判断するのか。何が正しくて、何が誤りなのだろうか。結論を言えば、「中」 ならば正なのである。
四書五経の 『中庸』 には、このように記されている。
「中は喜怒哀楽の発する前にして、ひとたび発して節に中(あた)る」
「中」 というのは、右に寄らず左に寄らず、まん中という意味ではない。人間の喜怒哀楽の発する前にあるのだが、ひとたび発して節に中るのが 「中」 なのだ。具体的にいえば、無形のうちにあって、強いときには強く、弱いときには弱く、どうでもいいときにはどうでもよくしているタイミングや呼吸が 「中」 であり、ツボにはまった生き方のことなのである。これが正なのだ。
・・・(中略)・・・ 「正」 とは 「一で止まる」 と書き、一番大切な原点である 「中」 や先天や太極に止まって事を為す状態のことなのだ。
このように正とは、キリスト教でいう善悪の観念や宗教倫理に合致していることではない。それよりも、中国思想に照らし合わせるならば、すべての行いにおいて 「中」 にあたること、すなわちツボにはまっていることが正なのである。この中正こそが道を行う原点であり、すばらしい極意だといえるものなのだ。(p.210-211)
多くの台湾人にとっては、 「中正」 なんて、大陸から逃れてきて台湾を支配した国民党の蒋介石と直に結びつく好ましからざる単語なのだろうけれど、中国思想に照らして言えば 「中正」 とは、上記にあるような深い意味になるのである。
四書五経の 『中庸』 には、このように記されている。
「中は喜怒哀楽の発する前にして、ひとたび発して節に中(あた)る」
「中」 というのは、右に寄らず左に寄らず、まん中という意味ではない。人間の喜怒哀楽の発する前にあるのだが、ひとたび発して節に中るのが 「中」 なのだ。具体的にいえば、無形のうちにあって、強いときには強く、弱いときには弱く、どうでもいいときにはどうでもよくしているタイミングや呼吸が 「中」 であり、ツボにはまった生き方のことなのである。これが正なのだ。
・・・(中略)・・・ 「正」 とは 「一で止まる」 と書き、一番大切な原点である 「中」 や先天や太極に止まって事を為す状態のことなのだ。
このように正とは、キリスト教でいう善悪の観念や宗教倫理に合致していることではない。それよりも、中国思想に照らし合わせるならば、すべての行いにおいて 「中」 にあたること、すなわちツボにはまっていることが正なのである。この中正こそが道を行う原点であり、すばらしい極意だといえるものなのだ。(p.210-211)
台湾の故蒋介石総統の雅号は 「中正」 であった。この一事だけを見ても、彼が日々何を心がけていたのかがわかる。また、蒋介石がいかに深い学問と高い教養をもっていたか、おわかりになると思う。(p.212)
「中」 は、神人合一の妙境に関わっている。 チャンちゃんはケチだから、これ以上書きださない。自分で読んで確認してください。
【神人合一】
《参照》 『神霊界』 深見東州 (たちばな出版) 《前編》
【先天の修行の奥義】
神人合一というと、瞑想や荒行をして人間のほうから神に近づいていくものと考えられがちだが、決してそうではない。あくまでも、神様から見て、
「こいつは立派な人間だ」
「この人を通じて、少しでも世の中をよくしたい」
と映るよう、自己を修養していく。これが神人合一の道の修道なのだ。いわば、日々の生活の中で虚心坦懐に徹し、私心と我欲を捨てる修業をして、誠の道を極めることが神とひとつになる大切な方法なのだが、これについては 『神霊界』 で詳説しておきたので参照していただきたい。(p.206)
ヨガや瞑想や荒行による修業を “後天の修業” と言い、自己を修養し誠の道を究める修業を ”先天の修業” という。「こいつは立派な人間だ」
「この人を通じて、少しでも世の中をよくしたい」
と映るよう、自己を修養していく。これが神人合一の道の修道なのだ。いわば、日々の生活の中で虚心坦懐に徹し、私心と我欲を捨てる修業をして、誠の道を極めることが神とひとつになる大切な方法なのだが、これについては 『神霊界』 で詳説しておきたので参照していただきたい。(p.206)
《参照》 『神霊界』 深見東州 (たちばな出版) 《前編》
【先天の修行の奥義】
【神人合一のレベル】
《参照》 日本文化講座⑨ 【 日本神道と剣 】 <前編>
□■□■□ 「 剣 と 刀」 そして 「 武道 と 武術 」 □■□■□
一口に神人合一といってもさまざまなレベルがある。最初のレベルは、悟りを開くことによって、肉体は人間であっても内面が仏様のようになる状態。すなわち、禅でいう 「見性成仏」 レベルの神人合一がそれである。
次のレベルは、内は禅定であって、身、口、意と揃い、働き自在のみ仏と合体する状態。すなわち。台密、東密で知られる密教系の 「即身成仏」 レベルの神人合一である。
そして、この上のレベルが、本当の惟神(かんながら)の道における神人合一であって、天津神、国津神、八百万の神々、仏界、ヨーロッパ神界、インド神界、中国神仙界、および極微神界、大宇宙のすべての次元の神々と合一して、人類救済、文明文化創造の大神力と大弘通力を発揮するのである。モーゼや出口王仁三郎、弘法大師、日蓮上人、聖徳太子、さらには明治天皇や神武天皇、日本武尊、神功皇后をはじめとする古代の天皇たちは、おおかれ少なかれ、皆、このレベルで神人合一しており、それぞれの時代を切り開いてきたのである。(p.214)
下記の日本文化講座を認めた時は 「武」 をテーマにしていたから、見性成仏も即身成仏も惟神の道も、すべて神人合一として並列に記述してしまったけれど、本来は、このようにレベルに違いがある。次のレベルは、内は禅定であって、身、口、意と揃い、働き自在のみ仏と合体する状態。すなわち。台密、東密で知られる密教系の 「即身成仏」 レベルの神人合一である。
そして、この上のレベルが、本当の惟神(かんながら)の道における神人合一であって、天津神、国津神、八百万の神々、仏界、ヨーロッパ神界、インド神界、中国神仙界、および極微神界、大宇宙のすべての次元の神々と合一して、人類救済、文明文化創造の大神力と大弘通力を発揮するのである。モーゼや出口王仁三郎、弘法大師、日蓮上人、聖徳太子、さらには明治天皇や神武天皇、日本武尊、神功皇后をはじめとする古代の天皇たちは、おおかれ少なかれ、皆、このレベルで神人合一しており、それぞれの時代を切り開いてきたのである。(p.214)
《参照》 日本文化講座⑨ 【 日本神道と剣 】 <前編>
□■□■□ 「 剣 と 刀」 そして 「 武道 と 武術 」 □■□■□
【神人合一と自在性】
しかし、日本という固有の土地に付随する波動界は、はやり世界的に見て極めて特殊なのである。
《参照》 『大創運』 深見東州 (たちばな出版) 《後編》
【日本神霊界】
このような波動界の特殊性ゆえに、日本という土地では、世界的に特殊な “日本語” が用いられているのであり、昔も今も “言霊の国” なのである。特殊かつ繊細な波動界であることが、日本語という言語に顕著に表れているのである。
《参照》 『ガイアの法則』 千賀一生 (徳間書店) 《前編》
【経度0度と経度135度の文明的特徴】
過去、神人合一して、オールマイティーな神力を発揮した人物が何人かいる。たとえば弘法大師空海や出口王仁三郎、聖徳太子、菅原道真、白隠禅師などである。 ・・・(中略)・・・ 。
これに対して、イエス・キリストやマホメット、あるいは釈迦などは病気直しや霊覚、神性、布教力については抜群で申し分なかったものの、自在性という面では、あまり備わっていなかった。
・・・(中略)・・・ 。
読者の皆様はもうお気づきのことと思うが、先にあげた自在性のあると評した人は皆、日本人である。日本神界に霊籍を置く者にしか、真実の霊的自在性は得られないのだ。(p.229)
あまり日本文化に関する見識のない人々は、この記述を読んで、「こんなのは、日本人の独善である」 と思うことだろう。これに対して、イエス・キリストやマホメット、あるいは釈迦などは病気直しや霊覚、神性、布教力については抜群で申し分なかったものの、自在性という面では、あまり備わっていなかった。
・・・(中略)・・・ 。
読者の皆様はもうお気づきのことと思うが、先にあげた自在性のあると評した人は皆、日本人である。日本神界に霊籍を置く者にしか、真実の霊的自在性は得られないのだ。(p.229)
しかし、日本という固有の土地に付随する波動界は、はやり世界的に見て極めて特殊なのである。
《参照》 『大創運』 深見東州 (たちばな出版) 《後編》
【日本神霊界】
このような波動界の特殊性ゆえに、日本という土地では、世界的に特殊な “日本語” が用いられているのであり、昔も今も “言霊の国” なのである。特殊かつ繊細な波動界であることが、日本語という言語に顕著に表れているのである。
《参照》 『ガイアの法則』 千賀一生 (徳間書店) 《前編》
【経度0度と経度135度の文明的特徴】
<了>